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成長ってなんだろう

私は、恋愛において使われる「成長し合える関係」というフレーズがとても嫌いだった。

"何か"にいつも頑張っていなければならないような、一生懸命な姿を恋人に見せ続けないといけないような、

「成長し合える関係」にそんなイメージを抱いてた。

時に恋愛の理想形かのように語られるそのフレーズに、就活の時に求められるような「向上心とチャレンジ精神!」みたいなもの(こーゆうのサブイボ出るくらい苦手だった)、窮屈な違和感を、ずっと感じていた。

でもそう感じていたのは、私が持っている「成長」の意味合いがとてつもなく狭く、拙く、幼稚だったからだと最近気づいた。


ふと考えてみたら、私も今の恋人と付き合う前の自分と現在の自分では変化したところがたくさんある。

恋人と付き合ってから好きになったもの、出会ったこと、考えたこと、がたくさんある。

相手のことを見つめて、話し合って、ぶつかって、悩んで、尊重して、

恋愛に限らず人と深く関わるときその過程で人は必ず何かしら相手から影響を受けて自分も変化していく。


私にとって、恋人によってもたらされた変化は紛れもなく「成長」だった。

正確に言えば、「変化した」という経験が私にとっての「成長」だった。

私はかなりの頑固者なのだ。



それでもやっぱり、「成長し合える関係」が前提のような、結果ありきのような言い方は好きじゃない。

一緒に過ごす時間の中でお互いに与え合った影響を変化を、何を成長と呼ぶかは一緒に過ごして振り返ってみないとわからない。

だから成長し合える関係云々という「言葉」で毛嫌いするんじゃなくて、

相手にとっての成長とはどんなことを指すのかを知ること、その相手を見ることが私にとっては大事なのかもしれない。



私はいつも、自分の感覚と相手の感覚、自分が指しているものと相手が指しているものは

"常に同じ"

と考えてしまう癖がある。

どんな関係性であっても、人と付き合うときこれがすごく厄介。

いつかこの話についても深く掘り下げてみたいな。


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