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九次第定【仏教の基礎知識02】

仏教の核心的な問題の一つは、釈尊(仏陀、ゴータマ・シッダールタ)が何を悟ったのかが未だに明確でない点だ。釈尊が悟ったとされる「縁起」の概念についても、それが本当に釈尊自身が悟ったものなのか、後世の創作物なのかという疑問がつきまとう。しかし、釈尊の悟りはこれらの教えを超えたもっと根源的なものであろうと推測される。

まず、釈尊が実際に悟った内容について触れてみよう。一般的な理解では、釈尊は「四諦」と呼ばれる教えを説き、人々に苦しみからの解放を説いたとされる。釈尊が生涯を通じて最も関心を持っていたのは、「苦しみの原因」と「その克服方法」だ。彼は人間の存在そのものが苦しみに満ちていることを認識し、その原因を探求する中で「縁起」の概念に到達した。しかし、縁起は単なる哲学的な理論ではなく、具体的な実践を通じて理解されるべきものである。

多くの人々は釈尊を超自然的な存在、あるいは神格化された人物と見なしている。しかし、彼はむしろ、実際に生活の中で苦しみと向き合い、その解決策を見つけ出した一人の人間として捉えるべきではないだろうか。釈尊は奇跡を起こす超能力者ではなく、人間の心理と行動を深く理解し、それを基に具体的な修行法を提示した人物なのだ。
これらを踏まえると、釈尊が悟ったとされる「縁起」が、後の創作物かどうかという問題は重要ではなくなる。むしろ、縁起の教えをどのように実生活に適用し、苦しみから解放されるかが核心である。

釈尊の最大の関心事は「実践的な悟り」にあったと考えられる言える。彼は哲学的な議論よりも、実際の生活の中で苦しみを減らすための具体的な方法を重視した。これが、釈尊の教えの本質であり、彼が実際に悟ったことなのだ。


釈尊の出家

大いなる遁世
太子は別れの時が来た、と父に告げる。王は涙を流して太子を引きとめようとして、もし留まってくれるならば、どんな願いでも叶えてやろう、と約束する。そこで太子は静かな声で王に言う

「父よ、私の願いは四つある。もしこの四つのことを叶えて頂けるならば、私はいつまでも父君のもとにいて、もう別れることなどを考えもしまいますまい。私の願いというのは、第一には老いることのない永遠の青春、第二には衰えることのない美貌、第三には病に悩まされることのない健康、第四には死ぬことのない永遠の生命である。」

王がそういうことはできないことをやむなく認めると、ボサツはたずねる。それでは少なくとも次の一つの事だけは聞きとどけてもらえるであろうか。すなわち、今の生涯で死んだら、もうこれ以上、未来の生涯に生まれかわらないですむようにしてもらえるであろうか、と。そこで王は自分が無力であることを知り、父としての愛情を抑えて、太子が世の人々の至福のために家を出ることを承知する。しかし夜が明けるとまた気が変り、見張りをいっそう厳重にして、太子の脱出を妨げようとする。(p63-64)
***
アーラーダ・カーラーパというヨーガ行者が住んでいて、三百人の弟子に(瞑想)ヨーガを教え、「虚無の世界への上昇」(無所有処《むしょうしょ》)と名づけられる段階まで達せしめる。まもなく教えられた段階に、楽々とのぼれるようになる。
アーラーダのもとを去って、さらにマガダ国に向う。首都ラージャグリハにはルドラカ・ラーマプトラというヨーガ行者が七百人の弟子といっしょに住んでいる。彼が教える瞑想は「意識と無意識との彼岸の世界への上昇」(非想非非想処ひそうひひそうし)という。教えられたとおり、瞑想の修行をすると、まもなく予期した成果をおさめる。
ルドラカに、これ以上の段階を知っているか、とたずねると、知らぬと答える。ボサツは、ルドラカが教える道は、悟りなり、ネハンなりに到る道ではない、と知る。ルドラカの弟子の五人(「恵まれた五人の群」)は、自分たちが永いあいだかかっても達することのできなかった霊的目標に、苦行者ゴータマが、たちまち苦もなく達してしまい、そのうえ、さらに高いものを求めて努力しているのを見て、感銘を受け、この人こそ未来の世界の師であるとして、ルドラカから離れてボサツにつきしたがう。(p67-68)

[「仏教(上)」ヘルマン・ベック/岩波文庫]

九次第定(くしだいじょう)
初禅・第二禅・第三禅・第四禅・空無辺処定・識無辺処定・無所有処定・非想非非想処定・滅尽定

釈尊が最初の解脱者という誤解

釈尊の悟りに関する経典間の不一致・混乱は、釈尊の悟り自体が不安定・曖昧模糊たるものであったことの反映で、仏教の教えは未だ確立していなかった。仏教に特定の教義はない。

[中村元選集11巻ゴータマ・ブッダⅠ(春秋社)]

ヤージュニャヴァルキャの時代から、志の高い多くの出家たちが解脱への道を目指しましたが、記録上、解脱に至るのに成功した最初の人物こそ、ゴータマ・ブッダだったのです。

[「インド人の考えたこと」宮元啓一/春秋社]

