見出し画像

【創作】ダ・ヴィンチの『吸血鬼』 第1話


(※)今までのシリーズはこちら




カストルプ氏と芸術作品を探していった中で、ダ・ヴィンチの『吸血鬼』という絵画のことは、印象深く残っています。その顛末と、妙な細部が、今でも時折浮かんでくることがあります。



私が法律事務所で働き始めたある日、カストルプ氏の屋敷に行くと、マルガレーテが彼の書斎に案内しながら、私に話しかけてきました。
 
カストルプ氏の前では、いつも澄ましたような真面目な顔のマルガレーテですが、なぜか私と二人になると、緩んだ表情で、饒舌に話しかけてきます。といっても、大抵彼女の日々の他愛ない雑感をまくしたてるだけです。この日もそうでした。
 
「ミチキさん、私、最近ですね、ドレスが欲しいんですよ。ずっとカタログばかり見ていて」
 
「はあ、それはどんな」
 
「モーヴ色の美しい夜会服でですね。金箔もちりばめられていて、モダンであると同時に、どこかオリエンタルな雰囲気のあるドレスなんです。なかなかお値が張るのですが。私の貯金ではなかなか厳しいのですが!」
 
「カストルプ氏に、買ってもらえばいいじゃないですか」
 
「いえいえ、それはできません。旦那様はお金に厳しいのです。給与以外のお金は出さないので」
 
「それが普通ですね」
 
「というわけで、今は絶賛貯金中です。自分の手で稼いだお金で、買いたいですからね。あ、でも、融資はいつでも受け付けております」
 
「どうやら来客がいるようですね」
 
これ以上何を言われるか分からないので、カストルプ氏の書斎の前に辿り着いたのもあり、話を逸らしました。マルガレーテは、今までの楽しそうな顔から、いつもの真面目な顔に戻って、私に言いました。
 
「いえ、ミチキさんが来たらお通しするようにとの、旦那様のお言葉です」



 
中の書斎に入ると、カストルプ氏の向かいに、ダンディな中年の男が足を組んで座っていました。カストルプ氏は、上機嫌に話を聞きながら葉巻をふかしています。私の方を見て手を振りました。
 
「やあ、待っていたよ。今回も君の力を借りたくてね」
 
「私はいつも何もしていませんが」
 
「私の傍にいてくれるだけで力になるのだよ。ディアモさん、こちらはミチキ君。日本から来た私の友人です。こちらのマルガレーテも、私の片腕となって動いてくれるので、遠慮なく話して大丈夫です。

では、その絵の話を詳しく聴きましょう」
 
男性は頷いて、自己紹介をしました。彼はロッコ・ディアモ氏。製鉄を中心としたコングロマリットの会長であり、カストルプ氏とつい最近パーティで知り合ったといいます。
 
「あなたが絵画に詳しく、世に知られていない絵を探し当てたこともある鑑識眼をお持ちだと聞いて、我が家の問題も、解決してくださるのではないかと思ったのです。

私の息子が悪い話に乗っかっていないかと心配でしてね。それも、全く私が聞いたこともない絵画の話を持ち出されたもので」
 
ディアモ氏は、心配という割には、何も心配しておらず、最近の株の動向を話すかのような、落ち着いて自信ありげな様子で喋ります。そして、身を乗り出して、囁きました。
 
「あなたは、ダ・ヴィンチが描いた『吸血鬼』という絵画をご存じですか」




 
「初めて聞きましたな。ダ・ヴィンチというと、あのレオナルドですかな」
 
「ええ、『モナリザ』を描いた、あの。私は絵画には詳しくないけど、それくらいは知っています。ダ・ヴィンチの未発表の油絵というがあると、息子に言われたのです。

しかし、どうもおかしなことに巻き込まれている気がするのです」
 
ディアモ氏は、葉巻を灰皿に置いて、ゆったりと指を絡めて話し始めました。
 
「私には、子供が三人います。長男のシモーネは、まあ、酷いドラ息子でして、学校を何度も放校になっては、私が新しい場所を見つけ出してやると言った始末で。

30過ぎてもまだ定職に就かずに、毎日遊び歩いています。とてもじゃないけど、うちの会社で働ける頭ではありません。
 
妹のニーナは、ロスチャイルド系の金融会社の社長と結婚して、今は主婦になっています。大変真面目な、私の自慢の娘です。
 
一番下のマルコはまだ高校生ですが、非常に頭がよく、ゆくゆくはこの子に会社を与えようと思っています。この子が継ぐときのために、会社を大きくすることだけが、今の私の望みです。

私の妻は亡くなって、後妻はいません。私の家族は、このようなものです。




 
一昨日のことです。私が寝る前に、いつものように、シモーネが私のところに金の無心をしに来ました。フェラーリの欲しい新車があるとかね。勿論私はことわって、追い返そうとしました。すると息子は、物乞いのように、ずるい眼で私を見て、こんなことを言い出したのです。
 
