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シン・短歌レッスン

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#葛原妙子

シン・短歌レッス98

シン・短歌レッス98

春は曙というが秋も曙だった。夕陽もいいのですべてがいい秋の一日か?

紀貫之の和歌

紀貫之の『古今集 恋歌四』は「うつらはむ」である。これも小野小町の歌に

恋の歌も成就するものは少なく人のこころは移ろいでいくものである歌っているのである。

『古今集 恋歌三』

「恋歌三」は業平から始まる。

詞書には長雨を眺めてとある。逢わざる恋の悩みを客観的に歌で表現する。「ながめ」は「長雨」と「眺め」の

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シン・短歌レッス97

シン・短歌レッス97

紀貫之の和歌

紀貫之の『古今集 恋歌二』は「不逢恋」で冒頭の小野小町の夢の恋で有名だけど、ここにも紀貫之が登場してくるのか?もしかして全部の巻に最低一首は入っているのか?それも考えられる。

「思ひ」の「ひ」は掛詞で火も掛けてある。四句目「嘆き」も「投げ木」の掛詞。火にくべる投げ木でますます燃え上がる恋。『新古今集』の式子内親王の紀貫之のこの歌の本歌取りがあるという。

式子内親王の歌は恋人がや

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シン・短歌レッス96

シン・短歌レッス96

紀貫之の和歌

『古今集 恋歌一』。『古今集』だけでなく次の勅撰集『後撰和歌集』にも収録されている歌だそうで、上句が情景で、下句が心情という構図。景から情へというのが『万葉集』以来の伝統であるという。「吉野河」は歌枕。「はやく」を導き出す序言葉が景として読まれているのだが、それは情にも影響を与える見事な景になっている。下句では「思ひ」しか言ってないのである。

『古今集 恋歌一』

「恋歌一」はま

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シン・短歌レッス95

シン・短歌レッス95

紀貫之の和歌

『古今集 物名。「物名(もののな)」とは言葉遊びの和歌で、ある物名を掛詞で隠して詠んでいる歌だという。ここでは「をみなえし」だという。これは「折り句」だった。

元来詩というものは言葉遊び的なものがあるということだ。オヤジギャクも詩の萌芽なのだよ。

『古今集 物名歌』

巻頭歌に置かれた藤原敏行の二首。「うぐひす」は単純な鳥だけど「うぐひずとのみ」は意味が複雑だ。「憂く乾ず」とい

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シン・短歌レッス93

シン・短歌レッス93

紀貫之の和歌

『古今集 離別歌』で紀貫之が志賀の山越えで山中の清水のほとりで詠まれた歌だという。「むすぶ手の」は手をむすぶことではなくて、水を掬い上げて、その雫が濁らせてしまうという意味だという。美しい女性との別れだというがどこにそんな姿があるのだろうか?しかし、藤原俊成が歌論書で「大方うすべて、詞、事の続き、姿、心、かぎりもなき歌なるべし。歌の本体は、ただこの歌なるべし」と絶賛しているという。

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シン・短歌レッス92

シン・短歌レッス92

紀貫之の和歌

『古今集 冬歌』で紀貫之が一年の終わりを詠んだ歌。鏡に映し出された自分の姿までも老いてしまったという意。「増鏡」は「真澄みの鏡」から転じた言葉。紀貫之は当時三十五歳ぐらいだったらしい。当時は四十歳で老人の仲間入りだと言うから、今の55歳ぐらいなのか?でも55歳でも若作りの人は若いよな。このぐらいの年で病気になって一気に老けた感じになってしまったが。ナルシスだったら絶望する年かもしれ

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シン・短歌レッス91

シン・短歌レッス91

京都行きの電車に乗ったが京都は通過駅だった。もう何十年も京都に行ってなかった。京都といえば自分の中ではお寺巡りよりもジャズ喫茶。

ベンチャーズよりも、『二十歳の原点』の高野悦子が「しあんくれーる」で聴いたというスティブ・マーカス。

紀貫之の和歌

『古今集 秋歌下』の紀貫之が9月の末日に秋の締めくくりとして詠んだ歌。「小倉の」は「をくら(し)の」で掛詞「暗い」という意味であり、鹿の姿ではなく鳴

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シン・短歌レッスン30

シン・短歌レッスン30

隙間植物。オニタビラコ(鬼田平子)という不思議な名前。コオニタビラコかもしれない。隙間植物なのは間違いないのだが名前ははっきりしない。

葛原妙子短歌

紋章とか必要とすること事態よくわからないが歌風ということか?はっきり誰々の弟子というならそういうこともあろうが突然変異的に出てきた異形のものに紋章が必要だろうか?

