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時々歌詞対訳してます。もし使っていただける機会あったらひとことご連絡いただけると飛んで…

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時々歌詞対訳してます。もし使っていただける機会あったらひとことご連絡いただけると飛んで喜びます。

最近の記事

私が先生だった時、身に付けたこと。

自分が幼稚園教諭だった時に、全力で身に付けたこと。それを忘れたくないと唐突に思った。七年間で心を削りながら身に付けた、子供との接し方。目指すべき方向。 1.この活動をする目的は?日々頭に描き、プランニングする幼稚園の日案、週案、月案、年間計画。来週はどんなことしようかな、去年の今頃はこんなことしてたな。でも今の子供たちに合うかな?そして、その活動は何のためにするのかな?そんなことを考える。素敵な題材、素敵な歌、それがどれだけやってみたくても、それが今自分の目の前にいる子供達

    • 著作権切れの合唱作品探し。

      1.「著作権切れ」の合唱作品の探し方著作権切れの作品を、「パブリックドメイン」と呼ぶらしい。そんなところからスタートしました。わけあって、三人で歌える著作権切れの合唱作品を探し始めたんです。著作権というものすらよくわかってなかったのですが、「 著作権切れ 合唱 」で検索し始めたら思った以上に奥が深かった。これはその記録。まず見つけたのはこんなページ。 ●著作権切れの曲の楽譜をダウンロードできるサイト「IMSLP」を知っていますか 依然として「著作権切れ」の意味はちゃんとわ

      • 日本の神様の話。

         母方の人間が神棚に向かって祈るときの言葉を、現代語訳してみた話。  母の実家は仏教の他に神道も信仰しており、神棚に参る時に周りの大人がいつも呪文のような言葉を並べていた。仏壇に向けて参るお経はパターンが多いが、神棚への音の羅列はひと種類だけだったことも覚えやすかった理由の一つだろう、幼い頃から一緒に音を並べているうちにいつの間にか覚えて、神社に赴いた時や神棚に詣るときは一人で心の中で唱えることもあった。このStayHome期間に不意に思い出して、あれは神々の名だろうかと検

        • タピオラ合唱団とコルテカンガスと間宮芳生とそれから、の話。

           フィンランドのちょっと特殊な児童合唱団「タピオラ合唱団」とフィンランドのコルテカンガスという作曲家と、日本の間宮芳生という作曲家について、感動したこと。 【感動ポイント1:タピオラ合唱団と私】卒業論文は「タピオラ合唱団の音楽教育と日本の音楽教育の比較」について書いた。と思う。正直タピオラ合唱団について調べて終わった感もある。その途中である指揮者の先生から「世界をつなぐ歌の橋」という本をもいただいた。その先生が翻訳され、著者エルッキ・ポホヨラのサイン入りの1994年に出版さ

        私が先生だった時、身に付けたこと。

          さよなら東京、の話。

           新型ウイルスで大騒ぎの最中、四年間住んだ東京を離れる際にすっからかんの新幹線で打った話。  今まさに東京を発っている。東京人としての私が終わろうとしている。東京にもう帰るところはない。本来は4月の末に地元に帰るつもりだった。しかし、4月に予定されていたほぼ全てのイベントが中止になり、家賃を払いながら家に閉じこもり続ける意味のなさを思い予定を早めて帰ることにした。職場での送別会も中止になった。同僚への手紙やプレゼントは全て昨日職場に届けた。可愛がっていた蛾が産卵している様子

          さよなら東京、の話。

          令和二年の春今思うことの話。

           新型ウイルスで大騒ぎの令和二年春、引越しの準備をしながら今の気持ちを打った話。残しておこうと思う。渦中の気持ちというのは後で読んでも興味深いはず。  私はテレビをもたずに生活している。ラジオで時折聴くニュース、スマホに届くデジタル新聞の記事を情報の頼りとしている。それくらいがちょうどいい。  二月末に、三月末に予定されていた本番3本がキャンセルとなったことに端を発し、日常はガラガラと崩れた。職場は教育機関だった。春休みを前倒しする形で園閉鎖となった。子供のいない場所でひた

          令和二年の春今思うことの話。

          Halleluja, vår strid er endt (I denne sote juletid) ハレルヤ 翻訳 日本語訳 Ørjan Matre

          Author of the text: Hans Adolph Bronson Halleluja, vår strid er endt (I denne sote juletid) En liten sønn av Davids rot, som og er Gud tillike. For våre synders skyld forlot sitt høie himmerike. Det var Ham svært at tenke på at jor

          Halleluja, vår strid er endt (I denne sote juletid) ハレルヤ 翻訳 日本語訳 Ørjan Matre

          高校生の頃みた夢の話。

          高校生の頃、こんな夢をみた。 夢の中で長いこと過ごした。 友達もできて、喧嘩もしたりして、毎日遊んだり勉強したりしながら楽しく過ごした。 ある日、橋にみんなで集まった。鐘が鳴った。静かに鐘のなる音を聴いた後、ほどなくしてみんなが何事もなかったかのように笑いながら駆けだした。 わたしのことは見えていないようだった。 ひとりの男の人を残してその場には誰もいなくなった。呆然とひとり立ち尽くすわたしにその人がつぶやくように言った。 ほら、みんなわすれるっていっただろ 何日も、

