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人生初海外19歳はアフリカへ旅立った vol.1

19歳、ラストティーンはアフリカへ

 皆様、お久しぶりでございます。前回のフィリピンからの投稿から暫くの時を経て、久しく綴れていなかったので、言葉を綴ろうと思います。

 9月11日から10月1日までの約3週間、私はガーナ🇬🇭に滞在していました。
 何故、ガーナへ?。それは、若くしてガーナでチョコレート工場を設立し、マーハチョコレートというブランドも立ち上げておられる田口愛さん、そしてア福リカという団体の主催するツアーに参加するためでした。実際にガーナの村へVillage Stayをしてアフリカを知る、感じる、経験できるというもので、知人が運営しているということもあり、参加を決意しました。


待ちに待った、アフリカガーナへ


空港の目の前にある高くて不味いらしいレストラン
(出国当日、まさかの倒産して撤去作業してました笑)

 さあ!アフリカだー!、、、と空港を出て目の前に飛び込んできたのは、まさかの飛行機。。。立ち入り禁止感が満載で、こっそり敷地に入ったらそこにいたのはパンツ一枚だけ履いていた、おっちゃん。声を掛けられてこちらに向かってきたので、そそくさと脱出笑。後に、この飛行機はレストランで決して口には合わないけれど良い値段がするという情報を入手し、一安心したのは良い思い出です。

 ガーナでの基本的な移動手段は、トロトロというバス。
 街と村で若干大きさは違うけれど、だいたい14人乗で満席になるまで絶対に出発しないというルールがあります。なので、13人乗っていても、あと一人が揃うまで運が悪ければ数時間待つということもあるそう。自分は、だいたい30分くらいまった感じ。運賃に関しては、ぼったくりは余りなく場所によって値段は決まっている感じです。

 途中で休憩とかも無く、水や食べ物が欲しくなったら、車が止まっている隙を見て外で色々売っている売り子さんたちに声を掛け、ひょひょいっと買う仕組み笑。
 水は、1Lのペットボトルなら70円弱くらいで、ビニール袋に入った水は6円くらい。ちなみに、ビニールの水は消毒されていて、ビニールの角を噛みちぎって飲む!

 食べ物はというと、ガーナは本当にスパイスを使った料理が多くて、基本辛い笑。お腹の調子が常に悪くなるくらいに辛いです。人によって、辛さも違うから正に博打。
 しかーし!ガーナのパイナップル。これは本当に世界一甘い。(そんなに世界知らないけれど)生クリームと比べても張り合える程に、パイナップルが甘くて美味しすぎた!微塵も酸味がなく、ただただ甘味と程よい口当たりの果肉のセッション。ガーナに行く機会があれば、ぜひ食べていただきたい。
 あと、バナナとスイカもあって、バナナは可愛らしい程に小さいサイズで、スイカはThe スイカ。
 とりあえず、パイナップルの衝撃は忘れません


そういえば、、ガーナってどんな国?

 ガーナって何処や!そんな方が大半だと思います。
 ガーナは西アフリカに位置し、赤道ギニアに近い場所に存在しています。

  首都・アクラ
          人口・約3280万人(2021年)
公用語・英語
     通貨・ガーナセディ


世界遺産・ケープコーストにある砲台
ケープコーストから見える町並み
アフリカの歴史を現しているかのような、そんな荒々しい波

 ガーナは、アフリカ奴隷貿易のはじまりの歴史であり、アフリカ大陸最初の独立国という背景をもっています。
 公用語も英語ではありますが、現地の人は英語よりもアカン語(ツウィ語)で話している人が多いです。簡単に説明すると以上がガーナの基本情報になります。


アフリカマインド

 

インターナショナルスクールで会った子供たち
村で出会った子供たち
村への道中、たまたま遭遇して声を掛けてきた羊飼いの三兄弟
村のわんぱく一味
いつも庭の掃除をしてくれていた姉妹
隣村で出会った仲良しの子供たち

 彼ら、彼女らを含めたアフリカの国の人たちは、出会えば兄弟。本当に冗談とかではなく、本気でブラザーという気持ちで接してくれる。それは、異国の日本人だからそういう扱いとかではなく、同じアフリカ人同士でもそのような文化が確かにそこにあった。それは、ケニアからガーナに向かう飛行機の中でも感じられたことで、飛行機に乗っている殆ど全員が初めましてにも関わらず、楽しそうに機内で話し、帰り際には連絡先を交換しあう光景を数多く見た。なんならほとんどの人がそうだった。日本にはない、アフリカの人の文化が、歴史を感じた瞬間の一つ。
 自分自身も、道端で出逢った人と数分話しただけで連絡先を交換したり、事あるごとに連絡先を交換し、今でも定期的に連絡をとってくれたりする。
 その分、関係が希薄とかただ連絡先があるだけでは無く、いくら人が増えても本当に一人一人との関係を大切にしているのがアフリカの人々なのだなと実感しました。
 途中から、気軽にほいほいと連絡先を交換してはいけないというか、アフリカの人たちは、たった一人でも取りこぼさずに関係を取り持つからこそ、それを大切にできそうにないのなら、交換しそうな流れでもしない方が互いの為になるということも学びました。

 彼らの、すぐに連絡先を交換して、出逢いを大切にするという価値観は本当に素敵で、その価値観の根底の一つになっているであろう、全ての人間は、私たちは兄弟なんだ。という価値観は最高だなと思う。
 ある時、村の人にこう言われた。君と私たちの肌の色は違う、けれど血の色は同じなんだ。僕たちは同じ人間なんだよ、と。確かにそれは理解していた。けれど、その言葉の持つ重みは彼らの方が何倍も理解していて、理解しているからこそ、誰にでも優しく、出逢ったら兄弟みたいな文化が価値観があるのだろうなと思う。

 自分は、基本的に人には思いやりをもって接しているつもりだったけれど、アフリカの人々と関わって、人に対する思いやりについてもっと深く考えさせられた。
 日本には、日本の思いやりが。アフリカにはアフリカの思いやりが。人への思いやりは色々な形がある。それを肌で理解できて本当に良い学びだったなと思う。


 そして無我夢中で綴っていたら、何を書いているのか頭の中がゲシュタルト崩壊を起こし始めてきたので、今回は一旦ここまでにしようかなと思います。
 んー何を書いて何を伝えようとしているのか自分でも謎すぎるかもしれない。
 次回は、またガーナについて書こかなと思っております

 それではまたまた!
 See you again!


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