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ベスハチとの出会い④ ロックンロールの救世主とライヴ現場の世界・中編その2

まず、はじめに。

先日亡くなられた
The Birthday であり、
元 THEE MICHELLE GUN ELEPHANT の
チバユウスケ氏 に、
この記事の中の一部エピソードを捧げます。

ロックの神様的な存在にまで成った貴方と、
同じ時代を生きることができて幸せでした。
ありがとう。




【前回記事↓】ベスハチの進化した前身バンドと共に歩むライヴ現場の世界

さて前回、
Elizabeth.eight(エリザベス・エイト)こと
ベスハチ の、
新メンバー加入により進化した前身バンドと、
本格的にライヴの世界にどっぷり浸かっていく様子等について書いた。

今回は、いよいよ
ベスハチの前身バンド
the lovemachine (ラヴマ)』
が、
Elizabeth.eight(ベスハチ)』
として生まれ変わっていく様と、
同時平行の音楽体験とを書いていく。

ベスハチの一度目の変身、である。

この辺りについては何故か前身バンドよりも物的な資料が少なく、
ここでお見せ出来るものもわずかになるが、
ベスハチをひたすら追い続けながら体験した わたしのライヴ人生の、
中核を担う時代の話となる。


如何にしてベスハチの音楽にたどり着いたか。
わたしの通ってきた道と少しでも道が重なるのであれば、
これからこれを読むあなたには、
ベスハチを好きになる素質や素養がある。
そう思う。






▼ 生まれ出でたり、ロックンロールの救世主


2006年1月。

2002年4月頃から追い続けてきた
the lovemachine (ザ・ラヴマシン)』の、
突然のバンド名の改名が発表された。

その名も、
ELIZABETH.EIGHT(エリザベス・エイト)』。

略称も既にあり、
BETH.8ベスハチ)』
といった。

当時配布されたフライヤー。
バンド名を改めると共にイメージも一新され、
特にヴォーカル・ミワユータ総帥の装いも
頭にティアラ、ジャージのトップスにフレアスカートというガーリーミックスなものへ。


2006年1月18日。

東京都内 下北沢club251にて行われた、
新バンドのお披露目ライヴ。

新バンドのイメージを象徴するような曲として披露されたのは、
ベスハチとしての新曲、
ミドルネーム・ザ・エゴイスト』。

※ベスハチとしての初期曲ではあるものの、1stアルバムでは音源化されず、2ndアルバムで初の音源化となった。

スタンドマイクを前に、
曲に合わせて可愛らしく揺れるガーリーな装いのヴォーカル・ミワユータ総帥の姿と、
それまでのラヴマの尖ったイメージとのギャップに一瞬 面食らった。

だが曲のサウンド的には、
後期ラヴマの楽曲に多く見られたロックテイストを残しつつも、
ほんのりガーリーさが加わったような、
まさにスイートじゃなくスパイシーといった言葉がぴったりな曲だった。

その他に披露された曲は、
ラヴマ時代からの定番曲である
ミッドナイトロデオガール』。

ライヴでは この曲の冒頭、
フライヤーにも書かれている
例え9秒泣いたとしても10カウント目にはファイティングポーズを取る、それがベス
といった流暢な口上が入り、それも今や定番だ。

この他に既存のラヴマ時代の曲を1曲と、
その他 数曲は全て、ベスハチとしての新曲。

ラヴマ時代後半からのミワユータ総帥のステージングは、
尖った格好良さを前面に押し出したエロティックかつセクシー、
なのにパワフルさも感じられるような
派手に暴れ回るパフォーマンスが常であった。

この日 新バンドとしてテイストが変わると共に
ステージもそれに合わせて可愛らしく、お行儀良くなってしまうのかと思いきや、

初回からいきなり
新バンドのフロントキャラクターとしての
トレードマークのティアラをぶっ壊す
というステージ上の暴れぶりは健在だったので、
逆にそこで安心したところもあった。


少なくとも『ミドルネーム・ザ・エゴイスト』を筆頭に掲げたライヴは、
新たなバンドの始まりを予感させると同時に、
後期ラヴマからアングラ的なイメージが取り除かれても
ロックテイストの路線は継続されつつ きっちり示されていた事に、
今後への期待を膨らませてくれるものとなった。

