四月一(小説家)

"毎朝5時15分に起き、こおひいを点て、小説を書いています" ・本が好き(風の歌を聴け、金閣寺、銀河鉄道の夜) ・こおひい(濃いめ浅めともに) ・ウヰスキー(ニート)

四月一(小説家)

"毎朝5時15分に起き、こおひいを点て、小説を書いています" ・本が好き(風の歌を聴け、金閣寺、銀河鉄道の夜) ・こおひい(濃いめ浅めともに) ・ウヰスキー(ニート)

    マガジン

    • ☕️こおひいのおと〜珈琲を飲んで浮かんだ散文🖋

      毎週末の朝、珈琲を飲んで浮かんだ散文をお届けします

    • テレグラフにいた

      ボリナス・アールビーをご存知だろうか? 友を失い、恋人を失い、僕は再び東京へと帰る。 十九歳と二十九歳。 東京とサンフランシスコ。 ふたつの五月から十月までを描いた青春小説。

    • 五月の5日間

      平成から令和へ。 遥か北の街・ヘルシンキを舞台に、移りゆく時代を跨いだ5日間の物語。

    • ギブソンとマティーニ

      無名作家の私と不思議な魅力を持つ美瑛。ふたりの過ごした一瞬の風のような時間の物語。

    • 夜と海

      夜と海をめぐる四つの散文。

    最近の記事

    八杯目「白と黒」

    雪地の剥がれたところにある詩情 降り積もる白の断層に見る連環 綿を被った老木の荒ぶる根の逞しさ 白を見ると黒が見え 黒を取り込むと 白がより一層美しく感じられる 毎週末の朝、珈琲を飲んで浮かんだ散文をお届けします。 優しい朝を迎えましょう。 フォローもぜひ。 (四月一)

      • 七杯目「畝り」

        里山の澄んだ小川の一角に、 海辺の丘の潮風に、 ジャズギタリストの洗練された指さばきに、 僕らは比類なき躍動感を覚える。 それを今、“畝り”と呼んでみよう。 力強く(しかし強引ではなく)、簡潔である(だが膨大な量の情報を秘めている)。 “畝り”は淀みを掻き混ぜ、解き放つ。 まるで、そう……こおひいのように。 毎週末の朝、珈琲を飲んで浮かんだ散文をお届けします。 優しい朝を迎えましょう。 フォローもぜひ。 (四月一)

        • 掌編「Snowdome」

          「苦い?」  彼女は尋ねた。ラムネ色のワンピースのなだらかな膨らみが途切れる袖口の一寸先。掴んでは離れながらボヤけていくピント。 「苦くは……ないよ」  砕いたビターチョコレートの色した一枚板のカウンターテーブル。ぽってりと白いかまくらみたいな厚口のカップ。七十八度とか、それくらいに曲げられた左腕の親指と人差し指の間にちょこんと顎を乗せて、彼女は不思議そうな目で僕を覗き込む。 「じゃあ、酸っぱい?」 「ううん——」立ち上る思索的な湯気が僕の丸眼鏡を曇らせた。「でも、少し深い」

          • 六杯目「夜の羅針盤」

            無数の夜がある。 そして、いくつかの真夜中がある。 くだらないことが、どうにも気になって仕方ない午前二時。 夢と現実が、本当の意味で正しくブレンドされる午前三時。 すぐにでも港へ出て、航海に経ちたくなる午前四時。 こおひいは真夜中を漕ぎ進める。 その語りは、リアリスティックではないが、決してロマンティックにも寄り過ぎない。 毎週末の朝、珈琲を飲んで浮かんだ散文をお届けします。 優しい朝を迎えましょう。 フォローもぜひ。 (四月一)

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            五杯目「みどりの日」

            はっとした。 娘が髪の毛を緑に染めてきた時は。 その色は美しく、だがやはり少し奇抜で、そして、何よりも彼女に似合っていたのだ。 娘は私を試すようにキッチンで、こおひいを点てる。 トックリ型のサーバー。二つ並んだマグカップ。 私はクッションに埋まり、手元の活字に集中する。 ゆっくりと螺旋を描く湯。 マイルドな苦味と、仄かなフルーツの酸味が漂う。 その日は一日が七、八分ほど長く感じられた。 理由はわからないが、どうにも楽しかった。 毎週末の朝、珈琲を飲んで浮かんだ散文をお届けし

            四杯目「サンセット通り」

            赤道の国のサンセット。 この目がそれを映すことはあるのだろうか? ベランダから街を見て想った。 発進するバスのアナウンス。 誰かのクラクション。 鉛色の空。 身体だけがそれを想い、心だけがここに居ない。 だから、調節する。 言葉の色。 音の持つ映像(イメージ)。 こちらと向こう、向こうとこちら、隔てる何か。 でも、違う。 僕の街にも夕陽はあり、美しい朝があり、泣き出したくなる程の星空が覗くことがある。異国は——自分の外に触れ、侵されることは——ときにそんな可能性を思い出させ

            三杯目「居場所」

            街の匂い。 海の香り。 森の空気。 風が運んでくるものから、僕らはどれだけの情報を手に入れているのだろう? 視覚や聴覚に由来しない、居場所を辿る手立て。 ここに僕の思う“珈琲”の香りが閉じ込められている。 扉を開くと、古い喫茶店、街のスタンド、華やかなカウンター席……いや、大好きだったおばあちゃんの家。 古いカップが奏でるマーチ。 十五時の鐘が鳴り、鳩が歌い出す。 毎週末の朝、珈琲を飲んで浮かんだ散文をお届けします。 優しい朝を迎えましょう。 フォローもぜひ。 (四月一)

