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【創作】ショパンが書いた恋愛小説【幻影堂書店にて】


 
※これまでの『幻影堂書店にて』


 
 
光一は、薄暗い書店の中で、ぱらぱらと本のページをめくった。
 
訳の分からない外国語のような文字が並んでいる。全く理解することはできない。光一は本を棚に戻した。
 
「やあ、来ていたんだね」
 
ノアが、上半身程もある大きな蓄音機をもって、奥の個口からやってきた。光一は、ノアを手伝って半分持ち、二人でカウンターに置いた。ノアは、店の灯りをつけた。
 
座ってお茶を飲みながら、やはりここにある本は、ノアと一緒でなければ読めないのだと思った。彼女の力のようなものに連動している。それが、ノアが店に戻る一瞬で分かったことだった。




光一はノアに尋ねた。
 
「この蓄音機で何か聞くのかい?」
 
「ああ、レコードの入荷もちょくちょくあるからね。これはレコードもCDも再生できる優れものだ。君が好きな音楽は?」
 
「分からない。表の世界で何が好きだったのかも特には思い出せない。君は?」
 
「私はピアノの演奏が好き。クラシックでもジャズでもいい。ピアノの音色は心を落ち着かせてくれる。懐かしいような気持ち」
 
それは、ノアの「表の世界」に関係しているのだろうか、と光一が思う間もなく、ノアは言葉を続けた。
 
「そうそう、ピアノと言えば面白いものが入荷したよ。いや、面白いのは存在自体かな」
 
ふっと手を蝶のように振ると、奥の棚の方から、するすると赤い表紙の本が飛んできて、ノアの広げた手のひらに収まった。
 
「ショパンの小説。あの作曲家が生涯唯一書いた小説だ」




既にピアニストとしてデビューを果たし、皇帝の前で演奏するほどの腕前だったフレデリック・ショパンは、1830年、20歳で祖国ポーランドを出国すると、パリに活動の舞台を移すことになる。
 

フレデリック・ショパン


徐々に上流階級での評判も上がっていく中、1836年にサロンで女流小説家ジョルジュ・サンドと出会い、恋人関係になっている。サンドは、煙草を吸ったり男装したりすることで有名な、新進気鋭の作家だった。
 
「そんなショパンが、1846年に自分たちをモデルに書いた恋愛小説だ。ポーランド語で書かれ、ポーランドの友人に託されたもので、出版されることはなかった」
 
「それは貴重だな。音楽家が書く小説なんて想像がつかない。面白そうだ」
 
「まあ、読んで御覧」




ポーランド生まれのピアニスト、ユゼフ・クルゼツスキは、ある演奏会の後の楽屋で、いつも演奏会に来てくれるコンコールド伯爵夫人と親しく話す。
 
ユゼフは、年上の女性小説家マリア・ドロワと付き合っているが、仲は冷めきっており、彼女の愚かさや、思春期を迎えた彼女の連れ子からの干渉に悩まされている。
 
伯爵夫人と急速に親しくなるユゼフだが、それを見て、マリアは嫉妬をして、コンコールド伯爵に、二人の仲を悪意で歪めて書いた、匿名の手紙を出す。
 
誤解が重なり、伯爵とユゼフは決闘をすることになる。ユゼフの胸に弾は命中し、伯爵夫人の腕の中で息を引き取る。「僕の遺体はポーランドの大地に埋葬してくれ」という言葉を残して。




「うーん」
 
「ご感想を、どうぞ」
 
「いや、これは。。。余程ジョルジュ・サンドに鬱憤が溜まっていたんだろうな、としか。。。」
 
「まあ、その通り。実のところ、この本には、ある意味『元本』がある。それが、ジョルジュ・サンドの1846年の小説『ルクレチア・フロリアニ』だ。
 

ジョルジュ・サンド


『ルクレチア・フロリアニ』は、嫉妬深いポーランド貴族カロルと、年上の女優ルクレチアの仲を描き、カロルによって、ルクレチアが破滅に至るという話。

この本の二か月後に、彼はこの原稿を書いている。もう、『ルクレチア』をそっくりそのまま入れ替えただけだね」
 
「つまり自分を悪く描かれたことへの、復讐というか」
 
「意趣返しというか。ショパンとサンドが、お互いどのような状態になっていたのかが、よく分かるね」




『ルクレチア』をサロンでサンドが朗読した時、ショパンは自分がモデルになっているのに気付かず、称賛を送るだけだった、信じられないと、親友の画家ドラクロワは回想している。

