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【エッセイ】おやすみのたぐい

 よく耳にするのに、自分の口からはなかなか出てこない言葉がある。自分の語彙にない、とはこういうことを言うのだろう。

 たとえば、思わず「かわいそう」と言ってから、もっと良い表現があるだろうと考える。
 そこで同僚が「気の毒だね」と言った。
 そうそう、それなのだ。品があって、雰囲気があって、そのときの自分が表したい気持ちそのままだった。
 使いなれないから未だにあまり口にしないが、ここぞというときには使いたい言葉だ。

 たとえば、夜に別れのあいさつをするとき「じゃあね」とか「バイバイ」とか言う。夜でなくとも、いつも変わらない。
 それが、さらりと「おやすみ」と言えるひとに会うとなんだかぽーっとしてしまう。
 おやすみだって。別れ際におやすみだなんて、そんなの反則だ。
 だからって「おやすみ」があいさつ以外の意味を持ったことはないけど、そんなときのおやすみはとてつもなくスマートで素敵な言葉だ。何かの意味を含んでいる気がする。(自意識過剰の自覚あり)
 素敵なのはいいことだ。今度、別れ際に言ってみようか。「おやすみ」
 やっぱりまだ言えない。素敵すぎて気恥ずかしいから。

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