さよなら東京、の話。

 新型ウイルスで大騒ぎの最中、四年間住んだ東京を離れる際にすっからかんの新幹線で打った話。

 今まさに東京を発っている。東京人としての私が終わろうとしている。東京にもう帰るところはない。本来は4月の末に地元に帰るつもりだった。しかし、4月に予定されていたほぼ全てのイベントが中止になり、家賃を払いながら家に閉じこもり続ける意味のなさを思い予定を早めて帰ることにした。職場での送別会も中止になった。同僚への手紙やプレゼントは全て昨日職場に届けた。可愛がっていた蛾が産卵している様子も見れた。三月末、全ての仕事を終わらせなければならないと思いながら過ごす中で、同僚の一人が羽化に気づいてくれた。私の虫ケースだったのに、全然意識の中になかった。餌をあげようと言う同僚に、この蛾には口がないことを伝えた。すると「何のために生まれてくるの?」と皆言った。それは、相手と出会って子孫を残すために。そう伝えようとして、頭の中でラヤトンのButterflyが流れた。その蛾は一週間後死んだ。掌の上で愛でた後、もう一つの蛹の上に置いた。せめて一緒にいられるようにと。すると「ガサガサ」と音がした。まだ生きていた?と驚いたが、どうやら蛹が震えているようだった。ほどなくして、蛹から美しい蛾が生まれた。誰もがすでに諦めていた蛹だった。先に死んだのはオス、次に羽化したのはどうやらメスのようだった。「惜しかった」と数人の同僚が言った。「1日早ければ交尾していたかもしれないのに」私はそうは思わなかった。ただ、奇跡だと思った。そのメスは用意していたネットは使わず、自然の枝でゆっくり羽を乾かした。そして、数日に分けて、産卵を始めた。目算で190個。驚くべき体力だった。覚えてる、羽化に失敗させてしまったあのアゲハチョウも、交尾することなく何個も卵を産んだ。オオミズアオの卵はまるでウズラの卵のような柄で、小さなスイカ柄のようにも見えた。そんなオオミズアオとの奇跡。
 話を戻す。先ほど新幹線の改札に入ろうとリュックのポケットからカードを出そうとしたら、見つからなかった。どう探してもない。焦った。これがないと、スマホで予約をしても意味がない。頭の中で記憶を辿った。このカバンだろうか。ウクレレを入れたトートバッグのポケットを探した。ない。まさか。スーツケースの中から唯一持っているブランド物のポシェットを出し、ポケットを探す。あった。信じられなかった。そのポシェットは本来ならば運送会社に頼んで大きなスーツケースに入れて実家まで発送していたはずだった。家を出る直前に、「大きなスーツケース、送っちゃおうかな」と思い小さなスーツケースと中身を入れ替えた。その際、そのポシェットだけ大きなスーツケースに収まりきらず、小さなスーツケースに入れ替えた。たった、たったそれだけだったのに、こんなに大きな奇跡だったとは。驚いた。
 弟にはたくさん手伝ってもらった。朝9時前にきて冷蔵庫を外に出すのを手伝ってくれた。そして、部屋の片付けをする横でウクレレを弾いたりポケ森をしたりしながら待ってくれ、掃除もしてくれ、私が郵便局に行っている間に運送会社に大きな荷物5個の引渡しもしてくれて、可燃ゴミも不燃ゴミも持って帰ってくれて、退去の時にも残って立ち会ってくれた。嬉しかった。頼りになった。郵便局の帰り、時々行っていた八百屋さんでとちおとめ¥390(覚えてること全部書いておきたい気分だから値段も書いてみる)を買い、お団子屋さんで、草餅と、道明寺という桜餅と、豆餅と、柏餅と、トンカツ巻きと、ささがけごぼう巻き¥1,405を買い、いつもお世話になったあまいけで濃いお茶二本¥185を買った。本当にありがとう、って思った。弟は車で東京駅まで送ってくれた。車の中でぱくぱく食べて、電気とガスと水道を止める電話をした。良かった。最高の、最後の日だった。ありがとう。すべてに。

 地元で人と関わる気があまりなかった、荷物を置きに帰る程度のつもりだったがゆえに、誰にも帰ることを伝えていなかったのは、幸か不幸かこの事態では魔女狩りを避けられたと言える。二週間、両親が与えてくれた部屋に篭り続けよう。

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