「でも当然、気付いていないわけがない。自分の本心を悟られないよう、ふりをしていただけなのは明らかだろう。
 
ショパンは、生涯、人に本心を打ち明けない人だった。内向的でもあった。
 
彼が祖国を出た直後に、ポーランド革命が鎮圧されている。革命に共感しつつ、戦禍の祖国を逃れて、パリのブルジョワ相手に主にピアノのレッスンで稼いでいた。


(※練習曲12番ハ短調『革命』 )



 彼はリストのように強烈な演奏でツアーするほどの体力はないし、作曲の出版でもなかなか稼げない。彼のレッスンの上客で、後援者の一人には、資産家ロスチャイルド伯爵の夫人もいるよ。
 
異邦人で、ブルジョワ相手にレッスンで暮らす革命主義者という屈折した立場では、本音を言うなんてできなかっただろう。
 
実際のところは、自分が書いた小説と違い、上流階級のご夫人とのロマンスなんて全くなかった。だからこそ書いたのだろうし、ある意味、サンドに惹かれたのは、反抗的な部分で通じるものがあったのかもしれないね。
 
レッスンでは、鉛筆を何本も用意して、生徒が間違える度に、黙って手元で一本ずつ折っていたという逸話もある。この『小説』はそんな『鉛筆』の一つと言えるかもしれない」




「あんなに愛らしくて優雅な曲を書いているのに」
 
「そうだね。つまり、この小説は、逆説的に、彼の音楽がどういうものかを示しているとも言えるね。

彼の曲のポエジーは、物語や彼の人生とは結び付いていないということだ。
 
オペラや、映画、ある種の神話画のように、物語との相乗効果で輝くような芸術は、古今東西沢山ある。そうした作品の創り手とは、ショパンは違う資質を持っていたということだ。この本の付録には、彼が友人宛に書いたこんな手紙も残っている。


大変ばかげた試みでしたが、私はとても楽しかったです。頭が爽快になりました。これで、いつもとは少し違ういい曲が書ける気がします。普段使わない筋肉を使って練習した後で、いつもよりも滑らかな演奏ができるようなものです

 
「そうしてこの後には、彼にしては珍しい、チェロソナタを書いているね」
 
「その意味では書いた意味はあったわけだ」
 
「そうだね。

そうそう、ショパンは、自身の音楽理論について本を書かなかった。

この小説冒頭の、演奏会が終わった楽屋での伯爵夫人との会話は、珍しい彼の作曲論・演奏論であり、音楽論になっているね。書くことで、自身の考えをまとめるきっかけになったのかもしれない。
 
そんな意味でも興味深い小説だ。まあ、口直しに、彼の名曲を聴こうか。19世紀生まれの名ピアニスト、アルフレッド・コルトーの弾くワルツ集だよ」





ノアが蓄音機にレコードを置き、ぱちぱちというノイズから、澄んだピアノの音が流れてくる。目を閉じて楽しそうにハミングするノアを見ながら、光一は先程の光景を思い出していた。
 
ユゼフが決闘の凶弾に倒れた瞬間、何かノイズのようなもの、明らかに19世紀のパリではない映像が、彼の脳裏に侵入した。
 
それは黒い服を着て眼鏡をかけた男だった。
 
彼の顔には、どこかノアの面影があった。大きな剣をもってこちらを見ている。そこは未来の都市のようだと思った。彼は何かを伝えようとしているように思えた。
 
未来のはずなのに、その場所に強烈な既視感を覚えた。この書店ではないどこかに、繋がるように思えた。

時空が歪んだような、本の光景とは異質な映像を見たのは初めてだった。




そして、ノアはその映像に気づいていないのだろう。何も言及しない。

いや、もしかしたら、知っていて言及しないのか。いずれにせよ、これは自分の中に仕舞っておこうと光一は思った。

自分がなぜここに来ているのか、本当は何者なのか、今ほど知りたいと思ったことはなかった。
 


 
 
 

(続)


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイや作品で
またお会いしましょう。


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