シン・短歌レッス104
西行
「津の国の難波の春は夢なれや」は古今集に出てくる仁徳天皇の和歌ということで春の情景を詠んだものの本歌取りとなっている。
西行は「幽玄の体」と言われている。幻視体ということか。?西行の歌は能因法師の本歌取りで春を冬景色に変えてる。
「心あらん人」は心ない人ではなくある人で、「歌心ある人」の意味なのだそうだ。能因法師が連れに問いかけている歌でよほど素晴らしい景色なのだろうか?能因法師の数奇な歌は西行にも共感されて、西行は能因の歌の解答として出家しても和歌だけは捨てなかった身の上を詠っているという。
花は桜で、西行は桜を多く詠った歌人であった。
桜の花は「憂き」でもあり「嬉しき」でもあるという相反する言葉で気持ちの揺れを表現する。
誰にも邪魔されず桜と向き合いたいのにそれが叶わぬことを桜のせいにした歌。この歌は『西行物語』にも取り入れられ世阿弥の能『西行桜』の中心を占める歌になった。『西行桜』では西行の庵が吉野山ではなく嵐山になっている
「西行桜」における幽玄の世界を詠んだ歌。「名立」は噂。西行が桜の歌を歌うから噂が立って人が集まってしまうという。
「あくがるる心」は桜に心を奪われて魂が遊離してしまう状態。魂を落ち着かせるために「魂鎮め」と言った儀式もあった。
西行の魂は桜の木の下にとどまり続ける。
吉野山は桜の名所とする歌枕の地。平安時代までは山岳信仰の地であった。桜の名所となったのは、西行が繰り返し桜の歌を詠んだからと言われている。
西行が詠った桜は染井吉野ではなく山桜で、桜の花を折って持ち帰ったという風習が昔からあったことを知らしめるの歌であり、実際に僧正遍昭の桜を手折る歌がある。
友人の静観法師の歌も
また遍昭の息子の素性法師も
また能因法師にも
花山院(第65代天皇)。藤原道兼の陰謀により29歳で出家。
行尊。平安後期の僧。
桜への執着は西行特有のものでもなかったが、特に桜の歌で有名になったのが西行であった。
去年とは違う山の奥にまだ見ぬ桜を探して、桜を見尽くすという歌で、その執着が伺える。
西行が山奥に遁世していたからこそ、様々な山桜にめぐり逢い魅了されていった。「花の衾」は花の布団という春風の擬人化。
那智にいた西行が桜の花を尋ねたら、偶然に花山院の旧跡を発見した喜びを詠った。「木のもと」は西行が好んで用いた表現である。
「花の下」も「木の下」に連なる歌である。西行臨終の場としてイメージされた。釈迦入滅の日が二月十五日で西行は一日遅れて十六日に亡くなったので当時の人々から賛嘆された。
死後、桜で献花して欲しいと詠んだ。
また、西行は花と月を同時に詠った歌がいくつかある。
西行にとって桜は死を思い描くときでも来世を思い描くものであった。その西行の歌を通して日本人の桜と死生観に強く結びついていく。
古人の桜を追慕する気持ちを継承しようと自らも詠む西行。
西行は桜を通して、過去から未来へ歌を繋ぐ意思を持った最初の歌人なのである。その西行が亡くなると良経を主催者として、慈円、定家、寂蓮などが西行が愛した桜と月を各50首づつ詠んだ『花月百首』を捧げた。
NHK短歌
選者山崎聡子「パートナーのこと」。パートナーがいないとこのお題はキツイのかなと思いながら、ぬいぐるみとかダンボールで出来た彼氏とか(ゲストのピン芸人の吉住の持ちネタ)とか発想の転換だと気がついた。
繰り返し表現と風景
あまりにも当たり前のことを詠まれているので、読者は意表につかれるという。これは汽車の姿を詠んだ歌なのか?とりわけいいとも思わないのは最初の汽車と二度目の汽車が繰り返しだから意外性がない。リフレインでも最初の言葉とあとの言葉が違う方がいいと思うのだ。
エロ短歌だけど。最初のクリスマスは巣での家族団らん、次のクリスマスはラブホなんかの戸を開けてのクリスマス。スをトに変えることで意味が変わる。
リフレインを使った歌は昔からけっこうあって「畳語」とかいわれている。
白秋の短歌では意味よりも音楽的リズムによって歌と成っている。
この短歌も白秋の影響を受けて音楽性が洗練されてくる。風景を見るというより音を聴く短歌になっている。リフレインによって風景を曖昧模糊としたものとして見せるが、音楽性は高まってくるとも言える。
ひらがなの効用によって風景はぼかされるが、音楽が響いてくるような。
歌会
テーマが映画だったのですべて映画詠。「雪合戦」はあまり知られてはいないので神話的にした。『恐るべき子供たち』。他は題名が出ているので分かりやすい。
うたの日
「自由詠」だった。クリスマスの短歌出してしまいたくなるが、『百人一首』があった。
『百人一首』
強引に「常にもがもな」をねじ込んだ。鎌倉右大臣の気持ちになって。♡一つにコメント付き。まあ良しとしよう。
映画短歌
『ナポレオン』
『百人一首』
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