嫌われたくないって思っちゃだめ?
「人の怒りに触れてダメージ受けてて、
嫌われたくない私がブルブルしてる」
きのう、親しい友人からこんなLINEが来ました。
それを見た正直な感想は、「嫌われたくないっていう感情を持てていいなあ」でした。
わたし自身は、嫌われても全然かまわないと思って生きてきて、本当に嫌われて、いろいろめんどくさくなって人を切ってきて、結果なんにも残らなかったから。
その失敗から成長して、現在は健全な人間関係を保てるようになりましたが、当時を思い返すとちょっとくらい「嫌われたくない」という気持ちを持ったほうが、よかったのではないかと思います。
今はできれば、多くの人に好きでいてほしいです(笑)
その友人は、わたしが人生で出会ってきた人の中で、ダントツにたくさんの応援者に囲まれて、老若男女とにかく好かれていて、結果・成果も残し続けています。
嫌われたくない気持ちだけで、利害関係のない応援者がたくさんいる人間関係なんて作れないです。
そこに何か問題でもあるのかなあと、思ってしまったんですね。
確かに「嫌われたくない」という気持ちが、自分の正直な気持ちを押しとどめてしまったり、前に進むことを阻んだりすることはあるかもしれません。
周りからどれだけ順調に見えていても、本人にしかわからない引っかかりもあります。
この「嫌われたくない」という気持ち、いくつかのひもが絡まって一つのことばになっているようです。
嫌われたくない気持ちが「悪さをするとき」には、いろいろな例があります。
例えば、自分の判断に主体性がなくなってしまうとき。
コーヒーが大好きなのに、あの人が紅茶飲むから合わせようとか、友達がケーキを食べるから、そんなにおなかがすいていないけど一緒に食べようとか。
そんなささいなことなら、まだいいけれど。
本当は行きたくないセミナーなのに、みんなが行くからと何十万も払って行くとか、今度こそ休日にやろうと思っていたことがあるのに、いつも用事を頼まれて断れなくて休みがつぶれてしまうとか。
「本当は○○なのに」という本音があるのに、自分の心の声を無視した行動を取ってしまう。
これをやり続けると「都合のいい人」や「芯のない人」「当たりさわりのない人」になっていきますし、ベースなくころころと変わる判断が、信用や信頼を損ねてしまう結果になりかねません。
そして何より「本当は○○なのに」という、正直な気持ちをないがしろにしているのが、まずいのだと思います。
自分の望みを一番知っているのは自分なのに、いつも後回し。
周りの人と協力して生きていくにしても、そこに貢献心があったとしても、自分を押し殺してまで常に後回しになっていい理由はありません。
「嫌われたくない」という気持ち自体、すべてが悪いことではないと思うんです。
別の方向から捉えると、その気持ちがあるから相手のことをよく見るようになるし、配慮もできる。こんなふうにしたら喜ばれるかなというアイディアをもたらすこともあります。
関わる人”全員に”嫌われたくないというのは無理なので、その事実はそのまま受け入れたほうがいいと思いますが、「この人にだけは嫌われたくない」という気持ちは、時に自分の成長に役立ちます。
嫌われないことに執着するのではなく、「この人に素敵だと思ってもらえる自分でい続けよう」と、前向きに使うこともできるのです。
言うならば「できれば、わたしのファンでいてくれたらうれしいです」という気持ち。
その気持ちはあなたが、一人一人が必要なんですという、ラブレターのようにも思えます。
嫌われたくないという気持ちの純度を上げていくと、自分にとって誰が本当に大切な人なのかもわかります。
そのうえで…。
『顔色はうかがわないけど、
嫌われたくないと思っています。』
こんな正直な人がいたら、惚れるなあ。
悩みを抱えている人やもっと自分らしく生きたい人が、毎日1センチでもいいから理想に向かって進めるよう、何かお役に立てたら嬉しいです。