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シン・短歌レッスン

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2024年2月の記事一覧

シン・短歌レッス118

シン・短歌レッス118

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』から。小侍従。

春は朧月で詠めるんだ。春は朧で秋は霞。違った春も霞だった。秋は霧だという。こういうのはどっちでもいいのにと思ってしまう。朧で春の意味があるのか?

小侍従は平安後期から鎌倉時代の花形女性歌人だそうだ。名月も随分読んでいるが「待宵の小侍従」と呼ばれたのは以下の和歌から。

掲載歌は最晩年の作であり保元・平治の乱の乱に青春を過ごした無常観が出ているとい

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シン・短歌レッス117

シン・短歌レッス117

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』から。良暹法師。

「えこそ契らね」は女との交わりを想像したが、桜に対して擬人的に言っているのだった。詞書に「雲林院(桜の名所)に行ったがあらかた桜が散っていて詠んだとある」。塚本はこれも恋歌であり老境な艶なる歌とする。西行でやったがこの頃の歌人坊主はモテたようだ。

西行

目崎徳衛『西行』から「数奇の種々相」。西行が出家に憧れたのは数奇者の僧侶の歌会が開かれるの

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シン・短歌レッス116

シン・短歌レッス116

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』から。中務。

初めて聞く名前だが伊勢の娘だというから歌人としてはそうとうな人なのであろう。三十六歌仙の一人だった。その三十六歌仙を全部言えるわけがないが何か権威みたいなものを感じる。藤原公任選定だった。『光る君へ』で出てきたな。このぐらいの知識なのである。

ただ『百人一首』には載ってないでここで塚本が選定したのは、こだわりがあるのかなと。

ここに読まれているの

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シン・短歌レッス115

シン・短歌レッス115

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』から。藤原実定

桜の儚さを詠んだ名歌とされる。二句切れは『新古今』時代の特徴。「はかなさをほかにもいはじさくらばなさきて」のH音とS音が「はかなさ」を醸し出しているとする。

西行

目崎徳衛『西行』から「佐藤義清 の公私の生活」。西行は北面の武士として鳥羽法皇に使えていたのだが、それは文武に優れて美貌でなければ鳥羽法皇の閨などに入れないのである。そういう若人だ

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シン・短歌レッス114

シン・短歌レッス114

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』から。

菅原孝標女なんか面倒くさい名前だが、名前を知らないから女(むすめ)と呼んでいるだけだった。

『更級日記』の作者だった。『更級日記』は『源氏物語』オタクの日記ではなかったか。

この歌も『源氏物語』「朧月」をイメージしており、また季節比べで春と秋どちらがいいかという問いにもなっているという。それは『源氏物語』から培われてきて後鳥羽上皇の春恋の歌をつなぐ位置

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自歌合(じかあわせ)を勉強する。

自歌合(じかあわせ)を勉強する。

『短歌研究2024.1月号』

第1部 特別対談「『歌論』の真髄

『短歌研究 2024年1月号』から「第1部 特別対談「『歌論』の真髄。よい歌とはなにか」馬場あき子×吉川宏志では、西行の『御裳濯河歌合』と『宮川歌合』という自歌合(じかあわせ)を知った時は、よく判らなかったのは、普通歌合というと右左二手に分かれて、テーマにそって歌人たちが詠み合うのだが、西行の自歌合というのは、西行の歌を右左に分け

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シン・短歌レッス113

シン・短歌レッス113

見戀(みるこひ)

塚本邦雄『戀』から「見戀(みるこひ)」。

良経は平安末期の九条兼実の次男で当時の権力の中心にいた若き歌人。

「見恋」は「人を三(見)島江の」でさり気なく掛詞だという。黄昏は「誰そ彼」。初句切れも柔らかな感じであり、たゆたふような「葦の迷ひ」で受ける。「ほのぼの人」は薄明の人影。水墨画のような心象風景だという。良経は『新古今集』の中でも式子内親王と共に和歌の頂点に立つ人だとい

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「ストレンジャー(よそ者)」は憩いの場所を求める

「ストレンジャー(よそ者)」は憩いの場所を求める

『起きられない朝のための短歌入門』我妻 俊樹/平岡 直子【著】

初心者は入門書の型に囚われてしまうので、少しでもそういうものを解きほぐしたいという感じだろうか。

まず現代短歌の影響を与えた穂村弘の『短歌という爆弾』から「砂時計のくびれ理論」(そこは全然引っ掛からなかった )。短歌にはキーポイントなるコトバ一つを砂時計のくびれにして、時間の流れとして上句と下句によって共感するコトバにしていく。そ

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シン・短歌レッス112

シン・短歌レッス112

王朝百首

塚本邦雄『王朝百首』から。

塚本邦雄は後鳥羽院が好きだよな。この辺がよくわからないし、この歌の良さもわからない。『枕草子』の「秋は夕ぐれ」という当時の常識に反問している歌だという。「山もと霞む」だから春の景色なのだろう。画像間違えたな。春の桜の山とか選ぶべきだった。

でも夕べだからな。山よりも夕陽だろう。夕陽が美しいのは秋ということなのかな。「なに思ひけむ」と清少納言が思ったのだか

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