「それはそれとして、父さん、実はすごい話を持っているんだ。父さん、ダ・ヴィンチの絵に興味はないかい?」
 
「ダ・ヴィンチ? それがどうした?」
 
「実はね、ダ・ヴィンチの新発見の絵画があるんだ。『吸血鬼』というタイトルさ。

僕の友達が偶然見つけた。これは大ニュースになるよ。会社にとっての宣伝にもなるし、資産価値も上昇する。公表する前に、僕たちから購入したという形で、今なら格安の金でいいよ」
 
「誰がその絵を持っているんだ?」
 
「ちょっとここでは言えないんだ。父さんがよければ、今度家に呼ぶよ。絵を持ってきてもらう」
 
いつものあの子の戯言のように思えたのですが、不思議なことに、今回はこの話がどうにも頭から離れないのです。それで、カストルプさんが絵画に詳しいことを思い出し、商談ついでに、お話ししたいと思った次第です。いかがでしょうか」


ダ・ヴィンチ『岩窟の聖母』
ルーブル美術館蔵




 
カストルプ氏は、白い顎髭をゆったりと撫でながら、言葉を繰り出しました。
 
「率直に申し上げて、息子さんはあなたを騙そうとしているか、その友達とやらに騙されているかの、どちらかと思いますね。ダ・ヴィンチに『吸血鬼』などという作品があるようには思えないのです。君もそう思うだろう?」
 
私はカストルプ氏の言葉に頷きました。
 
「ダ・ヴィンチは15世紀ルネサンスの芸術家です。『吸血鬼』という存在が一般的に浸透したのは、早く見積もっても、18世紀です。勿論、民間の伝承があったと思いますが。しかし、宗教画が絵画の主題の主だった時代に、民間伝承を題材にするとは思えません。
 
19世紀に出版されたブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』では、東欧の伝承をモデルにしていますが、ダ・ヴィンチは、フィレンツェやトリノといった北イタリアの人です。何というか、一番描きそうにない主題と思えます」

ドラキュラのモデルの一人となった
王ヴラド・ツェペシュ
ルーマニア語で「串刺し公」


 
カストルプ氏も、私の言葉に同意しました。
 
「まあ、本当に新発見の可能性もゼロではありませんな。ダ・ヴィンチは一般的に有名ですが、今でも謎が多い、実は同時代からも、かなり浮いた存在なので」
 
すると、今まで自信満々の様子だったディアモ氏が、少し視線を落として考え込んでいます。何か予想外だったようです。カストルプ氏は優しく尋ねました。
 
「何が気になっているのですかな」
 
「あの子の眼・・・こんなことを言うと笑われるでしょうが、今回あの子の眼は、とても真剣な眼だったのです。いつものように酒で濁っているわけではない、本気の眼。
 
言っていることが怪しいというのは、私にも分かります。私に冗談のような取引を持ち掛けているのですから。

でも、何か、父としての直感が、いや、30年この業界で働き取引している私の経営者の直感も併せて、私に告げているのです。この子の言葉を聞いた方がいい、と。
 
漠然とした話で申し訳ない。お二方の言葉を聞いて、今急にそのことが思い浮かんで。ちょっと、おかしな感じがしたので」
 
カストルプ氏は、首を横に振って、笑顔で言いました。
 
「それでは、こうしませんかな。私たち3人も、その友達が持ってくる絵のお披露目の場所に出席させてください。本物の専門家を呼ぶには忍びないが、私たちはアマチュアなのだから」
 
「そうしていただけるとありがたいです。今度の日曜にパーティーがあるので、そこに呼ぶように、シモーネに伝えておきます。私が言っても、何の説得力もないが、あなたであれば、きっと納得するでしょう」
 
「それで、息子さんとお友達には、はっきりと私の意見を言って良いですかな」
 
「ええ、偽物でしたら、是非容赦なくやっつけてほしいのです。旅費と宿泊費は全て私が出します。この話とは別に、パーティーを楽しんでください。

よかった、少し胸のつかえがとれた気がしますよ。歓迎します。ミラノのわが屋敷を是非楽しんでください」




 
笑顔になったロッコ・ディアモ氏が去ると、カストルプ氏は、ダージリンの紅茶を啜りながら、新聞の株式欄を眺めていました。私は、カストルプ氏に尋ねました。
 
「どう思われますか」
 
「ミラノに旅行は嫌かね。彼は、イタリアでも有数の資産家だから、さぞかし豪華なパーティーになるぞ」
 
「それはいいのですが、まさか本物のダ・ヴィンチが出てくると思っていないですよね」
 
「いや、全く。ただ、気にはなる点はある」
 
「本当ですか?」
 
カストルプ氏は、眼鏡を人差し指ででかけ直して、落ち着いた声で言いました。
 
「一つ。あのロッコは、大変信用のおける男で、父親のコングロマリットを継いで、今や5倍の規模に広げた男だ。当然、数えきれない修羅場を潜り抜けている。息子にも容赦ないはずなのに、今回ばかりはなぜか違和感を抱えている。この手の与太話など、すぐに切り捨てそうなのにな。
 
