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【日常写真日記#01】濃霧

今日は約200kmほど車で移動した。
朝から雨が降り続き、フロントガラスを叩く雨音が一定のリズムを刻んでいた。どんよりとした天気の中、少し気が滅入る気分だったが、昼過ぎには雨が止んだ。
しかし、空は依然として灰色の雲で覆われ、晴れ間は見えない。天候が落ち着いてくると、山々が視界に入り始めた。

その瞬間、目の前に広がっていたのは、霧に包まれた山々の光景だった。

山にかかる雲。周りは霧ががっている。

濃い霧が山肌にまとわりつき、山頂に向かってゆっくりと登っていく様子は、まるで自然がその息を潜めて静かに息づいているかのようだった。
霧に覆われた木々や岩は、まるで幽霊のように朧げで、何か神秘的なものを感じさせる。普段ははっきりと見える山々が、その姿を隠すことで、逆にその存在感が際立っていた。

霧という現象は、自然の力を実感させる。普段目にしている景色が一瞬にして変わり、全く別の世界へと導かれるような感覚だ。特に山にかかる霧は、どこか神聖で恐ろしさすら感じさせるものがある。
このような霧の中に立つと、普段は忘れがちな自然の持つ圧倒的な力を思い出させられる。

それに加えて、霧に包まれた山を目にすると、自然の静けさも同時に感じることができる。車のエンジン音さえも小さく感じるほどの静寂の中、霧はただそこに存在しているだけで、周囲のすべてを飲み込んでいく。
その中に立っていると、人間がいかに小さな存在であるかを痛感する。

一方で、その静けさは不思議な安らぎをもたらす。都市の喧騒や仕事の忙しさを忘れ、ただこの瞬間だけに集中することができる。
霧の中では、遠くの景色がぼやけ、視界が狭まるため、目の前のことに集中せざるを得ないのだ。このような環境に身を置くことで、心が落ち着き、リセットされる感覚がある。

自然の持つ美しさと恐ろしさ、この二つが同時に感じられる瞬間が、今日の山の風景には詰まっていた。私たちは日々、テクノロジーや人間の力で何でも制御できると思いがちだが、こうした自然の光景を見ると、私たちがいかにその一部でしかないかを再認識する。雨が止み、霧が山を包み込むその瞬間、私はただその美しさに圧倒され、自然の偉大さに敬意を抱かざるを得なかった。

次の目的地に向かうためにエンジンを再びかけると、霧が少しずつ晴れ始め、山の輪郭がはっきりと浮かび上がってきた。短い間だったが、この自然の一瞬を心に焼き付け、今日の旅を終えた。


あとがき

読んでいただいてる方、ありがとうございます。
あ〜とでございます。今日から、写真や文章を書く練習の一環としまして、一日一枚一記事を目標にしてみようかと思います。
正直継続させるのが一番苦手な事ですので、暖かく見守っていただけると幸いです…
どうぞよろしくお願いします。

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