朝日 ね子
ねこのこと
北海道弁や、日常のことばについて
うちにいるねこについての記事です。
おかずをごはんの上でワンバウンドするの、なんでだろう? わたしは白いごはんが汚れるのがいやだ。だからおかずを口にいれてからごはんを追いかける。 しかし世の中のワンバン好きの多いこと。 だから自分の主張を声高にできない。 それから、ごはんをかき込む食べ方って効率悪いな、と内心思っている。口を開けたままかき込むから、一度口に入ったものが出てきそうな気もする。 ひと箸にたくさんごはんをのせて一回ずつ口に運んだほうが、きれいにたくさん食べられるんじゃないか? しかし、
底抜けに爽快で愉快なことはないかなあ。 まずはぐっすり寝ようじゃないか。 話はそれからだ。 (この数日、よく眠れなくてひどく疲れている)
ガリガリ、ともバリバリ、ともつかない音を立てて、バリカンが止まった。 あ、やっちまった…! と思ったときにはもう、もみあげの四分の一が失われていた。広げたチラシに落ちる短い毛の束。 いわゆるツーブロックにして以来、ときどき自分でもみあげを刈っている。 そのバリカンには長さのガイドがついていて、刈る長さを調節できるようになっている。 今日も今日とて左のもみあげを刈り、さて右も張り切っていこうとばかりにバリカンを押し当てる。 そうして悲劇は起こった。 長さ調節
わたし:あの、セーラー服脱がす脱がさないのやつあるじゃないですか。 上 司:あー、あったねー。 わたし:あれ、どうなったと思います? 上 司:どうなったっけ? わたし:多分なんですけど、結局自分で脱いでると思います。 上 司:(笑) とかいう会話をけっこう真剣にしちゃったりして。
まだ先のことを手帳に書き付けておく。というか、書いておかないと忘れてしまう。あるいは忘れるために書く。 頼んだぞ、未来の自分。 走り書きを読む。あ、そうだった。 忙しいときに限って、前に書き付けたことに助けられたりする。スケジュール感や注意点やあれやこれや。忘れてた。考える余裕もなかった。 グッジョブ、過去の自分。 今日も、明日の自分のために風呂を洗う。さっき、昨日の自分が出しておいてくれたトイレットペーパーに交換した。 持ちつ持たれつで生きている。 自分
このごろ、あまり腹がたたなくなったものだ。物事を受け流したり、どうでもいいやと考えることが功を奏したのだろう。 などと思っていたが、どうやら違うと今、気がついた。 やや、わたしは日々憤っているじゃないか。あれやこれやにムムム、と思いつつ、それを表に出さないように身の内でぐるぐるとこね回して、やがてちぎり捨てて忘れているのだ。 要は、大小の怒りを抱いても、外に向けて感情を出していないだけだ。 そうしてそれを、自分でも「怒っていない」と錯覚しているらしい。 なんと巧妙
自称「過酷」な2週間をなんとか乗りきった。途中、想定外の体調不良に見舞われながらも、よくやったもんだ。 さすがに今くらいは自分を褒めたっていいだろう。だって、久しぶりの休日にも疲れてなにもできないほど、反動が襲ってきている。 そうして明日はまた、真面目な勤め人。本当は天井を見つめて横になっていたいけど。 ああ、よくやった、自分。明日もよろしく。そうでも言ってやらないと、やっていられない。 背中がモヤモヤして、よく眠れない。
ペット禁止の物件に住んでいる。 上の階の住人が、キャットフードを大量に抱えて帰ってきた。ホームセンターで買ってきたらしい。 きっとそういうことなんだろう。 現場からは以上です。
出勤したら、駐車場を二匹のねこが歩いていた。 私の車を見ると少し身をかがめたが、危険がないようだとわかると早歩きで通過。その間、立ち去るまでにこちらを振り返ること数回。 そんなに見なくても追いかけたりしないから。 そう思いながら、私もねこらを見、ニャーニャー呟きながら職員玄関に向かう。 さてドアを開けようというところで、玄関横の花壇に穴を掘る白黒のねこと目があった。こいつも先ほどの二匹のお仲間らしい。 穴を掘ったということは、やることはひとつしかない。 こらー
大事な場面を見逃してしまうことがよくある。 大事な場面を見るほかの人たちの表情を盗み見ているうちに、件の場面が終わってしまうのだ。 こういうのを人間観察と言うのかな? しかし不思議なもので、いくら人間観察をしてもひとを見る目ってのは鍛えられないものらしい。これまでの人生でそれは実証済み。 ところで、人間観察の途中でうちの課長さんと時々目が合うことがある。 課長、あなたもこっち側ですね。心の中で言ってみるが、多分届いていない。(そしてひとを見る目がないのも多分同じ
エビデンスという言葉を聞くと、どうしても口にしたくなる言葉がある。 カニデンス。 いいじゃかいか。独り言だもの。
どっか島にでも行きたいな、と言ったひとがいた。 そうだね、ランゲルハンス島なんてどうだろうね。 悪くないね。 わかってるんだか、わかってないんだか。
自己満足を承知のうえで、日々だれかを怒らせたり、傷つけたり、困らせたりしないように気を付けているつもりだ。 それは自分が傷つけられたくないからで、自分が困りたくないからで、怒りたくないからで。 しかしときどき、思わぬところでその心がけが水泡に帰すことがある。本当は防げたのかもしれないが、起こってから気づくのだから仕方ない。口をついて出る不用意な発言、態度や仕草、タイミング。時には部外者の行動も相まって、人の世はどうにも思うようにいかない。 だれかを不快にしたかもしれな
よく晴れていて、太陽の光を浴びたら少し気分がマシになった。 2ヶ月ぶりに髪を切った。ちゃんと自分の顔になった。 何がしたいのか、何が楽しいのかわからない。何に時間を費やしたいのかわからない。 何にも時間を費やしたくない。何もしたくない。 だからといって、何もせずいられるわけもなし。日常を淡々と。 淡々ってはかなげでどことなくきれいな言葉だ。漢字で書くとね。 平坦で単調な日々には、楽しみを用意せよと言う人がいる。それがわからないんだって。 このごろは、ぐっ
海松の茂みに身体をあずけて、ぼくははるかな水面を見上げていた。ぼくにとっての〈空〉。揺れるそれが碧く見えるのは、本物の空の色を映しているからだ。右手を空に伸べると、海松の葉から細かな気泡が立ちのぼった。いくら望んでも、この手は届かない。 小魚の群れが螺旋を描きながら水面に昇ってゆく。いっせいに向きを変えるその身体が、銀に耀いた。彼らはどこへゆくのだろう。ぼくは指の間から〈空〉を透かし見、ぼんやりとそんなことを思った。 空はひと時として同じ色をしていないという。やがてそれ
やりたいことも、やらなければならないことも横に置いて、眠ることにした。 快晴を捨てた。自由を行使した。 けだるさが頭にも身体にもまとわりつき、しかし不調とまではいかず、相変わらず健康な休日の朝。 たとえば日々の中で、食事、睡眠、運動のどれを最も重視するか。 私は絶対に睡眠だ。逆に言うと、睡眠が調わないとてきめんに心身に違和感を生じる。そしてそんな違和感は、一度感じてしまうと容易に解消できない。 だから睡眠の時間も内容も充実させたい。しかしそうもいかないことが多々