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掌編小説 | パイプガール

しおりはセーターの袖口を引っ張り、指先まで隠した。それから、その手で顔を覆い、意味ありげに笑っている。これは栞が言いたいことをもったいぶっているときの仕草だ。
 「ねえ、こないだのこと。ありがとね」
    やっと栞が口を開く。
 「いいよ全然。で、その後どうなのよ」
 「どうって。順調だよ。あきのお陰で」
 栞は甘えた声を出す。ああ、そうか。さてはヤッたな、この子たち。
 階段に隣同士で腰掛けていた私を体で押してくる栞からは、いつもと違う甘い香りがした。
 「ま、私のひとことが役にたったなら良かったよ。目標達成じゃん、今年中に彼氏作るって。おめでとー!」
 私は明るく言った。まったく、自分でも嫌になるくらい世話焼きだ。
 思えば、私は幼いころから、誰かと誰かの恋愛が始まるきっかけばかり作っている。巧妙な仕掛けをするわけでも、巧みな言い回しで互いを引き合わせるでもないのに、どういうわけか私が間に入ると、カップルが誕生するのだ。
 「愛のキューピッドだよ、あきは」
 「いや、今どきそんな言い方する?」
 「じゃあ、愛のパイプ」
 「なにそれ。あはは」
 私に恋愛相談をしてくる友達は、みんな最後は私に感謝する。いつだってお礼を言われる私は、明るく、それは明るく笑ってみせる。たとえそれが、本心から笑っているのではないとして、見破る人なんていない。作り笑いかどうかはさておき、笑顔の女の子ってモテるんじゃなかった? そろそろ、だれか私に惚れる人間が現れてもおかしくはない。
 みんな誰かの温もりが欲しいって、繋がりたいって願望がある。私の願望は?    何だろう。ああ、そうだ。願望がないんだ。誰かと恋に落ちたいとか、誰かに愛されたいとか。そういうことを端から諦めて生きてきたんだ。私には願望なんてない。

 いつだったか、両親が危機的にやばいときがあった。やばいって言うのは、どっちかが加害者でどっちかが被害者になる。つまり、極端な話、私の親のどちらかが死ぬってこと。
 生きてくれよ、頼むから。あんたらのどっちかが死んだら誰が大変って、私なんだよ。やるならこの世の果てで二人仲良く死んでくれ。どっちかだけが死ぬなんて、そんなに迷惑なことはない。私の人生が狂うだけだ。あんたらのことはどーでもいい。頼むから、頼むからどうか、死なないでよ。
 「わ―――――ん」
 私は泣いた。わ―――――んなんて、漫画の世界でも古いでしょ。だけど、アピールは大きくしなきゃ。訴えはわかりやすくしなきゃ。そうでないと伝わらないんだ。イカれた、それはそれはイカれた、私の両親には。

 私にはとっておきの隠れ場所があった。
 父と帰ってくる、母ではない女。母と帰ってくる、父ではない男。そういう他人が度々やってくるこの家で、私が見つけた隠れ場所だ。
 深夜、階段を上ってくる誰かの声が聞こえる。それが父であろうと、母であろうと、酔った男女の声が聞こえたら、ドアが開かれるその時までに、ずっと故障したまま直していない洗濯機の中に隠れるんだ。
 洗濯機の中に入ったら、蓋は閉めずに、頭の上にバスタオルを被って息を殺す。居間の隣の万年床で始まる、気色悪い騒ぎから、意識丸ごと逃げていく。
 必要なときにはこんなふうに姿を消して、必要なときには大きな声で泣いて訴える。そんなことをしながら生きてきた私は、この家族の何を守りたいのだろう。三人だから、真ん中にいるのが一番バランスがいいって、なんとなく思ったんだ。

