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毎 日 n o t e by 伊藤七日

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転職失敗を機に毎日note更新を決意(๑•̀ㅂ•́)و まじめなこと、ふまじめなこと、etc...北海道→沖縄移住した伊藤がフラットに日々のできごとや思ったことを書いていきますよ~ …
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#エッセイ

転職失敗して、毎日note更新を心に決める。 【毎日note】#1

*自省と成長のために、今日から毎日更新します。誰も見てないつもりで、まじめなこと、ふまじ…

4ヵ月目のnoteスランプ?【毎日note】#91

昨日の投稿で90日連続投稿だったんだけど、念願のチヌ釣って気が抜けたあたりから、毎朝、若干…

何かをやり遂げても、日々は続くから【毎日note】#81

地元のローカル誌「あさひかわ新聞」に3年間書き続けた36ヶ月分の沖縄移住日記を、Kindleエッ…

数学の証明に似た文章【毎日note】#80

以前に少しだけ、文章を書くバイトをしたことがある。クラウドソーシングのプラットフォームを…

いつか私の包丁に深みは出るのだろうか(後編)【毎日note】#63

こちらの続きです↓ お母さん、僕切りましょうかと声をかけると、いい?ごめんね、と言いなが…

いつか私の包丁に深みは出るのだろうか(前編)【毎日note】#62

昨日に引き続き、魚譜画家・長嶋祐成さんのお話になる。今回は、長嶋さんが画家であることは、…

多少の寂しさや喪失を引き受けてでも、その選択に背を向けなければいけない。【毎日note】#59

自分のカンを後回しにして、ポジティブになったつもりで、「これはチャレンジだ」と自分を納得させて選択した結果、いろいろ失敗した。 ガマンを重ね、無理をし、ネガティブな事象も前向きに受け取ろうとし、涙を止めて笑顔をつくった。オトナを装い、やさしさと強さを装った。 気が付かないうちに鉛のような違和感を呑みこみ、自分を痛めつけ、弱くした期間だった。 これはいい教訓だった。もし、「この選択は自分から自分らしさを奪うものかもしれない」と少しでも勘づいていたなら、多少の寂しさや喪失を

沖縄民謡が流れる誰もいない観光地で【毎日note】#58

釣りポイント探しで、ひさびさに、海洋博公園を歩いた。美ら海水族館や、国際洋ラン博覧会で有…

釣れなくても美しい一日のこと。【毎日note】#57

毎週末、天気がよければ日が昇る前の暗いうちから一日中釣りに行く。なじみの魚たちだけでなく…

Kindle本『果報をさがして 沖縄移住記』初日の売り上げ【毎日note】#52

昨日は友人・知人の方に直接連絡させていただき、「買ったよ」「読んだよ」と言って頂きました…

結局、沖縄移住記で私が言いたかったことって【毎日note】#51

今日(正確には昨日の夜中?)、念願の沖縄移住エッセイ本をKindle出版した。 宣伝とごあいさ…

何のために表現物を世に出すのか【毎日note】#42

(すごそうなタイトルだけどただのつぶやきです(ノ*・ω・)) 本。音楽。アート。映画。 あら…

エッセイ本を締めくくる36ヵ月めのエピソードは【毎日note】#41

来月出版するKindleエッセイ本「果報をさがして 沖縄移住記」を締めくくる、36か月目のエピソ…

人に気を遣えることと、遣い過ぎることは真逆のこと【毎日note】#28

「ちょうどよく」人に気を遣えるようになりたい。 「ちょうどよい気遣い」とは、ありがちかもしれないけど、知らないうちにそこにティッシュを置いておいてくれた、みたいな。必要な時に必要なものを提供できるような、気遣い。気遣いとも感じさせないくらいの、さりげなく誰かをサポートできるようなこと。 * 私の場合、気を遣えないというより、過度に遣い過ぎる。それはもう、気を遣っているというよりは、ご機嫌取りのレベルなのだ。 相手を怒らせたくないし、機嫌を損ねてほしくないし、私といて不