マガジンのカバー画像

シン・短歌レッスン

147
運営しているクリエイター

#うたの日

シン・短歌レッス114

シン・短歌レッス114

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』から。

菅原孝標女なんか面倒くさい名前だが、名前を知らないから女(むすめ)と呼んでいるだけだった。

『更級日記』の作者だった。『更級日記』は『源氏物語』オタクの日記ではなかったか。

この歌も『源氏物語』「朧月」をイメージしており、また季節比べで春と秋どちらがいいかという問いにもなっているという。それは『源氏物語』から培われてきて後鳥羽上皇の春恋の歌をつなぐ位置

もっとみる
シン・短歌レッス113

シン・短歌レッス113

見戀(みるこひ)

塚本邦雄『戀』から「見戀(みるこひ)」。

良経は平安末期の九条兼実の次男で当時の権力の中心にいた若き歌人。

「見恋」は「人を三(見)島江の」でさり気なく掛詞だという。黄昏は「誰そ彼」。初句切れも柔らかな感じであり、たゆたふような「葦の迷ひ」で受ける。「ほのぼの人」は薄明の人影。水墨画のような心象風景だという。良経は『新古今集』の中でも式子内親王と共に和歌の頂点に立つ人だとい

もっとみる
シン・短歌レッス112

シン・短歌レッス112

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』から。

塚本邦雄は後鳥羽院が好きだよな。この辺がよくわからないし、この歌の良さもわからない。『枕草子』の「秋は夕ぐれ」という当時の常識に反問している歌だという。「山もと霞む」だから春の景色なのだろう。画像間違えたな。春の桜の山とか選ぶべきだった。

でも夕べだからな。山よりも夕陽だろう。夕陽が美しいのは秋ということなのかな。「なに思ひけむ」と清少納言が思ったのだか

もっとみる
シン・短歌レッス111

シン・短歌レッス111

王朝百首

「若草の宮内卿」と言われた歌だそうで、雪斑の中に若草が萌え始めている様がなんとも美しいという。その作成年齢が15・6歳の頃で千五百番歌合で寂蓮の和歌に勝ちを得たということで話題騒然となった少女歌人なのだろうか?その素質は後鳥羽院にその才能を認められ俊成卿娘と切磋琢磨したという。わかりやすいと言えばわかりやすい歌なんだが。

NHK短歌

ぐっとくる瞬間 「日記」。選者岡野大嗣さん。ゲス

もっとみる
シン・短歌レッス110

シン・短歌レッス110

王朝百首

この辺の良さがよくわからん。詰め込みすぎのような気もするんだが。春と花散るが重なっていたり。俳句じゃないからいいのか?上句は華麗で下句は陰があるからいいのかな。それほど天才の歌とも思えないのだが。「百人一首」にも藤原義孝が載っているがそっちは駄作だという。

直接的過ぎるのか。早逝の歌人だそうだが。

NHK短歌

吉川宏志。会話を入れる。「ごめん」

会話がないな。心の会話ということ

もっとみる
シン・短歌レッス109

シン・短歌レッス109

王朝百首

今日から塚本邦雄『王朝百首』をやろうかなと。塚本邦雄の仮想敵藤原定家の『百人一首』はそれほどいい句ばかりでないと言うのだった。それは自分には判断出来ないが、塚本邦雄が言うことはけっこう支持されているのだ。良い悪いもある程度自分の主観になるから、その俳句観が分かるというもの。塚本邦雄も言っているのだが和歌の世界には積み重ねられてきた伝統があり、それをまず知っておく必要があるのではないかと

