20代の頃、鉄鉱石から鉄をとり出すという小さな行事に参加したことがある。
いわゆる「たたら製鉄」で、主催の方お手製の練炭サイズの炉に鉄鉱石やら何やらをつめて
一緒に燃やした。
実際のたたら製鉄では粘土製の炉を使うのだがこのときはそうではなさそうだったことや、
鞴(ふいご)がなかったので、うちわで酸素を送り込むものの思ったように火力が上がらなかったことを記憶している。
それで、想定以上に時間がかかり、ようやくとり出してみればそれは私が思い描いていた鉄ではなかった。
掌で握れるほど大きい、丸められた消しゴムのカスみたいな灰色の球形のかたまり。
てっきり美しい銀色が炎の中から現れるものだと思っていた若かりし不勉強の私は、
主催や他の参加者の方の「屑鉄」という言葉をそのまま鵜呑みにした。
そのようなことをはたと思い出したのは、人間とともにはたらく馬の存在を知ってからである。
先日も付き合いのある酪農家のKさんとあれやこれやと話をしていたら、
自伐林業の馬搬の話になった。すると「うちにもあるけど、見るか?」と言う。
「見ます、見ます!」と私は調子よく二つ返事をくり出した。
かつて、田の代掻きの相棒としてここにも馬がいたらしい。
Kさんいわく、昭和30年代にヤンマーの耕運機が発売される前、
Kさんの子ども時代には当たり前のように馬と一緒に仕事をしていたとのこと。
今は馬はおらず、残るのは道具ばかりで、
このときも梯子をのぼった先の屋根裏の納屋の片隅で、
乾いた藁草をかぶるようにして影と同じようにしてしまわれていた。
私たちはくるくると馬具を持ち上げ置き換えては
どちらが前だろうか横だろうかと何も知らぬ呆け者よろしく視線をあちこちから注いでいた。
それは、U字とV字のちょうど中間のような字を逆さまにした形をしており、
馬の胴体にかぶせ、それに革紐や鎖などで馬耕や馬搬のための道具をつないだものと推測された。
木製のものはより古く、鉄製のものは比較的新しいのだろうか。それとも逆だろうか。
今ではKさんですら、誰にも答えはわからない。
馬につなぐ代掻き用のくわやそれらを結ぶ鎖や鉤、馬蹄。
見せてもらったものの中には木製の馬の胸当て(ハーネスだと推察する)の補助固定としても鉄が使われていた。
鎖にいたっては、一つ一つの輪がいびつで一つとして同じものがなく、それぞれの継ぎ目もつぶさに熱で閉じてある。
当時の鍛冶屋の手元の炎が見えるようだ。
大量生産される前の鎖には、人の念がこめられているように思う。
アウラの喪失(ベンヤミン)、という言葉が生まれた理由もここでわかる気がした。
そして「ヒッタイト」。
馬あっての鉄であり、鉄があっての馬なのか。
ここ岩手に住む上でばらばらだったこと(鉄器やチャグチャグ馬こ、駒形神社、曲がりや云々)がつながり、私の中で筋が通った。
文化とはすべからくそういうものだ。
かつて見た「屑鉄」は、本当に屑だったのだろうか?
何も技術をもたぬ私たちがただ捨て鉢に名を与えただけかもしれない。
すべてに敬意を。
余談だが、このところフィールドワークをするたびに手のひらサイズのミクロな気付きからマクロの歴史や文化観(特に用語だけで暗記していた物事について)いついて腑に落ちることが多く、私は楽しい。
その他のフィールドワークの記録はこちら
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