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言葉の炎がゆらめく -ウィリアム・ブレイクの詩と絵画の魅惑


 
 
文学作品と絵画、両方のジャンルを高いレベルでこなせた芸術家はそう多くありません。ウィリアム・ブレイクは、そんな数少ない、詩人・画家です。
 
そして、彼の中で、この二つは緊密に結びついています。どちらかが余技ではない。ある意味、どのジャンルにも属さない、稀な芸術となっています。




ウィリアム・ブレイクは、1757年、イギリスのロンドン生まれ。幼い頃から絵画の才能を発揮し、版画家の元で学んで銅版画の技法を身に付けます。


ウィリアム・ブレイク


幼い頃から幻視体験のある子だったらしく、父親が弟子入りを薦めた画家を「あの人はきっと首を吊られて死ぬからいやだ」と拒否しています。この画家はその12年後に、文書偽造で絞首刑になりました。
 
ロイヤル・アカデミーの教育を受けるも、全く肌が合わず、すぐに退学。その後は身に付けた銅版画の技術を生かし、出版社の挿絵を手掛けて生計を立てています。
 
可愛がっていた弟を病気で亡くすも、その弟が夢に出てきて、新しいエッチングの方法を教えてくれた等、幻視体験は生涯のものだったようです。
 
といっても、普段は真面目な人。兵士といざこざを起こしたりと、多少頑固で偏屈なところはあるものの、愛妻家で、弟子にも優しく、好かれていました。
 
詩集『無垢と経験の歌』や、聖書やダンテ『神曲』やミルトンの詩に基づく水彩画や銅版画を残したりするも、生前は殆ど無名で、1827年、69歳で死去しています。




ブレイクの絵画の特徴は、弧を描く肉体の運動です。ミケランジェロに影響を受けた抜群のプロポーションの人物たちが、大胆に肢体を伸ばし、弧を描くように躍動しています。


 

『オベロン、タイターニア、パックと妖精の踊り』
(シェイクスピア『真夏の夜の夢』より


 
そして、植物が絡まるかのように、彼ら彼女らを覆い尽くし、どことも判別できない幻想世界が築き上げられます。
 
そこには小説・映画『レット・ドラゴン』で有名になった怪物もあります。しかし、そうしたものも含めて、何かが悪と名指されることなく、全てが円環の運動の中に収縮していくような、不思議な感触があります。


『巨大な赤い龍と太陽を着た女』
ハンニバル・レクター博士が
登場する映画『レッド・ドラゴン』で
重要な役割を果たす


それは、詩でも同じです。

ブレイクは、平等の信念に基づき、権力や権威を大いに嫌っていました。善による悪の裁きを批判し、『一人の失われた少年』では、少年に対するむごい罰と虐待をする大人たちを糾弾しています。
 
ただし、ブレイクの特異なところは、決して裁く側のみを描こうとしないことでしょう。その詩の冒頭で、少年はこう語ります。


自分を愛するように
他人を愛する人はいないし
自分のように他人を敬う人もいない
思考がそれ以上に
偉大な思考を知ることもできない
 
父さん、どうして僕が自分以上に
あなたや僕の兄弟を愛せるというのか
僕はあなたを愛してはいる
戸口でパン屑を摘まむ小鳥を愛する程度には


この強烈な主張は、ある意味、同情や憐憫をふきとばす力があります。エゴイズムというよりも、ある種の強烈な無垢の、残酷さ。
 
これに対する大人たちの苛烈な反応を含めて、どちらかに感情移入するのを宙づりにし、ラストの強烈なその炎の中に、読者を取り残すのです。


『一人の失われた少年』
(『無垢と経験の歌』より)





また、彼は機械文明や科学も嫌い、『ニュートン』という興味深い絵を残しています。


『ニュートン』


同時代人の科学者ニュートンを揶揄したこの絵。物質界を象徴する苔のはびこる岩に腰掛け、暗い海の底で、男がコンパスで何かを測っています。

男は天を見あげることなく下を向き続け、現実以上のヴィジョンを見ようともしません。
 
しかし、この絵は揶揄と呼ぶにはあまりにも美しい絵です。男の穏やかで知的な表情は、本物のニュートン以上に(?)、知性と科学の良識をも示しているようにも見えます。
 
また、男が扱うコンパスは、流麗な円環運動が主のブレイクの世界の中では、線を規定する重要な道具です。

有名な『日の老いたる者』の老人の手の先が、ヨーロッパを光で規定するコンパスになっていたように。そこには、科学に対する深い理解すら感じます。


『日の老いたる者』
(『ヨーロッパ』より)


 
これは幻視的な作家や画家の特徴でもありますが、とにかくこの世のあらゆる事象を掴んで刻み付けようとするため、段々と善悪の対立が曖昧になっていきます。

どれほど批判しようと、事象の特徴を掴んで詳細に描くと、そこに優劣はなくなり、全てが神秘で輝きだすのです。




そんなブレイクの思考を最も表したのが『無垢の予兆』という詩でしょう
 

一粒の砂の中に世界を
一輪の花の中に天国を見て
きみの手の中に無限を
ひとときの中に永遠を掴む


 
世界や永遠といった巨大な概念が、そのまま、ささやかな現実に繋がっている。対比となる二つの概念を認めつつ、それらは決して対立することなく、「見る」ことや「掴む」ことの運動の中に溶けていくのです。




ブレイクの作品は炎のようです。あらゆる要素を混ぜ合わせ、熱によって全てが燃え上がって、光を発していく。
 
その光こそが、彼のヴィジョンなのでしょう。言葉も、線の運動もあらゆるものを溶かして燃えていくため、ジャンルの垣根も、伝統の継承もない。
 
それはおそらくは、アンリ・ルソーからヘンリー・ダーガーに至る一連の幻視的な「アウトサイダー・アート」の先駆けとも言えるでしょう。




ただ、ブレイクに関しては、決して、同時代から背を向けて隔絶した芸術ではなかったことも指摘しておきたいと思います。
 
『無垢と経験の歌』の文字と絵が融合した美しい色彩版画は、イギリスの最新の出版技術によるものです。また、子供の重労働も当時のロンドンで大問題になっていました。
 

『聖木曜日』
(『無垢と経験の歌』より)


18世紀後半から19世紀初頭というブレイクの人生は、そのままイギリスの産業革命が進んだ時期と重なっています。

彼の作品にはその物質文明からの逃避の部分と、人間から離れた機械が織り成す驚異的なパワーへの魅了の両面があります。


『愛慾者の園』(ダンテ『神曲』より)
蒸気機関のタービンに見えなくもない
死者たちの魂の形状




ブレイクは、生まれも育ちもロンドンであり、亡くなったのもロンドンです。一度田舎に引っ越したことはあるのですが、妻は体調を崩し、先に挙げた兵士とのいざこざもこの時起こり、すぐにロンドンに戻っています。
 
生粋のロンドンっ子であり、彼の死の10年後、ヴィクトリア女王によるヴィクトリア朝が始まり、イギリスは絶頂期を迎えることになります。
 
当時の最先端の、活気に満ちた世界があったからこそ、その強烈なエネルギーを映して、あの幻想世界を産み出したようにも思えるのです。
 
そんな風に多角的にブレイクの作品を見てみると、彼の「ヴィジョン」もまた、より輝きを増して見えてくるかもしれません。
 
 


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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