自分らしく生きられないときがあるから、”自分らしい”が何かわかる
自分らしさっていつ知った?
自分らしいかどうかを考え始めたのは、いつごろからだろうと思っていました。
幼いころは好き嫌いはあったとしても、自分らしいかどうかで、何をやるかを綿密に決めたことはなかったし、そもそも経験も何もないから、”自分らしさ”を真面目に考える場面もなかったです。
ところが、大人になってから振り返ると、多くの人が「子どものころがいちばん自分らしかった」と言います。
わたしもそうで、幼少時代の ”制限なく、限界なんて知らず、ただひたすら目の前のことに一生懸命で、自分の能力を疑うこともなかったとき” を思い返しては、「自分らしかったなあ」と思うのです。
不思議ですよね。
なぜそれが「自分らしい」ってわかるのかなって。
判断するには、比較の対象がないとわからないのに。
ふわふわとさまよう、まっすぐな芯
大人になって、”自分らしくないとき”を知るようになります。
それがいつ芽生えたかと考えてみると「人と比較すること・されること」「周りの空気を読むこと」の波にのまれたあたりからです。
人との比較に入ると、心が休まることはありません。
人の数だけ比較対象があって、上には上がいて、持っている人はたくさんのものを持っています。
周りの空気を読みすぎると、自分がいなくなってしまいます。
察する力はいいバランスで使えれば、思いやりや気遣いに変換できるけど、常に周りの空気を軸にすると、定まることがありません。
どちらの場合も「自分らしさというまっすぐな芯」が通る場所が、見当たりません。
根を張る場所を探してふわふわと、時に、もやもやと、どこにも着地できずさまよい続けてしまう。
そして自分らしさは、どこかへ行ってしまうのです。
次のステージへ
わたしたちは自分らしさを失うことで、自分らしさを知るのではないかと感じることがあります。
ふがいない生き方をしてきてしまったことにも、うまくいかなかったことにも、「失った自分らしさを目覚めさせる」というお役目があるように思えます。
でも、お役目があった、気づかせてくれてありがとうで終わってしまっては前へ進めないですよね。
それらの「自分らしくなさ」は、救ってあげないと報われません。
長年やってきた比較をやめることは、かなりきついです。
空気を読んで生きてきた人が、いきなり変えるのも大変です。
それでも…。
多くの人が思っているのではないでしょうか。
「本当はこんなもんじゃないぞ」って。
だとしたら、やっぱり自分らしくない自分を救ってあげなければ、です。
自分が救ってあげると「決める」。
そして、小さなことから少しずつ変えていき、「らしさ」を取り戻していくのです。
その過程は味わうほどに、「結構頑張ってきたんだな」「何もないと思っていたけどあったかもな」と”忘れていたけれど確かに存在していたもの”を知る旅になります。
その旅をひととおり終えたらどうなるでしょうか…。
次は「自分らしく生きているから、自分らしくないがわかる」のステージです。
悩みを抱えている人やもっと自分らしく生きたい人が、毎日1センチでもいいから理想に向かって進めるよう、何かお役に立てたら嬉しいです。