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休止と言うか、解散と言うか。「相手の言葉をそのまま使う」大切さ

こないだたまたま一緒に帰った知人が
ジャニーズの、嵐が好きだというので
「活動休止するんですよね?」と言ったら
「山岡さん、分かってますね」と。
 
何かなとおもったら
「解散するんだね」と言われることが多く
解散じゃなくて休止ですよ、と訂正しても
「おんなじことでしょ」と返ってくるんだって。
 
ぜんぜん違うんですよーーー
ちゃんと「休止」て言ってもらえて嬉しいです
と。
 
 
言葉というのは
そのひとの心象風景や、認知した世界を
とてもよく反映するもので
誰かにとって差異が認められないことも
他の誰かにとっては大きな違いだったり
時にはとても傷つくようなことだったり
 
もちろん、それによって視点が変わって
救われるようなことも起こり得るけれど
 
言葉が違えば、認知している世界も違う
  
相手を理解するとか、共感するとか
そういうことが求められるシーンや
他愛のない話をするようなときには
 
違う世界(=自分)の言葉を手放して
相手の使う言葉をそのまま使う、ようなことが
大切なんだろうなとおもったりする
 
 
ときどき、タイムラインに入るコメントに
イヤだな〜とおもうことがあるのだけども
多くは、自分の世界とは異質なものが
入ってきたように感じたときだとおもう
自分の世界が蹴散らされる感じというか。
 
たぶん、言葉の使い方とか言い回しとか
そういうところで感じていることだから 
「どういうのがイヤなのか」と聞かれても
「私がしないような言葉の使い方」としか
答えようがないんだよね
一方で、その違いが面白いときもあるから
まぁなんとも言えないところだけど
  
 
休むのか辞めるのか、という話で言えば
表明する側としても、される側としても
苦い経験がいくつもあるから
無意識のうちに、報道された言葉を
そのまま使ったんだろうなとおもう
 
そのことで、知人との他愛もない話の中で
「分かってますね」と嬉しそうな反応が
返ってきたことをおもうと
 
苦い経験が、人を優しくするというのは
こういう感じのことなのかもな、なんて
 
 
すぐに、うまいこと言い換えたくなる私は
それだけ、相手の世界を蹴散らしてしまう
可能性をたくさんもってるということ
 
それがよく働くときもあるにはあるけれど
言葉の使い方や言い回しから垣間見える
相手の心象風景や、認知している世界を
尊重する気持ちを人一倍持ってないといけないし
「相手の言葉をそのまま使う」といったあたりの
スキルもやっぱちゃんと、身につけておかんとな
などと改めておもったのでした
 
 
とりあえずみなさま
嵐クラスタの方々と話すときには
「休止」を使いましょうね。
相手からのヒントがないあいだに
不用意に「解散」と言わないように。
 
あなたにとっておなじことに思えても
その人にとっては大違い!な可能性が
高いですからね。
 
その人が「解散」的な言葉を使ったら
どうしてそう言い換えるのか?という
相手の心象に関心をもちましょうね。
 
 
…ってなんのコーナーやねん。笑

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