中村元先生の説に対して、宮元啓一先生のように「釈尊は最初の解脱者」という考えを持つ人が多いが、釈尊以前の解脱者は存在する。

シャーンディルヤ(シャーンディリヤ)

実にこの一切はブラフマンである。
人は心を冷静にして念相せよ。
宇宙から彼は生まれ、それなしで彼は生きていけず、その中で彼は生きる。さてまた、ヒトは実に意(こころ)から成る。
ヒトがこの世で持つ意に応じて、死んだ後も存在する。
それ故にヒトはしっかりと意を定めよ。
ブラフマンとは意からなり、気息を身体として、光輝を姿とし、思惟したことは必ずその通りになる。
それは虚空の性質を帯びていて、一切の行為となし、一切の欲望を持ち、一切の香りをそなえ、一切の味を含み、全宇宙に遍満し、無言であって無関心なものである。
この心臓内部の私のアートマンは、米粒よりも、麦粒よりも、芥子粒よりも、芥子粒の核よりも小さい。
この心臓内部のアートマンは、大地よりも大きく、空よりも大きく、天よりも大きく、これら諸々の世界よりも大きい。

[シャーンディルヤ]

ヤージュニャヴァルキヤ

ウッダーラカ・アールニ

涅槃(ニルヴァーナ)=解脱の境地(煩悩消滅)

五人の修行者がうやうやしく礼拝し、仏陀はすすめられるままに席につく。
私は不死の至福(甘露)と、不死の至福にいたる道とを見出した。今や悟ったもの(仏陀)、智者、洞察者であり、煩悩の火の消えた汚れなきものである。
「すべての教えのうちの最高の教えを私は汝たちに告げるであろう。それによって、汝たちもまた、心の解脱と智慧の解脱とを見いだすであろう。そして、誕生はほろぼされ、聖なる修行は完成し、なすべきことはなしとげた、もう二度と生存に立ちもどることはあるまい、と悟るであろう」(p90)

[「仏教(上)」ヘルマン・ベック/岩波文庫]

煩悩の定義

引用した文章から解釈できるのは「煩悩の火の消えた汚れなき状態」が涅槃であることを示している。ニルヴァーナの本来の意味は「吹き消すこと」であり、それが転じて煩悩の火が消えた境地を指すようになった。ブッダは自分が悟ったことを示し、その状態を煩悩の火の消えた汚れなきものだと言っている。
ブッダは自身が解脱したと述べ、その教えを信じる者もまた解脱し、二度と生まれ変わることはないと保証している。解脱した結果として心が清らかになるその状態が涅槃であり、仏教ではこれを同義と考えるべきである。
大乗仏教になると解釈が複雑になるが、釈尊が言った意味では解脱と涅槃はほぼ同義であり、解脱とは二度と生まれ変わらないことを意味する。涅槃はその結果として到達する心の清らかな境地である。
要は、解脱と涅槃は密接に関連しており、解脱した状態の心の清らかさを涅槃と呼ぶことだ。そして、煩悩とは何かという問いが残る。

性欲は煩悩なのか?
性欲という煩悩が完全に消えると生きることができない。これは煩悩がフロイトのリビドー、生命欲と同じだからだ。ブッダも性欲と生命欲を「渇愛」として説明しており、生命欲、性欲、死の欲望が一つになったものだ。煩悩が完全に消え去ると生きていないことになる。解脱者も性欲や睡眠欲は存在する。
睡眠欲は煩悩ではない。正しく生きるために必要だからだ。どんな苦行者でも睡眠は必要で、適切な栄養を取って体を健康に保つことも不可欠だ。適切な食欲、睡眠欲、性欲は当たり前のことで煩悩ではない。しかし、過剰な貪欲や異常な性欲は煩悩といえよう。

中道、四聖諦、八正道

「宗教生活に入ったものは二つの行き方を避けなければならない。第一には官能欲を満足させる行き方であって、これは低く卑しく、聖人にふさわしくなく、無益である。聖なる生活、禁欲、無欲、智慧、悟り、ネハンにいたる道ではない。第二には苦行の行き方であって、これは苦しみ多く、無益で、この現在の生活においても、また来世においても苦しみをもたらす。如来(タターガタ)はこの二つの行き方を避けて、中道の法を説く。
ここに四つの尊い真理がある。それは苦悩と、苦悩の起源と、苦悩の絶滅と、苦悩の絶滅にいたる道とについての真理である。(p91)
誕生は苦悩である、老は苦悩である、病は苦悩である、死は苦悩である、きらいなものに遭い、好きなものと別れることは苦悩である、望みがかなえられないことは苦悩である、要するに、感覚的なものをつかむことは五種類とも苦悩である。苦悩の起源は官能の渇望(「渇愛」)であって、これによって輪廻がおこり、煩悩をともなって、あれこれと欲望をおこすのである。苦悩の克服は、官能の渇望を絶滅し、煩悩をすっかりなくなすことである。苦悩の克服にいたる道は尊い八種の道、すなわち、正しい見解、正しい考え(決心)、正しい言葉、正しい行ない、正しい生活、正しい努力、正しい思い、正しい瞑想である。ビクたちよ、これが四つの尊い真理である。(p92)

[「仏教(上)」ヘルマン・ベック/岩波文庫]

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