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下田のツタヤ

 伊豆とか下田とかに旅行に行くことがここ数年はなんだか多くて、よく目の前を通るような気がするが、中に入ったことは一回しかない。何年か前に一人で車中泊で旅行に来た時のことだった。もう今は別れてしまったが、当時付き合っていた彼女と、ほんとうに些細なことで喧嘩していて、しかも仕事もあまりうまく行っていなくて、オレはなんとなくいろんなことが嫌になって、いつものように旅に出た。と言っても、旅、と言えるほどたいそれたものではなくて、数日分の着替えと、助手席と後部座席をつなげて寝るための寝具だけを車に詰め込んで、行き先もろくに考えずに東京を離れただけだった。その頃はまだ数回目だったが、ちょうど伊豆によく来るようになったころで、地理とかお店とかに少しずつだが詳しくなりはじめていて、それでおれはなんとなく伊豆半島を下って、日が暮れる頃に下田にたどり着いた。駅の近くの居酒屋で地魚がメインに出てくる刺身定食を食べて、そのあとは道の駅の駐車場に泊まる予定だったのだが、なんとなく手持ち無沙汰で、寝るにはまだ時間も早かったし、それで、ほんとうにふらっと、そのツタヤに寄った。ツタヤに入ったものの、旅先でまさかCDを借りるわけにもいかないし、何故入ったのかはいまでもよくわからないのだが、レンタルの漫画コーナーがあったのをみつけて、目についた漫画を適当に手にとって、オレはそれを立ち読みした。その時に読んだ漫画のタイトルが、どうしても思い出せないのだが、冴えない男二人がメインで登場していて、ビルの清掃か何かをしながら、人生に迷って、彷徨っている、よいうような内容の漫画だった。立ち読みしたのは一巻か二巻だけで、ストーリーの細かい展開は全く覚えていない。ただ、昔いじめられっ子だったやつが大人になって金を持つようになってたり、主人公よりもひとまわりくらいの年上の男が中学生みたいな恋をしていたり、みたいな話が描かれていたことだけはなんとなく覚えている。まだまだ読みたかったが、気がついたらツタヤの閉店時間に近づいていて、オレは店を出た。ツタヤを出ると、あたりは思っていた以上に暗くて、深夜まで延々と営業している店が多い東京の感覚からすると、まるで違う国に来たようだった。たぶん、オレからすると、下田は半端に都会、ということになるんだと思う。同じ伊豆でも、たとえば西伊豆の方、戸田とか土肥とか、ああいう街になると、夜遅くはコンビニ以外なにも開いていなかったり、コンビニすら開いていなかったりしても、もともとそういうところだと思って来ているし、べつに違和感は感じないような気がする。それが、スーパーがいくつかあって、コンビニも多く、パチンコ屋とか居酒屋とかレンタルビデオ屋が揃っている街の下田は、どこか中途半端で、田舎のなかの都会、というジャンルになるとでもいうか、それが良いとか悪いとかそういうことはまったくないにせよ、田舎にいるような、都会にいるような、しかしやっぱり田舎にいるような、そういう不思議な感覚にオレはいつも包まれる。道の駅の横にある公園は、キャンピングカーが何台も停まっていたりして、車中泊の定番スポットらしかった。コンビニの駐車上に寝泊まりしたこととかも何度もあるが、泊まっても良いですよ、という空気感がある所に安心して泊まれるのは、わるいものではない。道路を挟んで向こうにあるセブンイレブンに寄って、オレはカスタードプリンを買った。なんとなく甘いものが食べたくなっていて、つい、プリンを買ってしまった。伊豆に多く展開しているアオキというスーパーがあって、そこの酒売り場で日本酒をいろいろ買い込んであったので、プリンを食べ終わると、暗い車内でひとりで酒盛りをして、そのうちに退屈になって、羽毛布団に包まって寝た。寝る前に、彼女に電話かメッセージをしようかとも思ったが、何を言えばいいのか、何を伝えたいのか、そういうことがよくわからなくて、オレはそのまま寝てしまった。