32歳、女性、独身。自分の感受性くらい。
「自分の感受性くらい」
数年前のわたし、そこは国分寺にある夕陽の綺麗な喫茶店。
階段の本棚で、その言葉が目にとまり手に取った。
背表紙の文字。
「自分の感受性くらい」
茨木のり子さんの詩集だ。
国語の教科書にも載っていたというこの詩だが、私は子どもの頃に読んだ記憶はない。
最近になって、新しいキャッチーな装丁でまた出版されていたこともあり、広く知られた詩であろうか。
1977年、茨木のり子さんが51歳の時に発表されたものだという。
私は、「感受性」という言葉に、子どもの頃からどこか特別なものを感じていたというか。なんとなく、自分ごとに思う言葉だった。
なので、この背表紙に惹かれるのは当然だったのかもしれないが、自分の感受性“くらい”、その後に何が続くのかは全く想像できなかった。
そしてそれは、意外性と、納得感と、そう、孤独感を持って私の中に残り、矛盾するようだが、それは私を今も勇気づけてくれている。
何を隠そう(誰に)、私は現在、32歳、独身女性である。
結婚がどうとか、何がどうとか、今ここで語るつもりはないのですが、最近ひとつはっきりと、ふと思ったことがある。
私はこの歳まで一人でいたことを、誇りに思う。
(この歳まで、というのはネガティヴな意味などではなくわかりやすくする為の言葉のチョイスだ。)
見栄に聞こえるだろうか。
(それならそれまでだ。)
私は、自分の感受性を守るため
ひとりでいる
それを守れるひと
一緒にいても、それを自分で守れるひと
といたい
のかもしれない
そんなことが頭に浮かんできた。
もちろん、今までそのような出会いが全くなかったとはいわない。ここが自分の居場所だと感じたこともあった。
だが結局、偽ること、自分を欺くことはできない、という思いが勝るに至った。
自分の感受性は
自分で守る
自分で守ってあげる
それは独りよがりだろうか。孤独だろうか。
正解だろうか。当然だろうか。
茨木のり子さんはこう書いた。
自分の感受性くらい
自分で守れ ばかものよ
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