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四月一(小説家)
2019年4月16日 19:10
彼女の物語の残した余韻は、作家である私を試すかのようにずっと宙を漂っていました。でも、その後、彼女と会うことはありませんでした。 私は何度も中野のアパートへ行こうと思いましたが、その度に何か理由をつけては足を遠ざけました。安易な言葉や簡単な優しさを与えるのが怖かったのです。或いは私には彼女の悲しみを背負っていく覚悟がなかったのかもしれません。彼女からも連絡はありませんでした。 そして、気付か
2019年4月9日 20:46
明け方、目を覚ますと隣に彼女はいませんでした。 少しだけカーテンが開いていて、そこから夜明け前の薄く伸ばした光が入り込んでいます。アパートの二階、彼女の残り香がするクリーム色のタオルケット。薄明かりに晒された部屋は六畳くらいの大きさで、壁がところどころ剥がれていて、彼女の持つ雰囲気とはかけ離れた質素なものでした。立ち上がると、「起こしちゃった?」とカーテンの向こうから声がしました。 目を向け
2019年4月2日 21:55
ネオンと喧騒の渦巻く新宿。 美瑛は以前と同じ店の同じ席に座っていました。声をかけると、先ほどの電話の声とは対照的な明るい声で私に礼を言い、またあの素敵な笑みを見せました。その頬は薄く赤らんでいて、少し酔っているようでした。「いつもこんなに飲むの?」と尋ねると、「私にもそういう日があるのよ」と言って、またグラスを口へ運びました。 その後も彼女の様子は変わらず、終電の時刻が近づいた頃、私は「そろ
2019年3月26日 20:17
年が明け、春が終わる頃、示し合わせたかのようにいくつかの連載の話が舞い込んできました。私は胸にいつまでも残る異邦の感情をなんとか作品にできないかと、何度も何度も文章を書いては推敲し、自分の表現を模索していました。 当時、私の書くものへの評価は大きく二分されていました。自由な文体に漂う叙情的な感情の流れを新しいものだと評価してくれる人たちと、非構成的で散漫な文章からは何も見出せないと厳しく批評す
2019年3月22日 18:27
それから、ひと月と経たないうちに美瑛と私は再び出会いました。ある夜、赤提灯が揺れる新宿の酒場で偶然、彼女と居合わせたのです。少し酒が入っていたものの、私は一目で彼女に気づきました。彼女はモデルのような煌びやかな容姿をしているわけではないのですが、どこか他人とは違う、一度見たら忘れない、人を惹きつける不思議な雰囲気を纏っていたのです。それは、とても静かで、どこか神秘的で、勢いのままに触れたら壊れて
2019年3月12日 21:43
ミエは漢字では“美瑛”と書きます。 美瑛と出会ったのは出版業界の関係者が集まるとあるパーティーの場でした。その頃、私はまだ二十代で、ようやく自分の書いたものが文芸誌の片隅に載り始めた頃でした。 季節は冬で、パーティーは品川のホテルで行われました。 煌々と灯るシャンデリア、華やかに彩られた会場でシャンパンを片手に語り合う文士たち。周りにはベストセラーを何作も出しているIさんや、政界でも活躍
2019年3月5日 20:54
ヴォネガットは自著でこう述べています。 「私が言いたかったのは、シェイクスピアは物語作りの下手さ加減に関しては、アラパホ族とたいして変わらないということだ。それでもわれわれが『ハムレット』を傑作と考えるのにはひとつの理由がある。それは、シェイクスピアが真実を語っているということだ」と。 この言葉は私を勇気づけました。 “然るべきタイミングに然るべき心持ちで書く”これが私にとって最も大切