たいせつなもの。

きらいになった。ぜんぶきらいになった。

最初はこわかった。こわかった。誰の助けも得られなかった。誰にも頼れなかった。全ては自分の過失だと思った。

月曜日、体調が悪く仕事を早退して病院に行っている最中も対応に追われた。頭の中は常に嵐だった。なみだがでた。
誰にも頼れない。敵ではない人はいるけど、頼れない。悲しかった。ひとりだと思った。なみだがでた。

火曜日。一つ気づいた。味方が1人いること。自分すら信じられなかった。自分が何を捨ててもいいから安定を望んでる、という事実に反吐が出そうだった。でも、その人は呼んでくれた。その人の家に。

向かう途中で、電車で、友達からのラインが来た。友達からだった。数少ない友達からだった。驚くべきことに、その友達の存在を私は全く忘れていた。その友達は、私のことを気遣ってくれた。何も知らないはずのその子は、私のことを気遣ってくれて、優しい言葉をくれた。死ぬほど泣いた。帽子をかぶっててよかった。でも、車両中の配慮を感じた。

その人の家で、その人のお母様がご飯を作って待っていてくださった。嬉しかった。あたたかい空気になみだがでた。
食後にはケーキを出してくださった。その時わたしは思い出した。その日が、その人と団を立ち上げて1周年の日だということを。5/23。前を向ける。そう思った。

水曜日。研修があった。全ての言葉が痛んだ心にしみわたった。涙があふれた。研修後、携帯を見ると、味方が集まってくれていることがわかった。できる。大丈夫。その思いがあふれて涙がとまらなかった。

その夜。事態は急変した。

全てはゼロにかえった。

清々しい。

その一言だった。

その晩から、対応に追われた。

木曜日。金曜日。土曜日。日曜日。
チケット購入者への連絡。返金作業、チラシの回収。

必死で売ったチケットを、払い戻すために必死に連絡を取る。悲しくて虚しくて初めて嗚咽がとまらなかった。満席を夢見て一枚一枚頭を下げて買ってもらったチケット。再び頭を下げてお金を返しに行く。しかし、惨めだと感じる暇はなかった。

心はすっからかんになって、もうもはやなにも傷は残っていないかのような感じがした。しかし、不意にガシャッと崩れては涙となってあふれた。なにがそうさせるのか、もうわからなかった。

敵ではない人たちは、味方になっていた。ありがとうと、言ってくれた。わたしが必死になって繋ぎ止めていたものはなんだったのか。わからなくなった。
でも、信じられる人が存在することはわかった。嬉しかった。敵ではなく、しかし遠く感じていた人たちは、心強い協力者となってくれた。嬉しかった。たいせつなものが、わたしの中で初めてうまれた気がした。

それから二週間。味方と協力者、そして悪魔に支配されちゃった人。それら以外の人間がわたしに介入してきた。

外部の人間。

どうしたの?と心配して連絡をくれる人。
どうしたの?というただの野次馬。
わたしもつらいことがあったの。というまさかの自分語り。

どれもこれも疲弊しかしなかった。全てが全て最悪だった。チケットを買ってくれている人ならまだいい。理由も尋ねる権利がある。チケットを買ってもいないのに、他人の不幸の匂いを嗅ぎつけて擦り寄ってくる人たち。詳しくは聞かないけどさ。自分には話してくれるよね。気持ち悪かった。全てが透けて見えた。
対して、実際こちらのことにはさして興味はなく、わたしもいまこんなにつらくてさ、という人。最悪だった。最悪。それでも受け止めて対応できたことは小さなホコリでもあるけど、取り敢えず、しんどかった。

なんとかして理由を吐かせようとする重い人たちと、軽いなにがあったのー?×100という攻撃。全ての対応の中で、イメージダウンに繋がることがあってはならない。細部にまで神経を張り巡らせて丁寧な対応を徹底しなければ、小さなミスは致命傷になりかねない。

わたしは、ほとんどの人を、きらいになった。

そして、たいせつなものを しった。

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