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全う(食べること)

足を縛られ吊り下げられたニワトリの

頸筋は、ことの異常を察してか羽毛が毛羽立ち皮膚が隆起し

素人の私でもわかった。ああ、あそこに頸動脈があるのだな、と。

こどもを含めた人間たちの好奇、不安、憐憫の眼差しに晒されて

その場は一体となり、Kさんの小刀がぶすりとそれを断ち切ることを待ち望む空気であった。

この輪から少し遠く離れたところでは、Kさんの奥さんが

一心に手を合わせて目をつぶり念じていた。感謝か、謝罪か。

この目の前のニワトリをこれから食する私たちにも

まず何より最初にあのような専心、儀式のようなものが必要だったのかもしれないと私は冷ややかに思ったが、

祈りの権化は集団の中に一人いればいいだろう、と勝手に役割を担わせて

私の視線はニワトリに戻った。まだ生きている、がまもなく刃がそれを断つ。


大きな血管を切られたニワトリは、バケツの中にどくどくと血をたらして

最初こそからだをばたつかせていたが、やがて動かなくなった。

羽毛の豊富さに見紛うていたが、ニワトリの体は想像していたほど大きくなかった。

血管を通してこの体をめぐっていたであろう血液の総量と、バケツにたまった血とを見比べ、

死ぬということの物理的因果に納得した。冷徹な観察者のような有様。


血抜きは終わった。次は、羽毛を除去しなければならない。

60度以上のお湯を用意し、脚をつかんでからだごと浸し、すぐに引き上げる。

それだけで、羽毛はぷつりぶすりと簡単に抜き取ることができる。

私たちはゴム手袋を与えられ、全身の羽毛を手作業で抜き取った。

先ほどまでは生き物であったのに、羽毛をとられていくにつれ、

見慣れた鶏肉になっていくのは何とも奇妙に思えた。

それどころか、60度とはいえお湯につけられたニワトリは

早くも茹で鶏のようなにおいがする。

食うて生きるか死んで食われるかはある意味同義だと思った。

羽毛をむしるのは、大人だけでなく、その子どもたちもやっていた。

幼子に見せるだなんて残虐な、と指摘する人もいるかもしれないが、何も知らせずにスーパーの肉を食わせるのもどうかと思う。


吊り上げられた足を頂点として、尻、胴体、翼、首と下方に向かって順に羽根をむしっていく。

すると、その先にはもちろん顔がある。

私はおっかなびっくり顔をもちあげる。

眼はとじられていて、安心した。

ところが生きていた頃には真っ赤であった立派なトサカはすっかり白くなっていた。

白きトサカに触れてみると、思いがけず硬かった。

トサカにはりめぐらせれた毛細血管は今や空っぽで、一滴たりとも血は残っていないのか。

熱は失われ、酸素も止まる。

私は生きていたのだぞ。

「ごめんなぁ」と思わず私は口にした。


なたで首を断つ。

ひと思いにやれればいいものを力加減がわからず何度も刃を当てぶつ切りにしてしまった。

もう死んでいるにもかかわらず、痛々しくて申し訳ない気持ちになる。

それで、私たちは先ほどまでニワトリだった肉を解体し始めた。

教えてくださったのは、30年以上ブロイラーの精肉工場で働いていたというおばあさんで、

「だあれ、ずいぶんモウロクしてしまったもの~」と言いながら、

ニワトリのからだの構造を瞬時に把握し、的確に包丁をいれていく。

解体前のニワトリを初めて目にした私たちの多くは、

どこが何やらまごまごしてしまう。

手羽の付け根の軟骨だの、皮のつながり方だの、ササミの位置だの。

あのときは、その都度聞いてわかったような気になっていたが、

今思い出して記述しようにも全く記憶に見当たらない。

そもそもはじめはどこに包丁をいれるのだったか。もう一度、機会がほしい。


部位別の肉の解体だけでなく、内臓の把握も私は大いに学んだ。

解体したニワトリは4羽いたが、そのうちの2羽は腹の中に卵があった。

腸管から肛門につながる管が途中で卵管に枝分かれしていて、その管の膜に隠れるように卵があった。

卵をとり出したときのあのゆれる心をなんと言葉にすればよいのか。神聖、神秘というのは違う気がする。誰かの言葉をそのまま借りただけのようで。

この卵は外殻はできていたが、試しにふって耳をあてても卵黄がはねる音はしなかった。

未知だ。どうなっていたのだろう。

卵は持っていないが、卵のもとである黄体をいくつも蓄えているニワトリもいた。

真理は本より奇なり。


心臓は思っていたよりも小さかった。

バケツに注がれた血や、真っ白になったトサカから

私はもっと大きな力強い心臓を想像していた。けれど、実際にはミニ四駆のモーターほどの大きさでしかなかった。

小ぶりなニワトリとはいえ、あの体躯をこのモーターが全て動かし、生かしていたと思うと

生き物の体は本当にすごい。

ニワトリのトサカは、農場の野良猫たちがくわえて持って行ったと誰かが言っていた。


解体した肉は、参加した方々と一緒にバーベキューにして食べ、

残ったお肉は持ち帰った。

むね肉はローストチキンにして食べた。その他の小さな部位(心臓、せせり、ささみ、卵黄など)も同じく調理していただいた。砂ぎもについても語りたいが、これは味ではなく、いかにKさん宅のニワトリがいいもの(主にお米)を食べて生きていたかということについて。

もも肉は薬膳スープにして食べた。

4、5年生きていただけあって、筋肉質でとても固い肉だったが、それでいいのだ。

スープの油がとても美味しく、

あとから母がスーパーで購入した鶏肉で同じレシピでつくってもこうも美味くはならなかった。

鶏ガラや軟骨、その他のあらは、ニンニク、ショウガ、ネギ、あさつきなどと煮だしてスープにし、

溶いた卵とごはんをあわせて雑炊にした。好物のコショウを好きなだけかければ尚うまい。

とにかく、隅から隅までこそぎ落とすようにして、いただいたすべての肉を美味しく食べた。


「いただきます」

「いただきます」

「いただきます」


「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」


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