 「ちーちゃんがさ。あんたのこと好きらしいよ」
 校舎裏の階段に呼び出すと素直にやってきた飯塚に、私は単刀直入に告げた。飯塚は、背が高いにもかかわらず、私がいる場所より三段も高いところに立って、私の言葉など聞こえないふりをしている。
 「ねえー、ちーちゃんのこと、どう思ってる?」
 私は大きな声で言う。だけど飯塚は一向に答えない。めんどくさいを作る男だな。さっさと向き合って、私の質問に答えてよ。
 「なんで、佐藤がそんなこと言ってくるわけ?」
 「ん、なんで? さあ。ただ、ちーちゃんがもぞもぞしてるの見るのが気持ち悪いの。ああ、気持ち悪いっていうのは、なんか便秘気味なときの気持ち悪さ。人格否定ではないやつ。意味、わかる?」
 飯塚は冷めた目で私を見てる。
 「佐藤は千鶴とそんなに仲良くないだろ?」
 「私? まあ、ふつう」
 「じゃあ余計なことすんな」
 「まあ、余計は余計だけどさ」
 たまにいるんだ、こういう奴。お前には関係ねえ、みたいなこと言って、次の日には女の子に告るの。告白成功の確率が上がったのは私のおかげなのに、感謝の気持ちもないんだ。こういうタイプは。
 「佐藤。お前の頭の上、なんか乗ってるぞ」
 「へ?」
 「それ、俺には見えてるんだわ」
 なにが乗ってるって? なんのこと?
 「へんなやつだなって思ってた。隠れ蓑みたいにして、なにかから隠れてると思ったら、急に堂々とアピールしたり。うぜえな、と思って」
 なんだって?   何が見えてるって? これといった願望もなく、いつも周りに気を遣って、状況に合わせて擬態しながら生きてる姿が〝見えてる〟って言ってるの?
 「へえ……」私はまじまじと飯塚を見てしまった。
 「どうした?言われたことがショックで落ち込んでんの?」
 いや、そうじゃない。本当の私の姿が、見える人がいるんだなって。
 「やり方が雑なんだよ、お前は」
 飯塚が一段、一段、階段を降りてくる。
 「全然隠れられてねえよ。私を見てってアピールがうざすぎるんだよ。言いたいことがあるなら最初から自分で言え。人の気持の代弁ばっかりしてるから、自分が迷子になるんだよ」
 「私がいつそんな……」
 気がつけば私は泣き出していた。漫画みたいに泣くのはどうにか堪えたけど、なんだろう、この気持ちは。
    というか、なんなのこいつ。なにが〝自分が迷子〟だ。どっかから借りてきたよう言葉でかっこつけて。だいたい、なんで私のこと知ってんだよ。知ったような事言うな。お前なんか、お前なんか──。
 「早くちーちゃんとつきあっちまえ!」
 「余計なお世話だ。世話焼きババア」
 なにがよ。世話焼きでなにが悪い。関係が壊れないように、必死で人を繋いで何が悪い。
 「飯塚ー!!」私は叫んだ。
 「なんだ、うるせえな」
 「私と付き合えー!!!」
 「なんでそうなるんだよ!」
 飯塚は逃げた。随分と逃げ足が速かった。そうだ、奴は短距離の選手だ。飯塚が必死に階段を駆け下りていく音を聞きながら、私は体の力が抜けていくのを感じた。階段に座り込み、壁にもたれた。なんだろう、とてつもなく清々しい。見上げた空さえ、いつもより少しだけ広く見える。

 そのとき、一階から飯塚が私の名前を呼ぶ声がした。私は慌てて立ち上がると、手すりから身を乗り出し、下を覗いた。飯塚と目が合った。すると飯塚は地上から私を指さした。
 「俺は千鶴と付き合わない。そんで、お前とも付き合わない!」
 飯塚は叫び、また全力で走って行った。
 「あっそ!!」
 なんて憎たらしい。だけど、走り去る飯塚を見ていたらなんだか可笑しかった。自然と笑いがこみ上げる。泣きながら笑っていた。何がこんなに可笑しいのだろう。私は本当に久しぶりに、腹の底から笑っていた。






[完]


#短編小説



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