朝賀モナミ

日々、徒然

朝賀モナミ

日々、徒然

最近の記事

大嫌いなあの子のSNS

私は嫌いな人のSNSをわざわざ見にいく癖がある。 楽しそうな投稿が頻繁にされていれば苛立つし、更新がストップしていたり後ろ向きな投稿がされていれば心が満たされる。 要は、嫌いな人物がきちんと不幸でいるか確認しにいっているのだ。自分で言うのも悲しいが性格が悪い。 大嫌いなあの子の結婚報告の写真。 隣で笑う旦那さんを裏切って、ニュアンス系イケメン風歳下男子と浮気していたことは私しか知らない。 周りを囲う友人たちのことも、散々悪口を言って見下していたことも私しか知らない。 その

    • ダサい

      私は好きだなと思った映画観終わった後、 その作品への世間の評判をネットで確認しに行くクセがある。 それはとてもダサい から、そのクセをやめることにした。 自分の『好き』が世間とズレてないか確認してるのかな 好きなものは好きでいいじゃない 自分が好きって思ったんだからそれでいいじゃない。 好きとか嫌いとかの基準は人それぞれだからね。 ーっていう私の感想?思想?思考?を弟にしたり顔で話そうとしたけど そもそもこの考えに至ったきっかけが もともと世間の評判がイマ

      • 供養

        お母さんへ あなたの期待するような感謝と光に満ち溢れた優しい愛の言葉はきっとここには並ばないでしょう。 ここまで育ててきてくれてお金をかけてくれて、そういった面では不自由なく過ごしてきました。 それはとても幸せなことです。恵まれていることです。 しかし、私はあなたに対してどうしても埋められない溝を抱えているのです。感謝と共に憎しみを抱えているのです。 あなたは私のことをたしかに愛しているでしょう。 小さい頃から私の手を引き導いて、怪我をしないよう辛い思いをしないよ

        • 無償の愛

          私はずっと、「どんなときも私のことを見捨てない人」を求めていた。 こういった場合、まずは親などが候補に挙がるのかもしれないが 私は不登校になった高校生の頃、母から 人目があるから日中外に出るな と言われた。 その時 ああ、不登校の娘は親からしたらいらないのか と、素直にショック受けた。 それが今でも私の「やわい部分」としていつまでもいつまでも存在している。 それでも勘当したりせずに、家に置いてくれたのだから厳密に言えば見捨ててはいないのだけれど 甘ったれた

          満たす、零す

          「人は皆、それぞれの弱い部分を持っているものだ」 何のニュースだったか、ニュースへの感想だったのか、上の言葉を何気なく呟いたら 「弱いところばっかの奴が何言ってんだ」 と父から言われた。 父は赤ワインを飲むと悪酔いして暴言を吐く。今日も赤ワインを飲んでいた。 だからなんだ。 アルコールが入っているからといって暴言を吐いていいわけじゃない。 たしかに私は弱い。傷つきやすいし落ち込みやすい。わかりやすい数字や名称で誇れるものなど何もない。 だけど、弱いからこそ人の

          満たす、零す

          恥を知る

          私は「人として恥ずべきこと」をよくよく理解して生きていきたいと思う。 「恥を知れ」という言葉はどうしても他人に向けて言うシーンを思い浮かべてしまうが、私はそれを自分に向けて言い続けていきたい。 今の世の中、体面など気にせず自分の権利と利益を大声で主張することが推奨されているような雰囲気を感じる。 自分の権利と利益を自ら守ることに関しては、そもそもそれを侵害してくる他者や社会という存在があるからなのだろう。元凶はきっと社会構造と社会を形成する私たちにある。 だが、ここで

          少しだけ、生きづらい

          親切に見返りを求めてはいけない。 誰かに親切なことをする時、「自分がしたいから、している」ということを忘れてはいけない。 思った反応が返ってこなかったり、その親切を無下に扱われて腹を立てた時点でそれは押しつけになってしまう。 親切の押し付けほど、迷惑なものはないだろう。 相手のためを思って親切にしていたはずなのに、思い通りに反応してほしいと願っている時点でいつのまにか自分のためになってしまっている。 自己満足だ。 相手のために何かをしたいと思ったら、何よりも相手を

          少しだけ、生きづらい

          深呼吸

          深く息を吸うと、生きている実感が湧く。 においから雨や木や草の、存在を感じることができる。 雨が降って土を潤し、茂った木の葉の香りが風にのって運ばれてくる。 日々生きていると、"世界"とは人間のことを指しているような気がしてくる。 そして、人間の中にいることに、人間であることに疲れたとき、世界には自分の居場所などないような気がしてくる。 そんな時、私は深呼吸をする。 雨や木や草の存在を確認する。 地球を確認する。 人間は世界の"一部"だ。 生かし生かされてい