          高校生の頃みた夢の話。

          初めての、話。

          2018年10月21日。 初めてホームレスのおじいちゃんにお金をお譲りできた。これ、少ないですけど、ってカンカンの中に200円入れたら、ありがとう、ってにっこり言ってくれて、心がほどけるようだった。

          初めての、話。

          すきなものをたくさん思い出せた日の話。

          好きなものを見つけるのは大変だ この狭い中にものの溢れる東京で だから好きなものに出会えたとき 心が震えてなみだが出そうになる ああここにいたんだね あいたかったよーって わたしはライオンがすき シマウマがすき キリンがすき シロクマがすき テントウムシがすき みずいろがすき 青緑がすき 蝶々がすき イヤリングがすき 古着がすき 古本がすき アンティークがすき ヴィンテージがすき ハンドメイドがすき ひつじがすき 黒羊がすき 見るのがすき 聴くのがすき 描くのがすき 作

          すきなものをたくさん思い出せた日の話。

          Angyalok és pásztorok 天使と羊飼い 翻訳 日本語訳 Kodály Zoltán

          Angyalok és pásztorok 天使と羊飼い(1935) ハンガリーの作曲家コダーイ・ゾルターンによる女声合唱のためのクリスマスソング。天使と羊飼いによる聖夜の一幕が描かれている。冒頭はラテン語の天使の歌声に始まり、ハンガリー語とその民俗的なメロディー、そして天使と羊飼いの対話によって物語が進められていく。天使たちに導かれながらイエスの誕生を喜び、空に浮かぶ星を希望の光として追い求める羊飼いたちの様は、圧政の中でハンガリー国民の自由を切望したコダーイの姿と重なる。

          Angyalok és pásztorok 天使と羊飼い 翻訳 日本語訳 Kodály Zoltán

          ぼろいちミラクルの話。

          朝ごはんは昨日いただいたパンケーキミックスとジャムで。 フィンランドの紅茶はなぜか今日はpsycheで飲みたい気分だった。 ひと仕事終えて、今日のメインイベント『ボロ市』へ。 バス間違えて反対方向の終点まで行って、もう一度乗ってまた終点まで行ってなんとか辿り着いた。 入り口のところで骨董アクセサリーやマニキュアや、綺麗なものをたくさん見てたら、お店のお姉さんが仰った。 「古いものか新しいものかわからない。 どんなものがあるのかわからない。 それがボロ市。」 いきなり

          ぼろいちミラクルの話。

          Finlandia フィンランディア 翻訳

          フィンランド国家 1 Oi Suomi, katso, sinun päiväs koittaa,  yön uhka karkoitettu on jo pois,    ja aamun kiuru kirkkaudessa soittaa  kuin itse taivahan kansi sois.     Yön vallat aamun valkeus jo voittaa,  sun päiväs koittaa, oi synnyinmaa.  2

          Finlandia フィンランディア 翻訳

          時間とお金とスペースの話。

          実家を出るまで時間とお金とスペースの節約について真面目に考えたことなんてなかった。 家事なんてしなくても全てが回っていたから、小手先でやりくりしなければならないのは自分のやりたいことをするための時間だけだったし、お金に困ったら(というよりもとより困らない)助けてくれるひとはいつもそばにいて、家は3階建でどこにでもとりあえずの物を置けるスペースはあって、断捨離を迫られることもなかった。 それが、ひとりぐらしを始めて一転した。 掃除洗濯料理をしていたら自然と時間は削れる。残

          時間とお金とスペースの話。

          保育の上で大切にしてることの話。

          保育の場面で、私が大切にしてること。 先月受けた研修で、100年続く保育、という内容を聞いた。 ああ、4年前、社会人一年目の私が思っていたことだ、って。思い出して嬉しかった。 私は私の理念が通じる場所にやっと辿り着いたんだ、って、本当に嬉しかった。 わたしの代わりに、神様の愛が子供達を守ってくれるんだ。

          保育の上で大切にしてることの話。

          たいせつなもの。

          きらいになった。ぜんぶきらいになった。 最初はこわかった。こわかった。誰の助けも得られなかった。誰にも頼れなかった。全ては自分の過失だと思った。 月曜日、体調が悪く仕事を早退して病院に行っている最中も対応に追われた。頭の中は常に嵐だった。なみだがでた。 誰にも頼れない。敵ではない人はいるけど、頼れない。悲しかった。ひとりだと思った。なみだがでた。 火曜日。一つ気づいた。味方が1人いること。自分すら信じられなかった。自分が何を捨ててもいいから安定を望んでる、という事実に反

          たいせつなもの。