エリザベス・エイトとしての初ライヴの日から、
ベスハチのイメージとして物販に置かれていた額縁。
当時撮影させていただいたもの。

以降のライヴでも、
ミドルネーム・ザ・エゴイスト
をオープニング曲、
Marry Me!!
をエンディング曲の定番としてそれぞれ飾る事で、
ベスハチというバンドのイメージが構築されていった。


また、ベスハチとしてのスタートを切って以降、
よく演奏されていた楽曲のうち、
No Ready号』は、
わたしの一番好きな曲として
当時書いていたライヴレポートにもよく挙げていた。

もちろん今も大好きな曲のひとつだ。


しかし2006年5月頃。

彗星の如く現れたのが、
ミッシェル・ガン・エレファントチバユウスケ氏に捧げる心中ソングというテーマを元に作られた新曲、
銃声に鳴る彼のタンバリン』である。
※ミッシェルは2003年10月時点で解散している

こちらの動画は、
チバ氏の訃報が伝えられた2023年12月5日に急遽アップされたリリックビデオ。
歌詞の世界観を曲と共に是非味わって欲しい。


疾走感のあるロックでパンチのある曲調と音に、
ロンチックかつシネマティックな詞の世界観。
それを歌い上げる、ミワユータ氏の声。


ライヴで初めてこれを聴いた時。

ロックという音楽を知ってから、
長らく探し求めていたものに、

ようやく出会えてしまった。


ここまでの数年で、
音楽が人生といっていいほど、
音楽と共に凝縮された時間を過ごして来たが、

ずっと、
惜しい。
これじゃない。

どこかそういう思いで音楽を貪ってきたところがあった。

だが、

それも全て、
この曲に出会うためのものだったのだ。


ラヴマ時代の曲にも、
特に後期は尖ったロックナンバーも数多く存在していたが

このベスハチというバンドで、
この曲をやるということ。

それはすなわち、
ラヴマ時代のダークでアンダーグラウンド的なイメージを脱ぎ捨てつつも、
ラヴマにおいて わたしが最大の魅力と感じていた、
美しき箱庭のようなシネマティックな世界観
ロックという最強の武器が加わり、
待ち焦がれていた ご指名のロックバンドが誕生したということだ。


【↓参考記事】コレジャナイ①

【↓参考記事】コレジャナイ②


不思議な事に、
この『銃声に鳴る彼のタンバリン』が
ライヴで披露された後、
夢を見た。

ミッシェル・ガン・エレファントのMV(と認識している映像)が流れる自室。
曲のタイトルも、
流れている曲も、
MVの内容も、
全てちぐはぐではあったのだが、

太陽に向かってのびる長い階段を、
ミッシェルのメンバーがTV画面を背に
いつものバチっとキメたモッズ・スーツ姿で上がっていくシルエットが印象的なMV。

そこでは わたしと チバユウスケ氏が
靴を履いたまま、
ヤンキー座りで談笑していた。

チバは わたしに、
「(このMVは)おもしろいか?」
などと聞いてくる。

わたしはそれに、おおいに肯く。
続けて、
「最近 ベスハチが、チバに捧げる心中ソングを作ったんだよ。
 タイトルは『銃声に鳴る彼のタンバリン』というんだよ」
と話すと、

チバは何かを含んだように ふっ とやさしく笑い、
彼に似合いのタイトルだね
と答えた。

口調や発言内容からも、
その場にいたチバは本人ではなく
別次元(?)のチバだったのかもしれないが、

ともかく この夢を見たことで、
チバには ちゃんと
ミワユータ総帥の想いが伝わった、と思った。

夢といえど、
何かの啓示なのでは?
という感覚が自然とあった。



また、この時期は
No Ready号』に始まり、
銃声に鳴る彼のタンバリン
pm11:45
などのロックナンバーが次々と発表されてゆき、
ベスハチのスタート時のようなガーリーなイメージからは
徐々に離れていった。

