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光と水が奏でる旋律 -ドビュッシーのソナタの美しさ


 
 
【金曜日は音楽の日】
 
 
音楽は、その自由に流れていく姿が水を思わせます。
 
私にとって、そんな水の自由さをもっとも連想させる音楽が、ドビュッシーの『フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ』を聞いたことでした。
 
はじめて聞いた時、これ程自由で、しなやかな美しさに満ちた音楽が、この世に存在するのか、と衝撃を受けました。
 




風にそよぐようなハープとフルートの絡みから第一楽章は始まります。「牧歌」と名付けられたその始まりの、夢見るような美しさ。
 
ヴィオラが入って、その夢にアクセントをつけます。しかし、あくまでゆったりとしたテンポを変えず、旋律がアラベスクとなり、時折絡まってはほどけて終わります。




第二楽章は『間奏曲』。ヴィオラの低い唸りから、フルートが入り、第一楽章のまどろんだような雰囲気を壊さずに、夜のしじまの中を彷徨っているかのようです。
 
そして、素早く奏でられるハープのアルペジオが、何かに期待を抱かせると、フルートとヴィオラがはじけるように、歌い出します。
 
今までの昏い夜から急に光に満ちた海岸に出て、真っ白い渚を駆けているかのような、素晴らしい開放感です。
 
その後もこの明るい疾走感を保ち、しなだれるようなハープの波が繰り返されつつ、最後はゆったりと収束していきます。




第三楽章『フィナーレ』は、低いハープとヴィオラのピチカートからの暗い疾走感で始まります。絡み合いながら、段々と雲間から光が差し込むように熱を持ちます。
 
そして、最後は、ハープの、ぽん、という合図とともに、ヴィオラとフルートがなだれこみ、華麗に終わります。
 
変幻自在、木漏れ日と川の水が戯れているかのような、絶品の名曲です。





 この作品でお薦めの演奏は、ジャン・ピエール・ランパルのフルート、リリー・ラスキーヌのハープ、ピエール・パスキエのヴィオラによる、1962年のエラート盤。この曲のスタンダードと言える名盤です。
 
三者三様に、意外と癖のある演奏なのですが、それが、優雅な太古の感触をもたらしてくれます。
 
さらっと爽やかに流れるのではなく、ごつごつと解体するのでもなく、お互いを聴きながら、ある時は濃密に、ある時は遊び心を持って張り合うのが、大変粋な演奏です。


 




この作品が素晴らしいのは、フルート、ヴィオラ、ハープという、全く違う楽器を組み合わせているからでしょう。 
 
フルートとヴィオラという、旋律を弾く対照的な音色の管楽器と弦楽器に、ドリーミーなハープという組み合わせの妙。
 
これがハープでなく、フルート、ヴィオラ、ピアノの組み合わせだったら、もっと硬質な印象になっていたはず。ピアノなら低音部も力強く弾けるから、地に足の着いた音楽になります。
 
しかし、雅なハープが、旋律にオブリガートを添えることで、通奏低音から解放され、全体が宙に浮いているような印象があります。
 
フルートも浮遊感ある響きなので、明るい光の世界を、迸る水が駆け抜けているような、重力から解放されたような世界になったのでしょう。




この作品は、ドビュッシーの晩年、 1915年の作品です。


 
ドビュッシーは、前年に始まった第一次世界大戦に、ショックを受け、殆ど仕事に手がつかなく待ってしまいます。
 
彼は、よく言って、まあ非常に愛国主義的な人間であり、病に倒れつつも、ようやくこの年になって、自分にもできることを、と猛然とピアノ曲『12の練習曲』等の作品を創り始めます。
 
そんな中で、様々な楽器による6つのソナタが計画されます。


・チェロ、ピアノ
・フルート、ヴィオラ、ハープ
・ヴァイオリン、ピアノ
・オーボエ、ホルン、クラヴサン
(計画のみ)
・クラリネット、ファゴット、
トランペット、ピアノ(計画のみ)
・ピアノアンサンブル(計画のみ)


前半三曲のみが残されたものの、どれも興味深い構想です。残された三曲は、意識的に「ドイツ的な」4楽章のソナタを避け、自由な着想による曲となっています。ドビュッシーは、1918年に亡くなっています。




晩年の三つのソナタを比べると、チェロソナタや、ヴァイオリンソナタは、自由な動きとはいえ、かなり暗い曲調です。
 
チェロソナタの第二楽章など、グロテスクな冒頭のチェロの旋律は、殆どジャズのベースソロの趣であり、引き締まったモノクロの、前衛的な曲調です。
 
『フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ』だけが、ファンタジックで極上の色彩を持っています。




元々ドビュッシーは、色彩感豊かなオーケストラの名手でした。名曲『牧神の午後への前奏曲』や、交響詩『海』等で、その素晴らしい腕前を刻み付けています。

 


楽器のそれぞれの特性を生かした旋律を創りあげられるということは、楽器が限られると、その楽器の特性に引っ張られるようなところがあるのではないか。
 
どこか単色の絡みになってしまうヴァイオリンやチェロのソナタは、その硬質な音の通り、微かに哀感と淋しさのある旋律となる。
 
フルート、ハープという、軽やかで色鮮やかな音色の楽器だからこそ、その音色のポテンシャルを最大限引き出すような、幻想的な絡み合いをする音楽になったと思うのです。
 
残された構想の、特に管楽器を使った曲だったら、どんなに色鮮やかな音楽が生まれただろうか、と妄想してしまいます。




この曲が描く世界は、プリズムを通した色とりどりの光の世界、光に照らされた水が流れを変え、夜と昼が交差する、この世を超えた世界です。
 
きっと、誰にも、この世の外を想像して投影するような作品が存在するでしょう。私にとっては、ドビュッシーの、このソナタがその一つです。是非一度、その濃密な美の世界を体験いただければと思います。
 


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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