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ギブソンとマティーニ07

 彼女の物語の残した余韻は、作家である私を試すかのようにずっと宙を漂っていました。でも、その後、彼女と会うことはありませんでした。
 私は何度も中野のアパートへ行こうと思いましたが、その度に何か理由をつけては足を遠ざけました。安易な言葉や簡単な優しさを与えるのが怖かったのです。或いは私には彼女の悲しみを背負っていく覚悟がなかったのかもしれません。彼女からも連絡はありませんでした。
 そして、気付かないうちに時代は変わっていきました。
 忙しない日々が続き、私はいつしか文壇のメインストリームと言われるようになっていました。かつてあれほど私のことを批判した者たちも手のひらを返したように私の時代を迎合し、ある時期には、私の文章を模倣したような作品がいくつも生まれました。中には著名な賞を獲ったり、世間の話題を攫う作品もありましたが、そういったもののほとんどが、私には感情の濃度を薄めただけの肉も骨もないようなものに思えました。私はそういった作品を忌み嫌い、自分の次元はもっと高いのだと証明するかのように作品を書き続けました。
 そしていつしか、貪るようにストーリーを作り、とってつけたような仰々しい感情を添えた、ハリボテのような作品が増えていったのです。単調な毎日、ただ、ただ空虚な言葉を書き続ける時間、私にはもう書くことなどなくなってしまったのだと胸の内では途方に暮れていました。

 そんな日々が二十年余り続いたある時、突然、出版社に私宛ての手紙が来たのです。手紙はエアメールで北京の郵便局の消印がありました。封筒を開くと、便箋はなく、たった一枚の写真が入っていました。
 一枚の写真。そこには、どこまでも続く黄緑色の丘と、小さな家と牧場と水車の風景。そして、その手前で幸せそうに笑う女性とそれに寄り添う男性が写っていました。
 私は一目でその女性が美瑛だとわかりました。
 美瑛と彼女の家族。
 幸せそうな笑顔はどこまでも現実的で、それ故にとても美しく輝いていました。それはきっと、初めてみた彼女の本当に幸せそうな笑みでした。彼女はようやく自分の帰るべき場所を見つけたのです。写真を裏返すと、サインペンでひと言「好きな人ができたの」と書かれていました。
 その時です、なぜか頬を濡らすものがありました。
 それはとどまる事を知らず、いつしかその文字を滲ませていました。そして気が付くと私は声を出して泣いていました。私は、私の中のどこかでずっと彼女が生きていたことを思い出したのです。彼女があの日からどうやって生きて、どれだけ涙を堪え、無理矢理に笑ってきたのか。異邦の地で踊りながら、どれだけ煙草を吸って、眠れない夜を越えてきたのか。私は偉そうに筆をとっていながら、そんな大切なことも考えることができなかった。数十年ぶりの涙はとめどなく乾いた頬を濡らし続けました。
 あの日、中野からひとり帰る朝、私は色々なことを確かめながら歩きました。
 故郷にいる父や母や妹のこと。
 幼い頃に遊んだ公園の遊具のこと。
 初めて買ってもらった自転車のこと。
 父とキャッチボールをした日のこと。
 母に不恰好なエプロンをプレゼントした日のこと。
 妹を助手席に乗せて買い物に行った日のこと。
 私が東京に行く日、みんなで車に乗って駅まで行ったこと。
 いっぱいの鞄に母が無理矢理入れた梨。
 ガランとした部屋に寝転がって見た自分だけの東京の空。
 カーテンのない夜。
 きつい肉体労働の帰り道に買った缶コーヒー。
 夢中で書いていたペンの先に射し込んできた朝日。
 アパートに届いた米と缶詰と野菜ジュースが入った段ボール。
 その隅っこに添えられていた手紙と一万円札が入った封筒。
 今歩いているコンクリートの道。
 上空を覆う高速道路。
 東京に生きる人たち。
 たくさんの感情……

 それは皆、私を作り上げる大切な欠片でした。
 しかし、そうやって胸の奥からすくい上げて、決して離さないようにしようと決めた想いも、忙しなくすぎる日常という波に攫われ、いつしか沈んでしまっていたのです。
 それでも、時折姿を見せるそれを、なんとか形にしようと私は筆を取り続けました。でも、それはいつだって少し違う形をしていた。無理矢理に捻じ曲げコントロールしようとすればするほど、あっけなく手から離れていき、後味の悪い喪失感だけが残りました。そして、いつしか自尊心に駆られ、自分自身の余韻に酔いながら書いていた私は、かつて憎んでいたものになってしまっていた。
 私は自分の傲慢さ、心の弱さを恥じました。そして気付いたのです。私には書きたい感情がまだたくさんあると。それは決して特別なものではない。華美に装飾されたものでも、ドラマティックなものでもない。吹いたら消えてしまいそうな小さな記憶の断片たち。その断片たちが薪となって、私の作品に灯をともしてくれます。
 私は特別でない私のことをもっと考えたい。もう戻れない場所もたくさんあるかもしれない、でも今だから行ける場所もきっとたくさんあると思います。私は今書くことがとても楽しいんです…

 気がつくとグラスは空になっていた。
 作家はグラスに残されたオリーブを口にし、その余韻に暫し目を閉じると、バーテンダーにそっと告げた。
「次はギブソンを貰おうか、思い切りドライなやつを」

 カタカタとシェーカーの揺れる東京の街は、ゆっくりと夜が明けていく時間だった。

(終)

君は友の、澄み切った空気であり、孤独であり、パンであり、薬であるか。みずからを縛る鎖を解くことができなくても、友を解き放つことができる者は少なくない