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人格の世界・霊格の世界【憂世で生きる智慧】

見上げたり見下したり:幸福を求める人間の迷走

現代社会は他人の評価基準に縛られがちだ。肩書、学歴、知能、カネ、血統、思想、宗教。これらは一見、成功や幸福の指標に思える。しかし、これらの基準が心の平安や喜びをもたらすことは少ない。なぜなら、これらは他人の目を意識した「外的評価」に過ぎないからだ。人は自らを他人の基準で測り、見上げたり見下したりしながら、本当の幸福を見失ってしまう。

他人の評価基準:外的評価の罠

「人格者とはどうあるべきか」という問いに対して、他人の目を意識した基準が存在する。人前で善き人を演じることや、神について語るだけの人々がいる。しかし、これでは本当の人格者とは言えない。他人の期待に応えるためだけに生きることは、自己を見失うことにもつながる。見栄や外見に囚われず、自分自身の内なる声に耳を傾けることが重要だ。

霊格の世界:内なる平安と喜び

一方で、霊格の世界は全く異なる次元に存在する。この世界では無分別、比較、差別がない。自己基準に基づき、自分の努力と判断で生きることが求められる。神の前で善であるかどうかを日々反省し、精進する。ここでは他人の目や評価は一切関係ない。自己の内なる平安と喜びを追求することが真の幸福への道となる。

内省と精進:真の幸福を求めて

幸福を求める旅は、他人の評価基準から解放され、自分自身の内なる基準に従うことから始まる。日々の反省と精進を通じて、自分が神の前で善であるかどうかを問い続ける。この内省のプロセスが、真の平安と喜びをもたらすのだ。

他人の目を意識せず、自己の内なる声に従うことで、見上げたり見下したりすることのない、真の幸福を見つけることができる。人は内なる平安と喜びを求めることで、外的評価の束縛から解放されるのだ。


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