金曜20時までの恋人⑥ 〜水曜のランチ〜
普段ならばめったに取らない「半日休暇」を、思い切って前日に申請して、あっさり受け入れられた。
仕事を切り上げて向かったのは、“恋人”であるミナナのオフィスがある神保町だ。
昨夜、僕から送ったメッセージでミナナをランチに誘った。
やたらと「無理してない?」と聞かれたが、僕自身が驚くほど、なにも負担に感じていないことに気がついた。むしろ淡い期待すらある。それが何に関する期待なのかはまだあやふやだが、友達以上には感じ始めている女の子と会社を抜け出してランチをするのだから、やっぱり楽しいのだった。
ランチタイムで混み合うオフィス街を抜ける。ミナナが穴場だと言っていたカレー屋に入って彼女の到着を待った。
「ごめん、遅くなって」
そう言いながらミナナはやってきた。
少し息を切らせて、髪の乱れを整えもせずに僕の前に座った。
「良い店だね」
「でしょ?最近来ていなかったけど…」
ミナナは髪を手で撫でつけながら水を一口飲んで、
「こんなところまで来てくれるなんて、恋人みたいじゃーん」と言って笑った。
ミナナが照れ隠しに、わざと明るく言い放ったのがわかった。
いつもの砕けた雰囲気になりそうになったが、ここで流されてはいけないのだと僕は気づいていた。
「会いたかったから来たんだ。たいしたことじゃないよ」
まっすぐ目を見て言ってみた。
「お、そう?」相変わらずおっさんみたいな話し方だが、それはミナナらしさでもあるから、とやかく言わない。明らかに喜んでいることは見て取れるから、僕の方も一応満足だ。
カレーを食べながら、彼女の職場のお局様の話なんかを聞いて、あっという間にランチタイムは終了となった。
ミナナがオフィスに戻る道を途中まで一緒に歩いた。
「昼間に男性と2人で歩くなんて、そうそうないことよ」とミナナは言う。
そわそわしている様子に、こちらも落ち着かない気持ちになる。
「別に、いちゃついているわけでもないし、そんなに周りを気にしなくても良いんじゃない?」
僕がそう言うと、ミナナは少しうつむいて黙ってしまった。
「なにか気に触った?」
立ち止まってミナナの顔を覗き込んだ。
「違うの。照れているだけ」
「なんだ。可愛いじゃん」
「その、可愛いって言うのやめてくれない?」
「照れるから?」
「そう。そんなふうに言われることないし」
意外に思った。ミナナは明るく振る舞っているけれど、案外自信のないタイプみたいだ。
「あのさ、こないだメッセージで送ったこと、本音だから。からかって言ったんじゃない」
僕が言うと、ミナナは顔を赤くした。僕はこういう時、顔が赤くなるタイプでなくて本当に良かった。
「じゃあ言うけど。私も本音を言ったの。あの時」
今度は僕の方が黙ってしまう。
あの日、僕が寝不足になった原因の文面を思い出した。
「じゃ、行くね」
ミナナは僕の腕にぽんっと触れて、颯爽とオフィスに向かって歩いて行った。
ドキドキの余韻を、僕だけに残して。
(続く)
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