その彼女とは、その後も半年くらいは付き合ったが、結局うまくいかなくて別れてしまった。翌朝は、かなり早い時間に目が覚めた。寒さのせいだった。結露で曇った窓の外はすっかり明るくなっていて、携帯で時間を見るとまだ六時前だったが、羽毛布団に包まっていたにも関わらず、信じられないくらいに身体が冷えていて、震えながらオレは起き上がった。その駐車上には無料の足湯が完備されていて、おれは寝ぼけた頭のまま、とにかく暖まりたくて足湯に入るために車から降りた。当たり前だが、外は車内よりもさらに寒くて、おまけに風があったせいで、しっかりとアウトドア用の防寒着を着ていたというのにもかかわらず、オレは震えながら足湯に浸かった。たしかに、足湯は温かくて、よかったのだが、身体に吹き付ける風が冷たすぎて、オレは震えながら車に戻った。朝食は干物が食べたいと思っていたのだが、ネットで検索したら、喫茶店のような怪しげな店で、六百円で干物定食が食べられる店があったのでそこに行くことにした。一昔まえのスナックと喫茶店と雑貨屋を混ぜたような怪しげな雰囲気のみせだったが、先客のおじさんが一人いて、おれはその向かいの席に座った。味噌汁にうどん入れる? と調理場のおばあさんに聞かれて、なんのことかよくわからなかったのだが、先客のおじさんは入れると返事していたので、オレもお願いします、と答えた。先客のおじさんは新聞配達をやっているひとらしく、そういえば表に新聞屋のカブが停まっていた。店内はストーブで温まっていたし、すぐに食事が出てきて、冷えた身体には嬉しいお店だった。味噌汁にうどん、というのは本当にその言葉のとおりで、味噌汁のお椀にうどんが入っていた。少ししょっぱめの味付けの味噌汁と案外相性がよくて、味噌汁にうどんが入っているのを食べるのは初めてだったが、美味しかった。新聞配達のおじさんは、信じられないくらいの大盛りの白ご飯を食べていた。調理場から出てきたお店のおばあさんとおじさんは、与党を批判するような内容の会話をしていた。テレビでは朝のニュースがやっていて、オレはその自分には全く関係ないニュースの映像をぼんやりと眺めながら、朝食を食べた。新聞配達のおじさんと少し話をして、おすすめの温泉を聞いた。蓮台寺温泉っていうのも有名だけどよ、千人風呂っつってさ、全部木でできてんだけどさ、でもそれよりもオレのおすすめは河津の温泉だな。踊り子会館ってえ町営のやつがあってさ、観光客向けは高いんだけど、地元ですって言えば半額になるからよ、行ってみてよ、地元です、って言えば大丈夫だからさ、なんてことをおじさんは言っていた。その温泉にそのあとで行ってみたが、どう考えても部外者のオレは半額になりそうな気配はなかったし、ちょっとネットで調べたら、海に面したところにある温泉で三百円で入れるところがあったので、結局オレはそっちに行った。本当にすぐ目の前まで海が迫っていて、それでいて平日だったこともあってか誰も他に入浴客が来なかったので、おれは本を読んだりしながら、温泉に出たり入ったりを繰り返した。夕飯は蕎麦屋に行って、その蕎麦屋で、自然薯というものをオレは初めて食べた。それまでは自然薯というのがなんなのかをあんまりよくわかっていなかったし、もしかしたら聞いたことさえなかったような気もする。いままで食べていた大和芋とか長芋とかとは全くの別物と言えるくらいに、しっかりと強い風味があって、大地の味にオレは驚いた。その夜、どういうわけか、オレは香織里に電話した。香織里は付き合っていた彼女との共通の知人だったので、彼女との関係について相談したような気がする。厳しいんじゃないかなぁ、と他人事のように香織里は言っていたが、他人事なんだから仕方がないとそれを聞いてオレは思った。伊豆半島の夜は相変わらず真っ暗で、暗がりの駐車場に停めたオレの車はインパネとかカーオーディオとかが光っていて、まるで小さな発電所みたいだとオレは香織里と電話で話しながら思った。(2018/02/06/05:47)

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