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ギブソンとマティーニ04

 年が明け、春が終わる頃、示し合わせたかのようにいくつかの連載の話が舞い込んできました。私は胸にいつまでも残る異邦の感情をなんとか作品にできないかと、何度も何度も文章を書いては推敲し、自分の表現を模索していました。
 当時、私の書くものへの評価は大きく二分されていました。自由な文体に漂う叙情的な感情の流れを新しいものだと評価してくれる人たちと、非構成的で散漫な文章からは何も見出せないと厳しく批評する人たち。簡単に説明するとそのような様子です。
 そして、文壇で力を握っていたのは圧倒的に後者の人たちでした。彼らは私の文章をどうにかして自分たちの作った既存の枠に押し込もうとします。彼らの手にかかると、言葉はひとつひとつ分解され、検品され、気がつくと皮を剥かれた玉ねぎのようにすっからかんにされてしまいました。それはある範囲では正しさであったのかもしれませんが、私のような若者にとっては吐き気がするくらい悍ましく、不自由なものでした。そのため、この世界での私への評価はあまり良いものではありませんでした。
 ただ、私は当時から一貫して決めていることがあります。それは、文章に余韻を持たせるということです。文体やストーリーは、その隠れ蓑でしかありません。自由に配色され、時に焦点をぼかしながら、然るべき場所へと進んでいきます。それは装飾であり、ひとつの個性であり、意思の有無に関わらず、花が咲き、やがて枯れていってしまうものです。しかし、感情は違います。感情は、物語の通奏低音としていつまでも流れ続けます。それは個性というよりも血であり、生臭い匂いであり、拭うことのできないものなのです。作家はそれを捕まえなくてはいけない。そのために気がおかしくなるほど、ひとつのことをじっと考え待ち続けます。その横顔と出会える日を夢見て、毎朝、毎晩、瞼の奥をただ眺め続けるのです。花を咲かすのではなく、根や茎や葉や散った花弁にまで血が通うようにひたすら水を遣り続けます。そうしてようやく書き始めたとき、物語に植え付けられた、どこまでも余韻を残す感情だけが、誰かの人生の頁になれるのです。
 しかしながら、若い私にはそんな強い思いを抱き続けることは難しく、いつも逃げるようにお酒を飲んでは自分の無力さを嘆いていました。
 電話が鳴ったのはそんな時です。

 電話口から聞こえたのは女性が涙を堪える音でした。東京の夜の深い闇の向こうから聞こえるその音は、途切れ途切れで、集中しないとほとんど静けさにかき消されてしいます。向こうの夜もこちらの夜も、そこにあることを忘れてしまうくらい静かな夜で、私たち以外の何もかもが止まってしまったかのようでした。
 私はじっと受話器の向こうの胸の音を聴きました。巨大な静寂の中に潜む消え入りそうな小さな声、巨大な東京の騒音の中にかき消されたそれ。目を閉じると鼓動の音が聞こえて来て、まるで深い異邦の海の底へと潜っているかのようでした。何度も水を掻いて顔を出した水面、靄の向こうでぼんやりと光る灯台の明かり。或いは私がその光だったのかもしれません。そんな時間がどれくらい続いたのか、しばらくして、小さなため息の後に一言。
「今から会えますか?」と、美瑛の声が夜を渡りました。

君は友の、澄み切った空気であり、孤独であり、パンであり、薬であるか。みずからを縛る鎖を解くことができなくても、友を解き放つことができる者は少なくない