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珈琲ラブ・ストーリー【彼女の恋】


珈琲の香り 〔超ショートショート〕


どうしてそのお店を選んだのだろう。
だって私は普段から珈琲を飲むタイプではないのだ。

『カランカラン』と鳴ってしまうドアベルを、なるベく鳴らさないようにそっと店内に入った。
ドアの向こうはまるで珈琲の国。
こんなに引き立ての珈琲の香りに包まれることって、普通の世界ではない。

どうして一人で来てしまったのだろう。
引き返そうにも引き返せなくて、もじもじしている自分が情けない。

「珈琲、お好きなんですか」

入り口近くの豆のケースを眺めていたら声をかけられた。答えられない。

「買っていかれますか?それとも、店内でご用意しましょうか」
「飲んでいきます」

それだけやっと答えた。

選べる程はない席数の喫茶室には私一人だった。店員さんから一番見えなくてすむ窓際の席についた。

なんだかドキドキしてしまう。まだまだ私は子供みたいだ。
ため息が出る。
吐いた分だけ吸い込む空気は、珈琲の香りに満ちていて、私に、ある記憶を思いださせた。


高校の文化祭の準備のあとだ。
なぜだったのだろう。
貴方と二人で、少しさびれた喫茶店に入ったんだ。
二人でなんて初めてのことで、心臓のドキドキが貴方に聞こえないように、リュックを胸の前に抱きしめていたっけ。

貴方が頼んだ珈琲を、知りもしないで私も頼んだ。
あの時、窓際に座った貴方は、西日に染まった街の何を眺めていたのだろう。
足を組んで窓の方に少し身体を傾けて珈琲を飲む貴方。そんな貴方を見つめ続けていた私に、きっと気づいていたよね。

洒落たコーヒーカップを片手で持ち上げる貴方が、とても大人に見えた。

疲れていて、あまり会話もなかったね。
もしかして話したのかもしれないけれど、私は覚えていない。


∞∞∞∞

店員さんが運んできた目の前の珈琲を眺める。猫舌の私は、すぐには飲めない。
あのときの貴方のように足を組んで窓際に身体を寄せてみる。

珈琲カップを顔の近くに持っていくと、湯気で視界がぼやけた。
湯気の向こうに、あのときの貴方が見えた気がして、胸がきゅっとなる。

貴方との思い出にふけりながら、時間をかけて珈琲を味わった。

珈琲を飲み終えた頃、近くに来た店員さんに声をかけた。
「この珈琲、美味しかったです」

私の言葉に柔らかな笑顔を作った店員さんは言った。
「それ、『初恋ブレンド』ですよ」


そうだ。あの時、私は貴方に恋をしていたんだ。




#超ショートショート

2つで1つのストーリーです。
彼側のお話も読んでいただけると嬉しいです。⬇


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