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熱帯夜の幻想 -映画『ヘカテ』の魅惑


 
 
【木曜日は映画の日】
 
 
夏が近づき、熱い夜が続きますが、夏の夜というのは、どこか、他の季節よりも、ある種の「魔」を誘うようなところがあるように思えます。
 
秋や冬の物思いに耽るのに適した夜や、春の暖かで夢想を誘う夜でなく、湿気と熱気と闇が混ざって、じんわりとこちらに浸透してくるかのような夜。
 
シェイクスピアの名作に『真夏の夜の夢』がありますが、これが他の季節では、あの妖精たちが跋扈する、異様な祝祭空間は出てこないでしょう。
 
ダニエル・シュミットが監督した1982年の映画『ヘカテ』は、そんな魔の熱帯夜を捉えた名作です。





1942年、スイスの首都のベルンの大使館で、フランスの外交官ジュリアンが、豪華な晩餐会に出席しています。
 
彼はグラスに注がれたシャンパンの泡を見て、昔のことを思い出します。
 
白波の立つ船に乗って、北アフリカの大使館に赴任した日。時が止まったかのような、エキゾチックな熱帯の夜。夫がシベリアに駐在して一人無聊に過ごす人妻クロチルドとの、愛慾と破滅の日々を。。。


『ヘカテ』




名手レナート・ベルタによって捉えられた美しい夜や、地中海の白い光が、全編に横溢する、見事な映画。
 
アフリカの熱い夜が青く染まっていく。ギリシア神話の冥界の女神で、魔女である「ヘカテ」のタイトルにふさわしい、魔力に満ちた映画です。




しかし、同時に、ちょっと不思議な感触もあります。この作品のクロチルドは、男を破滅させる、いわゆる「ファム・ファタル」(運命の女)とは違う、ふわっとした存在感があるように思えます。
 
ジュリアンは、捉えどころのないクロチルドに翻弄され、大使館の仕事をさぼり、どんどん堕落して、ぼろぼろになっていきます。かといって、クロチルドが、悪の道に誘っているわけでもない。
 
おそらく、彼女が悪徳の性に浸っていることは示唆されますが、ジュリアンがそこに勝手に嫉妬しているだけです。
 
クロチルドに「何を考えている?」と尋ね、「何も」と返されるやり取りの反復は、徹底的に、クロチルドが無であること、そして、ジュリアンをたぶらかそうとしているわけでもなく、ただ、「冥界の魔女」として、そこに君臨していることを示唆しています。


『ヘカテ』


ノワールやメロドラマで昔から創作されてきた「ファム・ファタル」は、一言で言うと、「男を裏切る女」だと言えます。
 
映画で有名なのは、ビリー・ワイルダーの名作『深夜の告白』のバーバラ・スタンウィックやウィリアム・ワイラーの傑作『月光の女』のベティ・デイヴィス、ポール・ヴァーホーヴェンの『氷の微笑』のシャロン・ストーン等。

男と共犯者になるふりをして、冷たく裏切り、嗤っている氷の美女たち。
 
その頂点のように君臨する存在に、以前書いたジャック・ターナーの傑作ノワール『過去を逃れて』の、主人公を破滅に導くジェーン・グリアもいます。



更に、そうした「男を裏切るファム・ファタル」を逆手にとり、何重にもその存在を倒錯させることで、狂気に満ちた極彩色の迷宮を創りあげたヒッチコックの名作『めまい』もまた、忘れ難いノワール・メロドラマです。


ヒッチコック『めまい』




そうした綺羅星のような「ファム・ファタル」に比べると、『ヘカテ』でクロチルドを演じるローレン・ハットンは、異質です。

ブロンドのゴージャスな美女ですが、角張った顔立ちとスレンダーな身体で、どこか硬質な、美青年のような存在感があります。


『ヘカテ』
ローレン・ハットン


 
その硬質さが、「男を誘惑して裏切る女」ではなく、「夜の貴婦人」(この映画の副題)としての性質を決定づけています。

ジュリアンは、クロチルドではなく、その背後にある熱帯夜の中に堕ちていくような印象を受けるのです。




そして、そこから浮かび上がってくるのは、ジュリアンを取り巻く男たちの、奇妙な絆だったりします。
 
優しく母性的にジュリアンを包むかのような、上司のヴォ―ダブル、そして何よりも、数年後、アフリカとかけ離れた場所で邂逅する、クロチルドの夫。
 
そこにあるのは、クロチルドを巡る嫉妬や三角関係ではなく、まるで、身を焦がすような暑さや、指先を凍らせる寒さに浸って、ゆっくりと死に浸っていく男たちの、甘美な傷のなめ合いのようです。
 
それゆえに、彼らと過ごす一つ一つの瞬間が、愛おしくもどこか暗く、虚ろな響きを持って、凄絶に輝いてきます。


『ヘカテ』


そう考えると、クロチルドは寧ろ、そんな死の空間から、ジュリアンを性とエキゾチズムの夜の活気ある空間に連れ出す、ある種の共犯者なのかもしれません。
 
だからこそ、「ファム・ファタル」と違って、共犯者から最終的に「裏切者」になることはありません。
 
ジュリアンとクロチルドが最後に交わす言葉、そして、その時の二人の表情には、そうした共犯者の友情と晴れやかさが漂っています。是非、実際に映画を観て確かめていただければと思います。




監督のダニエル・シュミットは、こうしたどこか夢幻的な映画を撮り続けた監督です。
 
オペラ的でキッチュな怪作『ラ・パロマ』や、ホテルの跡取り息子だった幼年時代を回想した『季節のはざまで』等、回想と幻想と現実が混じる作風です。


『季節のはざまで』チラシ


 
そんな彼の作品の中でも、特大のエキゾチズムを煮詰めることで、ノワールとかけ離れた、神話的な表情を帯びたメロドラマになったのが、『ヘカテ』です。
 
同時に、実は幻想や主人公の妄想の「映像」の割合が極端に少ない映画でもあります。

それはつまり、第二次大戦という大量の死に抵抗するように、灼熱の夜の底でも生き延びていく彼らの生こそが、どんな幻想よりも色鮮やかであるということなのでしょう。

そして、私たちの生とは、そのように、堕ちながらも生き続けていく時にこそ、輝くということを示しているのかもしれません。
 



今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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