塚本邦雄は無紋が葛原妙子の紋章であるという逆説を示す。それは絶えず異形のものであ

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換骨奪胎の塚本邦雄の葛原短歌の世界

換骨奪胎の塚本邦雄の葛原短歌の世界

『百珠百華―葛原妙子の宇宙』塚本邦雄

塚本邦雄は葛原妙子を「幻視の女王」と名付けたが、それは塚本の前衛短歌に引き付けた読みであって、葛原妙子の幻想短歌はけっして理念的なところから出発したのではないのは、川野里子『新装版 幻想の重量──葛原妙子の戦後短歌』を読めば理解できると思う。葛原妙子の幻想性は戦争体験という女性の身体性を通して、西欧と日本という精神の中で分裂せざる得ない歌であった。

塚原邦

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シン・短歌レッスン27

シン・短歌レッスン27

裏庭の梅。紅梅と白梅があるのだがよくわからないな。昼間はほとんど写らないから夜間にフラッシュ撮影してみた。でもいい感じか星のようだな。

今朝の一句出来なかった。

葛原妙子短歌

葛原妙子に「幻視の女王」とキャッチコピーを付けた塚本邦雄だが、これまで述べられてきたように塚本の理念としての前衛短歌と塚原妙子の身体的幻想短歌は随分違うのだ。

葛原妙子の場合戦時や戦後の自身の身体の記憶から発する理念

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シン・短歌レッスン26

シン・短歌レッスン26

河津桜の定点観測。裏庭の梅より早いんだよな。でも桜が咲くと浮かれれてくるな。研ナオコの「ラ・ラ・ラ」が聞きたくなる。

今朝の一句。

葛原妙子短歌

葛原妙子に「幻視の女王」とキャッチコピーを付けた塚本邦雄だが、これまで述べられてきたように塚本の理念としての前衛短歌と塚原妙子の身体的幻想短歌は随分違うのだ。

葛原妙子の場合戦時や戦後の自身の身体の記憶から発する理念よりは直感的な実存感であり、そ

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シン・短歌レッスン23

シン・短歌レッスン23

夕方撮ったからピンボケだ。

葛原妙子短歌

今日も川野里子『幻想の重量』から。

葛原妙子と塚本邦雄ら前衛短歌の分岐点について。塚本邦雄と比べた場合だが、同じ幻想短歌でも葛原妙子は生の謳歌を詠っていが塚本は否定的なニュアンスが強い。それは同じ斎藤茂吉を捉えるにしても葛原は茂吉の歌をそのまま生の讃歌として捉えるが、塚本の場合茂吉に浪漫的象徴性(それは現実世界というよりも茂吉の理念としての幻想世界と

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シン・短歌レッスン21

シン・短歌レッスン21

葛原妙子短歌

今日も川野里子『幻想の重量』から。

葛原妙子の歌風は最初からあったわけでもなく、疎開体験と短歌結社の中に目標とする先輩がいたということだった。その先輩倉地與年子の影響の元で出版されたデビュー歌集が『橙黄』だ。

第三歌集『飛行』も「女人短歌会」を通して横の繋がりとして、森岡貞香と中城ふみ子の影響があった。それは、葛原妙子がほとんど孤高の女王だと思っていたのだが、同時代の歌人らと相

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シン・短歌レッスン17

シン・短歌レッスン17

川面に映り込むビルが綺麗なんだな。曇り空だからだろうか?写真は撮ってみなければわからない。

葛原妙子短歌

今月は葛原妙子にするか。「幻視の女王」。塚本邦雄『百珠百華』という葛原妙子の百首鑑賞本があるという。『ねむらない樹vol.7』の「葛原妙子特集」だったのだ。

この短歌は一時空けのテクニック。二句切れ。短歌の韻文は五七五七のリフレインという話を聞いた。確かに俳句は切れが一つ入ると良くなるが

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