直感というものを決して侮ってはいけない。恐らく彼は、言葉では説明できない何かを感じている。それが何なのか、パーティーついでに観る価値はあると思う。
 
二つ。偽の絵画で騙そうとするなら、もっと、まともな嘘をつくものだ。ダ・ヴィンチの新発見絵画だったら、聖母だの、ギリシャ神話だの、いくらでも捏造しようがある。よりにもよって、なぜ吸血鬼を持ち出してきた? 絵画に無知な父親だけ騙せても、当然、後で専門家に相談する。
 
ダ・ヴィンチと吸血鬼。これは、騙そうとする人間なら、普通は出てこない言葉だ。

また、これがただの冗談だとしたら、一つ目のロッコの直感が何だったのか、ということもなる。そういう訳で、まあ、話半分に行ってみるのも無駄ではないと思うのだ。君もそう思わないかね」
 
私は勿論、同意しました。ふと横を見ると、マルガレーテが興奮を抑えるかのように、爛々とした目で、来客用のカップを片付けています。カストルプ氏が尋ねました。
 
「嬉しいかね」
 
「お仕事ですからね」
 
少し上ずったマルガレーテの言葉に、カストルプ氏は、穏やかに微笑みました。
 
「まあ、カタログではなく、本物のドレスを見るのも悪くは無かろう」


ダ・ヴィンチ『白貂を抱く貴婦人』
チャルトリスキ美術館蔵



 
 
日曜日、ミラノのディアモ氏の屋敷に私たちは向かいました。

一代で財を築き上げたカストルプ氏と違い、ディアモ氏は、何代も続く名門の資産家であり、屋敷も数倍の大きさでした。ものすごい勢いで喋る、陽気で、どこか怪しい人たちの波に、私は圧倒されました。
 
一方、マルガレーテはというと、すれ違うモデルのような美女たちの服を眼で追って、口角が上がっていました。いつものメイド服で明らかに浮いていて、周りから好奇の目で見られても、お構いなしです。
 
「もう少し別の服を着てくれば、よかったのでは?」
 
「いえ、旦那様に尋ねたら、今回も私の力を借りる可能性はあると。であれば、お仕事ですからね。潜入する時があれば着替えますよ。それに、この服なら、誰にも話しかけられませんから」
 
確かにそうで、おかげで、比較的容易く、人の波を掻き分けて、屋敷の奥のディアモ一族の応接間に行くことが出来ました。




 
応接間には、カストルプ氏と、ディアモ氏と、もう一人若い男性がいました。少しなよっとした印象のある、タキシードを気崩したその背の高い男性が、ディアモ氏の息子のシモーネでした。
 
シモーネ・ディアモは、想像していた遊び人のような感じとは違い、どこか暗い影があるように見えました。シャツの袖がだらしなく汚れているのが、何故か印象に残りました。静かに呟くように、カストルプ氏や、私に向かっても、慇懃に挨拶をしました。
 
カストルプ氏は、部屋の椅子に腰かけて、ワイングラスを手に取りながら、シモーネに語り掛けました。
 
「それで、ダ・ヴィンチの『吸血鬼』とやらを見せてくれるのですかな。どのような絵でしょう」
 
「実は、僕も一度見ただけで、説明するよりもご覧になった方が良いと思います。僕は絵のことはよく分かっていないんです。今、彼が現物を持ってきてくれます。少しお待ちください」
 
私は内心、これは典型的に騙されているなと思い、どのような胡散臭い男が出てくるのか、少し緊張して待ちました。




 
「お待たせしましたね」
 
不意に扉が開いて、男が足早に入ってきました。
 
私は思わず、目を見張りました。小柄なその男は、金髪に抜けるような白い肌、青い瞳の、絶世の美青年でした。やや背が低めで、どこか天使のような、性別不詳なところがある、ラファエロの絵画に出てきそうな、驚くべき美青年です。
 
青年と一緒に、白い布をかけた長方形のキャンバスを持って男たちが入ってきます。彼らが入ると、青年は私たちを見回して、天使のような微笑を浮かべると、澄んだ声で紹介しました。
 
「このような機会を頂き、ありがとうございます。私は、ファブリツィオ・ヴェッティと申します。

この度、私がとあるルートから手に入れた、新発見のダ・ヴィンチの絵画をご覧いただきます。是非この逸品を、私の親友の、名門ディアモ家に収蔵されたく思います。ご覧ください」
 
さっと手を挙げると、男の一人が白い布を剥ぎ取りました。私たちは、露わになったその絵画を見て、息を呑みました。
 



 
(続)



※次回

※この文章は、架空の人物・作品・地名・歴史と現実を組み合わせたフィクションです。



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回の作品・エッセイでまたお会いしましょう。


こちらでは、文学・音楽・絵画・映画といった芸術に関するエッセイや批評、創作を、日々更新しています。過去の記事は、各マガジンからご覧いただけます。

楽しんでいただけましたら、スキ及びフォローをしていただけますと幸いです。大変励みになります。


この記事が参加している募集

私の作品紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?