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沖縄民謡が流れる誰もいない観光地で【毎日note】#58

釣りポイント探しで、ひさびさに、海洋博公園を歩いた。美ら海水族館や、国際洋ラン博覧会で有名な熱帯ドリームセンターがある、本部町の大きな公園だ(ちなみに、公園からは柵が張りめぐらされていて海にはアクセスできなかった。水族館で沖縄の海を紹介し、「夕陽が絶景」とうたって、海そのものには触れられない。「海洋博」なのに?とちょっとギモンに思った。管理された大規模な公園だからというのは分かるのだけど。ちなみに海洋博公園は「国営」らしい)。

沖縄の観光地は、海洋博公園に限らず、たいてい、敷地に設置されたいくつものスピーカーから、沖縄民謡のBGMを流している。イベントや散策の邪魔にならないよう、控えめの音量で、三線だけの演奏が選ばれていることが多いように思う。

私は、観光地にもかかわらず、人がほとんど歩いていなくて、さびれた印象を与える静かで広い観光地で、控えめに聞こえてくる三線の音楽を聴きながら歩くのが好きだ。3年前にリゾートバイトで働いていた由布島の植物園も、私の記憶の中では同じような光景だ。

もちろん、施設側からすれば、来訪者が激減したにもかかわらず広大な敷地を維持管理していくのは、大変なことだろう。私が歩いた時も、造園業者が10人以上のスタッフで草刈りをしたり刈った草を運んだりしていた。客がほとんどいないにもかかわらず、危険を考慮して、遊歩道に刈った草が飛ばないよう、金網のようなものを持って草を刈る人に合わせて移動する役割の人もいる(海洋博公園—美ら島財団から仕事がもらえなくなったら、立ち行かなくなる業者がどれだけあるだろう)。

短時間の散策でいろんなことを考えさせられたので、話がつい横道にそれてしまうのだけど。

とにかく、この閑散とした場所に、静かに民謡が流れているかんじって、まるで静かな集落で、どこからともなく誰かのひく三線が聴こえてくるような、昔ののどかな景色が浮かんでくるようなのだ(昔の、というのはあくまでイメージの話で、今もこういう景色はちゃんとある。観光していても気づかないけれど)。

立派な人気施設が、時代の流れによってさびれてしまって、自然と、昔の姿に戻ったような。


毎年当たり前にように押し寄せると思っていた観光客も、ビジネス客も、修学旅行生も、インバウンドもこなくなって、茫然としている施設や飲食店や業者は数えきれないほどあり、もちろんその後ろには職を失ったり給料が減った県民がたくさんいる。

一方で観光とは無関係の仕事をしている人などは、給料の額自体には全く影響がなかったり、むしろ忙しくなった人もいて、私も影響がなかった方の部類なので、こんなことを言ってはいけないのかもしれないけれど、観光客が少なくなった沖縄は、恐ろしく居心地がいい。こんなこと、ほんとは言ってはいけないのだけれどね。

人間ばかりこんなに増えてしまった世界では、人間が少ない場所が貴重なんじゃないか。そしてそんな貴重な場所も、情報によってまた人間に埋め尽くされるのかもしれないけれど。

米軍基地があることによって生活が支えられている人。一刻も早く撤収してほしいと願う人。観光業で食べている人、観光客など来なくていいと思う人。沖縄の中にはたくさんの分断がある。


脱線ばかりで広がりすぎでまとまりのない記事だけれど、土曜日の昼下がりの海洋博公園を歩いて思ったことを残します。




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