(#2)アウトサイダー・アート(アール・ブリュット)の定義の周辺(アウトサイダーアートとインサイダーアート)
(#2)アウトサイダー・アート(アール・ブリュット)に定義の周辺。
それは、社会的には、「アウトサイダー」であっても、芸術と創造に於いては「インサイダー」かも知れないのだ。
そして、重要なことは、作家の個人的な人生と「作品」を混同してはならないと言うことだ。
そして、ルイ・ステー(ルイ・ステール/Louis Soutter, 1871 - 1941/スイス-アーティスト・ヴァイオリニスト)のような人物もいるのだ。
ニューヨークでは、その捉え方だが、アウトサイダーアート、ナイーフ(naif /素朴派)、フォークアートを混在して評価されている。その専門誌である「Raw Vision」(UK)もある意味そうだ。
では、過激な描写のハンス・ベルメール(Hans Bellmer, 1902-1975/ドイツ-シュルレアリスト:画家・写真家・人形作家)や、バルテュス(Balthus, 1908-2001/仏-画家)は?
そして、ハンス・ベルメールから影響受けたと言われる「モートン・バートレット」のあの人形たちは、どうだろう?
本来は、アール・ブリュット(アウトサイダー・アート)と普通のアート(インサイダーアート)と分断する必要性はないだろう。
画家の生い立ちではなく「作品」が語るからだ。
アウトサイダー・アート(アール・ブリュット)は便宜上、何もなかったところに、コミュニケーションのための造語だろうか。それは、美術史は後から語られるからか。
そして、日本では、インサイダーの人たちが、アール・ブリュット(生の芸術/表現の必需性)を必要として来なかった美術世界(画壇)が構成されていた。
日本での芸術界では、欧州の著名人だから「すごい」となっていたのだろう。例えば、それは、白樺派(文芸雑誌・美術雑誌)に取り扱われた欧州の作家の図版等もそうだが、西欧での評価が確立されていなかった時代が続いたからだろう。
そして、言えることは、山下清のように、仕事(おにぎりのために)として描いていても、また、純粋に描いていてもだ、
-however-
動機は何でも良いのだ。それは、繰り返すが「作品」が語るからだ。
かんたんに言うと、古来から「万葉集」(様々な身分)と言う歴史のある日本だからだ。
前編は、(#1)アウトサイダー・アート(アール・ブリュット)に定義とは(アウトサイダーアートとインサイダーアート)とつながります。
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