            二杯目「真っ赤な蛇苺」

            子供の頃のはなし。 僕はどこかの公園にいる。 四方に高いビルが聳える都市公園だ。 ピンク色のビニールシートには、母親がいて、みいちゃんがいて、みいちゃんのお母さんと、妹と、従兄弟がいる。 僕らは探検に出る。 小さな身体には、都市公園も巨大な平原のように感じられる。 草に顔を埋め、匍匐前進するみたいに進んでいく。 濃い草の匂い。 小さな虫たちの舞い。 そして、目に映る真っ赤な蛇苺。 セピアの陽だまりの中、その色だけが生々しくて、記憶を夢のように曖昧にする。 毎週末の朝、珈琲を

            一杯目「森、土の匂い」

            深い森を抜けると、木々は細くなり、その形がわかるようになった。 光が差し、空が垣間見えてきたのだ。 天を衝く針葉樹の影を飛び出す。 二十メートルほど向こうに川が見えた。 「このまま下流へと向かおう」 そっと胸をなで下ろし、日の当たる場所に腰を下ろす。 土の匂いがした。 新緑が——名を知らぬ小さな苔の庭が——そこにあった。 毎週末の朝、珈琲を飲んで浮かんだ散文をお届けします。 優しい朝を迎えましょう。 フォローもぜひ。 (四月一)

            掌編「たびのはなし」

             バスはゆっくりと走り出す。  夜露に濡れた道を。  どこかの国の兵士たちの号砲がエンジンに火をつけ、パイプの中を水泡の鼓笛隊が行進する。床の下から伝わる微かな振動が水族館の厚いガラスを揺らす。その向こうで舞い泳ぐ魚影。 ●  凛は窓辺にいる。  消灯後の真っ暗な車内では携帯電話も触れない。本も読めない。ヘッドライトの先にある闇夜の道程と同じだけの薄暗い時間がそこにはあった。指先でカーテンをほんの少しだけ開く。そこには数刻前と代わり映えない、光疎らな高速道路の断片が垣間

            テレグラフにいた #50

            # 50  — ノートの切れ端 —  僕の可笑しなヴァレンタイン  情けなくて愛おしいヴァレンタイン  君は僕を心から微笑ませてくれるね  不恰好だし、写真映えもしない  でもね、やっぱり君の歌が、君の言葉が一番だと思うよ  ギリシャ彫刻には敵わない造形  言葉だって少し頼りない  みんなが振り向いてくれることなんてないよなあ……  でも少しだって変わらないで欲しいんだ  僕のそばにいてくれるなら  ねえ、愛しいヴァレンタイン、そのままでいて欲しい  そのままで  い

            テレグラフにいた #48

            # 48  あの時、こうしていれば。  あの時、ああしていなければ。  今はもっとマシだったのかもしれない。  それとも結局、何も変わらないままだっただろうか? 僕がアメリカにいようが、日本にいようが、そんなことお構い無しに世界は進んでいく。  いつかはもっと有益なことを話せるようになるのだろうか? いつかはもっと写実的に語ることができるのだろうか? そして、いつかは語り終えることができるのだろうか? このどうしようもなく無価値で、どうしようもなく愛おしい僕の物語を。  僕は

            テレグラフにいた #49

            # 49  滑走路を飛び立つUA八七五便。左右の翼でバランスを取りながら、機体はゆっくりと上昇していく。少しだけ戻しておいた時間が、その反動でいつもよりスピードを上げて流れていく。結局、小説は未完成のまま、僕はテレグラフを去った。  理由はない。答えもない。ただ、何かをしたくない、抗いたい、特別になりたい、そんな煮え切らない欲望だけが、いくつになってもひっそりと通奏低音のように静かにまだそこにある。情けなくもこうして、何かに縋るようにまだそこに。使い古された言葉はもう踊り出す

            テレグラフにいた #47

            # 47  未来はわからない。終わりはいつもすぐそばにある。  次の火曜日も、その次の火曜日もジーンは学生棟の前に現れなかった。僕は新宿に行き、あてもなく彼女を探し歩いた。駅前では誰もが携帯電話を振り回し、僕と同じように誰かのことを探していた。日が落ち、次第に雨が降り出して、僕はジャズを聴かせる喫茶店に入った。もちろんそこにも彼女はおらず、店内では外の雨音を掻き消すようにチェット・ベイカーの「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」が流れているだけだった。  そして、いつしか僕は彼

            テレグラフにいた #46

            # 46  “OPEN BOOKS”  “OPEN MIND”  壁にそう書かれたブックストアー。入口を抜け、右手の奥にある赤い木の手すりを伝って階段を登り、二階の小部屋の揺り椅子に腰掛ける。日本に帰る前日だった。テレグラフの窓辺、ケルアックもブローティガンもいたこの場所で、僕はいつからか胸の内から消えていったたくさんの声と会話した。  テレグラフに来た時、何もわからない自分がいた。パンとコーヒーを買う事さえもひとつの物語になりそうだった。ひとつひとつ、小さなことに気が付きな

            テレグラフにいた #45

            # 45  — ノートの切れ端 —  考えてみると、僕はずっとひとりだった。  いつからかは忘れてしまったが。  僕はずっとひとりだった。  そして、これからも。  物語が終わるまで。  きっと。 (続く) 二千二十年四月十一日。 少し長い小説を公開します。 これから毎日更新して、多分五月が終わる頃に終わります。