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イメージと文化-記憶の曖昧さと無意識に作られた過去のイメージ

記憶の曖昧さと無意識に作られた過去のイメージ

現在の学説によれば記憶というものは変化するといわれる。
その記憶があいまいになる訳は、過去の出来事を思い出そうとする度に、脳のネットワークが、引き出した情報をその都度、書き換えてしまうことにより起こる。
それは、遠い過去の記憶も、自分の要素で、再構築されるだろうし、今、ごく少し前のことでも、自身の概念が、勝手に記憶を作り替えているということだ。

主観である記憶は、誰の記憶であっても曖昧で混乱に満ちているのだろう。
自身(私)とその周辺の記憶の固定化には、前述のアストリッド・ライシュヴィッツの方法、移ろいの記憶を固定化するフォトコラージュも1つの方法だろう。
以前には、黒澤明監督の映画「羅生門」も、その曖昧さがあるだろう。
海外では、フォトジェニー論といわれるゴダールの作品も曖昧さの中にリズム感を持っ息づいている。そして、近年の映画では、レオスカラックスの「ホーリー・モータース」の曖昧さも、そうだろう。

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