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ジョセフ・カール・ラドラーの原風景(アウトサイダーアート)

ジョセフ・カール・ラドラー(Josef Karl Rädler,1844-1917/オーストリア)アウトサイダーアーティスト/アールブリュット前夜
エキサイティングで、独学のアーティストの1人と評される。本来は、磁器に描く画家だった。
ジョセフ・カール・ラドラーの芸術が認識・評価されたのは、磁器画家ではなく、アウトサイダーアーティストとしてだった。
それは、1897年以降に、オーストリアの精神病院に入院中に制作した約400点の水彩画であり、没後、なんと約50年後に発見されたのだ。

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Josef Karl Rädler (public domain)

・略歴-Josef Karl Rädler
1844年、ボヘミア(チェコ)で生まれる。その後、23歳の時、ウィーンで、磁器の工房を設立した。その時以降に、家族は、妻と4人の子供がいた。
ただ、40代後半で、精神疾患(統合失調症)を発病した。
そして、病院で、Rädlerは1897年に水彩画の制作を始めた。その絵画は、実に細心の注意を払って制作されている。
(例)紙の両面を使い、片面は、比較的リアルな画像であり、もう片面は、複雑にネスト (Nest/入れ子)された象徴的な図やテキストで、多くは、まず、判読はできないだろう。

1905年、マウアーオーリング(Mauer-Öhling-ウィーン近く)の新しい最先端の病院に移った。
そこでは、公園のような広い敷地と、患者が民俗祭、ダンスなどのイベントのために集まるアミューズメントエリアにアクセスできたのだ。
マウアーオーリング(Mauer-Öhling-ウィーン近く)の施設では、Rädlerの絵画のテーマの範囲は広がっている。
以前は主に鳥等を描いていたが、さまざまな活動に参加している患者の肖像画や、病院周辺の風景を制作しているのだ。
絵画に興味を示している患者は、病院のスタッフに励まされた。Rädlerは、大量の絵の具と紙を使い、それをエキサイティングに、絵画と執筆の両方に使用している。しかし、当時の病院のスタッフからは、評価を得てはいなかった様子だ。それは、病からの要因もあるのか、Rädlersは厄介で好戦的だったと言われる。そして、非常に長い哲学的言説から・・かも知れない。

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Josef Karl Rädler (public domain)

・作品の再発見と評価
1960年代に、看護師の1人によって、約400枚のRädlerの水彩画が、マウアーオーリング(Mauer-Öhling)病院のゴミの山で発見された。
1972年には、この看護師から、Gugging精神病院(オーストリア)の精神科医レオ・ナブラティル(Leo Navratil,1921-2006/オーストリアの精神科医・作家)が、それを受け取った。レオ・ナブラティルは、約100枚の水彩画を入手してから、Museum Niederösterreich(ニーダーエスター・ライヒ美術館)に寄贈し、1994年に展示される事になる。
そして、2009年、Wellcome Collection(London)は、「Madness and Modernity:Mental illness and the visual arts in Vienna 1900」(狂気と現代性:ウィーン1900年の精神病と視覚芸術)というタイトルの展覧会で彼の水彩画を展示している。

・ジョセフ・カール・ラドラーは、アールブリュット前夜の創成期の作家だ。そして、その評価はこれからかも知れない。ただ、年代的に資料が少ないこと、そして、アールブリュット(アウトサイダーアート)の仕分けは必要なのか?と言う疑問符も現在形では残るが・・・いずれにしても、ジョセフ・カール・ラドラーの作品は、魅力的だ。

(追記)今日(2021.2.3)は、暦の上では、立春(二十四節気)だ。そして、東京(関東圏以南?)では、小鳥の恋の季節らしい・・・なぜ小鳥がその時期を知り得たのか、それは、日照時間や光線の微妙な春らしさからかも知れない・・七十二候では、東風解凍(はるかぜこおりをとく)、この絵画のようだ。ご自愛下さいませ。

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