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イサム・ノグチの苦難と成功:第三話 イサム・ノグチの逆境を成功へ

第三話 イサム・ノグチの逆境を成功へ

イサム・ノグチ(Isamu Noguchi/野口 勇、1904-1988)
  彫刻家、画家、インテリアデザイナー、造園家・作庭家、舞台芸術家等の現代アートに大きな業績を残した日系アメリカ人。


6)プロダクツデザインと庭園アート(ランド・アート)に関わる

戦後の日本で、禅の庭や伝統技術に触れたイサム・ノグチは、作品に東洋的な視点を盛り込んでいる。ニューヨークで、山口淑子(李香蘭/女優・政治家)と、1951年に結婚した。そして、鎌倉の北大路魯山人(1883-1959/画家・陶芸家・料理家等、幅広い作家)の敷地内にアトリエと住まいを構え、陶芸制作にも励んでいた。この頃に、著名なプロダクツデザインである、光の彫刻「あかり」を生み出している。
1958年には、山口淑子との離婚後、イサム・ノグチはニューヨークを拠点に意欲的に活動する事になる。
彫刻よりも大きなスケールの庭園制作、空間の彫刻に熱心になる。
プロダクツデザイン、そして、庭園アートは、ランド・アートのきっかけかも知れない。
ユネスコ本部やニューヨークの銀行などの庭園も手がけた。
そして「彫刻はもっと身近で、役に立つものであるべき」と考えるイサム・ノグチは、かねてから思い描いていた公園や遊園地などのランドスケープ・デザイン(ランド・アート)、「大地を彫刻する」と言う視点が定まっていく。

7)晩年になって、アメリカ人の芸術家と認められた

1970年代は、イサム・ノグチは、ニューヨークと日本を往来する生活を送っていた。
日本では、庵治石(最高級と言われる御影石)の産地・香川県牟礼町に住まいを構え、和泉正敏氏(イズミ マサトシ,1938- / 石彫家 )と共に、数々の彫刻を制作している。この時代の作品は「彫刻に自然を取り入れた」と言われる。
1986年、第42回ヴェネツィア・ビエンナーレのアメリカ代表に選ばれる。「アメリカ人の偉大な芸術家」と認められたのは、なんと、80歳を過ぎてからだ。同1986年、日本で京都賞受賞。翌年1987年には、アメリカ国民芸術勲章を受賞。
札幌市から「モエレ沼公園」ランドスケープデザインの依頼され、そのマスタープランが完成したのは1988年だった。
プラン完成と84歳の誕生日を祝った後、1988年12月30日、イサム・ノグチはニューヨークで逝去する、84歳であった。

(追記)アメリカ成功の秘話

アメリカ成功の秘話:例えば、アメリカ文学に出てくる、成功の秘話を読んでいるようだ。それは、自分の生まれが、どれほどまで貧しく、そして不幸な幼少期と、最終的にどれだけの社会的な成功を成したのか、その感のギャップの大きさが重要な問題な訳だが、まさしく、イサム・ノグチの、それかも知れない。
最後になるが、孤独と苦難、そして、逆境の連続がなければ、イサム・ノグチにこの成功はあっただろうか・・・
その人にとって、何が良くて、何が否か、最期になってみなければ、わかならいと言う事だ。ただ、言えるのは、連続する苦難の逆境に溺れてはいけないという事だろう。

参考文献:「イサム・ノグチ-宿命の越境者<上・下>」ドウス昌代著 講談社、「評伝イサム・ノグチ」ドーレ・アシュトン著 白水社 他


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