もっとみる
『百人一首』本歌取り

『百人一首』本歌取り

短歌の練習のために「百人一首」をサンドバッグ代わりに本歌取りをしました。「明日のジョー」にのせてどうぞ。

『百人一首』はこちらのサイトから。

三句目忘れました!波に流されたということで想像して見て下さい。

シン・短歌レッス108

シン・短歌レッス108

西行

「梟」の恐怖についての歌だが、梟は最近ではペットで飼われていたり癒やしの鳥として梟喫茶なるものがある現実との落差。「山深み」という始まりは、西行の歌友寂然とのやり取りで、西行が「山深み」という歌を送ると「大原の里」と返ってくる歌が10首ずつも『山家集』に載っているという。実際にはさらにあったのかもしれない。こういうやり取りはいいなあ。ただ出家したんではないのか?と言いたくなるが。

このへ

もっとみる
シン・短歌レッス107

シン・短歌レッス107

西行

「あはれあはれ」と嘆きのリフレインから始まり「この世」と「来(こ)む世」、現世と来世に対する嘆きなのだが、現世はあきらめるかのような「あ音」であり来世は「か音」が苦しみを予感させている。

西行は和泉式部の歌を特に好んだという。それは繰り返される音韻の業なのか?

地上の道は永劫回帰のごとく暗い道なのだが、天には月の世界が見えている。それはこの世ではない来世の願いなのだ。西行はその救済は仏

もっとみる
シン・短歌レッス106

シン・短歌レッス106

西行

今回は西行の月の歌を中心に。

『新古今・釈教歌』。釈教歌は仏教に帰依した心境(良かったこと)を詠ったものだが、西行は出家したので当然多いのかと思う。

しかし、歌を捨てられなかった西行であり山籠りするよりは里との境界でスタイルとして草庵生活にあこがれていたということのようだ。それは山辺という寂寥感のなかで月を眺める心持ちだった。「空なる心」はそんな西行が出家したいと思うこの世の空虚感だっ

もっとみる
シン・短歌レッス105

シン・短歌レッス105

西行

『山家集』『新古今・哀傷』。西行が初めて奥州に旅をした時の歌で、古塚は藤原実方の墓だったと知って読んだ歌。「枯野」や「薄(すすき)」は実方の歌にも歌われている。

西行の歌の「形見」とは『伊勢物語』で業平が小野小町の髑髏と対面する伝承になぞらえている。後に芭蕉がこの実方の墓を訪ねようとした。

「あはれ」は小野小町が広めた言葉だった。「宮城野の原」は陸奥の歌枕で露と萩の名所として歌に詠まれ

もっとみる
シン・短歌レッス104

シン・短歌レッス104

西行

「津の国の難波の春は夢なれや」は古今集に出てくる仁徳天皇の和歌ということで春の情景を詠んだものの本歌取りとなっている。

西行は「幽玄の体」と言われている。幻視体ということか。?西行の歌は能因法師の本歌取りで春を冬景色に変えてる。

「心あらん人」は心ない人ではなくある人で、「歌心ある人」の意味なのだそうだ。能因法師が連れに問いかけている歌でよほど素晴らしい景色なのだろうか?能因法師の数奇

もっとみる
シン・短歌レッス101

シン・短歌レッス101

伊勢の和歌

『伊勢集』の詞書に温子に仕えていながらその夫である帝と出来て子供が出来て喜んでいる歌だった。「手弱女の」というのは伊勢にこそ相応しいのかもしれない。今だったら公私混同のオフィスラブで社長夫人にちゃっかりなってしまう女のイメージしかない。まあ、それが憧れだったりするのだ。御曹司との結婚がハッピーエンドとなるわけだった。奪われた女の方はすごく惨めだった。怨霊になるレベルだよな。

古今集

もっとみる
シン・短歌レッス100

シン・短歌レッス100

伊勢の和歌

今日から『伊勢』中島輝賢(コレクション日本歌人選23)。伊勢は「理想の女房」で「正しき三角関係」って何なんだ?都合のいい女房みたいだ。男性よりも女性に人気がある感じがする。それは歌を通して恋愛経験を積み、それを肥やしに歌道を極めた出来る女のタイプなのかな。男は燃料なのである。

掲載歌は『新古今和歌集恋一』と『百人一首』に載る代表歌。

「葦の」までが序詞で「ふしの間」に伊勢の置かれ

もっとみる