          自分のために、

          斎藤孝先生の「人生が面白くなる 学びのわざ」という本を読んだ。 私は斎藤孝先生のことが好きなので、先生の言葉がスッと入ってくる。 本当に学ぶ楽しさを知った人は、この楽しさを人に伝えたい、次の世代に伝えたいという境地にたどり着くという。 だからこそ、書物などで代々と受け継ぎ、現代の私たちも共有することができる。 前々回、私は「自分のために文章を書きたい」と書いた。本当にその通りだし本を読んだ今もそう思っている。 だけど、「自分のために表現をしたい」というフェーズにいる

          自分のために、

          成長ってなんだろう

          私は、恋愛において使われる「成長し合える関係」というフレーズがとても嫌いだった。 "何か"にいつも頑張っていなければならないような、一生懸命な姿を恋人に見せ続けないといけないような、 「成長し合える関係」にそんなイメージを抱いてた。 時に恋愛の理想形かのように語られるそのフレーズに、就活の時に求められるような「向上心とチャレンジ精神!」みたいなもの(こーゆうのサブイボ出るくらい苦手だった)、窮屈な違和感を、ずっと感じていた。 でもそう感じていたのは、私が持っている「成

          成長ってなんだろう

          自分を表現したいと初めて思った

          社会人2年目の夏、このコロナ禍の中 勤めていた会社の業績悪化に伴い退職をした。 ただでさえ状況が悪いのなら悩んだってしょうがないから良い機会だと思うことにした。 本当に自分がやりたいことは何だろうかと、もう一度じっくり考えてみよう。 1年とちょっと、社会人として働いてみて"自分"というものが明確にくっきりと見えるようになった気がする。 自分が好きなもの、嫌いなもの、生きる上で大事だと思う信念… 今まで生きてきた中で自分のことをそれなりにはわかっていて、向き合っても

          自分を表現したいと初めて思った

          悲しみの大小

          映画やドラマ、小説の中で主人公たちにとって転機となる悲劇に対して「これがそんなに人の何かを変えるほどのこと…?悲劇としては弱いのでは…?」と感じることがある。 もっと劇的な、心の底から絶望するようなことじゃないと…と。 でも、人によって絶望も悲しみも、その受け取り方も大小もそれぞれ違う。 頭で理解してても、そんなの当たり前だと思っていても、普段の私は忘れている。 物語は私に、いつのまにか振りかざしている"自分尺度"の存在を気づかせてくれる。 きっとそんな私の尺度は、

          悲しみの大小

          親の期待に応えたいと思わない子どもなんていない

          私は自分の価値観に自分で苦しめられることが多かった。 私がやりたいこと、生き方を、私の価値観が邪魔をする。 母が昔言っていた、「親の期待に応えたいと思わない子どもなんていないのよ」という言葉が私はずっと忘れられない。 きっとこれは真理で、だからこそ苦しむのだろう。 私もこの応えたい思いがずっと強くて、でも親の期待してることと私がやりたいことはいつも違うところにあって、ずっと苦しかった。 今、つらつらと書いていて気づいたけれど 私が今まで苦しんできた「自分の価値観」

          親の期待に応えたいと思わない子どもなんていない

          高度な愛

          恋人の 「僕は君の全てを受け入れるよ」 の言葉に、私は驚いたあと、すぐ納得した。 ーあぁ、他人だからこそこういった言葉が出てくるんだろうなー 彼は素直な気持ちで本心で、この素敵な言葉を私にくれたのだと思うし、私も少し戸惑った後 じんわりと心が溶かされる感覚と幸せを噛み締めた。 他人という表現が合っているかはわからないけれど、ある程度の距離感がないとこの言葉は出てこないのではないかと思う。 相手の決断や変化が、自分ごとのように思ってしまう距離だったら、全てを受け入

          酸っぺえ酸っぺえ

          Instagramのストーリーの質問スタンプ 私が募集した質問は誰にも返事をもらえなかった 一方 友達がもらった返答をストーリーでコメントをつけながら一覧で挙げているのを見る 酸っぺえ酸っぺえ、 SNSとは人の反応あってのものだけれど 自分が傷つきやすいとわかっているのなら 相手の反応ありきのことをしちゃいけないな 酸っぺえ酸っぺえ (寂しい) #日記

          酸っぺえ酸っぺえ

          ベン・ベックマンに罪はない

          ベン・ベックマン、漫画『ワンピース』に出てくるしぶーいイケオジだ。(オジだよね…?) 私も彼のことをカッコいいと思うし、煙草の似合う素敵なおじさまだと思う、ぶっちゃけ好きだ。でも、ワンピースの中で好きな登場人物に彼を挙げる人が苦手なのだ。そう、彼には罪はない。 きっかけは中学生の頃、知り合いとワンピースの好きなキャラクターの話になった時。当時私はチョッパーとゾロが大好きだった。しかし、それを言うと知り合いは呆れた顔をして、 「あ〜、出た出た。ミーハーだなぁ、ワンピース好

          ベン・ベックマンに罪はない