これらの楽曲の登場によって、
ベスハチというバンドの方向性が決定的なものとなったように思う。

さらには、
初動の可愛らしいイメージなど最初から無かったかのように、

決して大人しいステージなんぞやるものか
という強い意志を示すかのような、

マイクスタンドの足をぶった切って作られた、
常に動きまわる事が前提の
ミワユータ総帥のステージアイテム

その名も『うまい棒

が使用されるようになった。

この存在そのものが、
ロック以外の何ものでもない。

ベスハチというバンドが、
加速度的に『ロックバンド』に成ってゆくことへの喜びを 
興奮と共に ひしひしと感じた。


これを書いている2023年12月6日は
チバの訃報の翌日にあたるが、

実はあの夢の時にしっかりと、

ミッシェルのマインドはベスハチへと受け継がれたのではないか と。
チバからもお墨付きをもらったのではないか と。

今になって思うのだ。


ロック死はんだ などと云われる昨今、

エリザベス・エイトが
ロックンロールを救いに来た
のだ と、
強く。



▼ 平行して続く音楽体験


一方わたしは、ライヴ以外のところでは
2005年春から通いだした学校の課題で忙しくなり、
且つ 行くライヴ行くライヴが
ワンマンよりも複数バンドの出演するイベントが多く、

音楽の開拓が捗りに捗った末
ライヴ本数自体やライヴの日程被りも増え、
ベスハチのライヴも皆勤とまではいかなくなってきたが、

徐々にロックバンドとして強さを増していく彼らの音楽を現場で少しでも体に焼き付けたく、
ラヴマ時代からも含めた 多彩な楽曲プールの中からどんな曲が飛び出してくるのか
可能な限り見逃したくなく、
相変わらずの九割九分九厘の頻度で通っていた。


少し遡るが、
2004年以降はラヴマ、現ベスハチのライヴを軸に通いつつも、
友人Kと共にあらゆるライヴイベントに足を運んでいた。

ベスハチとその他のバンドを数多く観ていくことで、音楽的な感覚がより一層 養われたように思う。
双方を楽しむことで新たな発見や、
より一層好きになれるポイントが生まれたりすることもあったため、
自分にとっては切り離せないものである。


中でもよく音源を聴いたり足繁くライヴに通っていたバンドは、
以下のようなラインナップだ。
2003~2007年 当時に発売され、よく聞き込んだアルバムも添えておく。

興味のある方以外は
次の章まで読み飛ばすのがオススメだが、
当時の音楽シーンの空気感を味わいたい方は、
少々お付き合いいただけると嬉しい。


Syrup16g(シロップじゅうろくグラム)

※当時からヴォーカル&ギターの五十嵐氏の精神不安定からくる解散を思わせるような噂、空気感がすごかったため、音楽的なところ以外の意味でも目が離せないバンドとなっていたが、
2008年に一度解散しており、2014年に再結成した。
2023年まで わたしが唯一切れ目なく動向を追っているバンド。
なお、2006年~2007年にはdownyのギターである青木 裕 氏がサポートとして入っていたこともあり、
個性的すぎるギタープレイはシロップにはあまりマッチしていなかったが、個人的には大歓喜であった。
ベスハチに次いで思い入れの強いバンドである。

downy(ダウニー)

※これらのラインナップの中でも異色の部類に入るが、バンドマンの友人に勧めたら真っ先に「このパートが嫌い」とバッサリな発言が飛び出して以降、人に勧めることをやめて一人ひっそりと楽しんでいたバンド。
プログレっぽい要素もあったためか、母は気に入ったようだった。
2005~2013年に一度活動を休止しており、
その間にも各メンバーそれぞれに活動していた別バンドを観る機会が多く、
これらのおかげで音楽の開拓にも繋がった。
ギターの青木 裕 氏が2018年に亡くなってからは少し距離をおいていたものの、
近年になってわたしの中でもダウニー熱が再燃してきて、またライヴを観るようになった。

VOLA & THE ORIENTAL MACHINE(ボラ・アンド・ジ・オリエンタル・マシーン)

※邦ロック界隈で高名なナンバーガールというバンドのドラマー アヒト・イナザワ氏がヴォーカル&ギターへと転身して率いるバンドで、
他パートはドラムにSyrup16gのドラマー中畑大樹 氏、
ギターにdowny青木 裕 氏、
ベースにthe pillowsLOST IN TIMEのサポートメンバーとして活躍する有江嘉典 氏で構成される、
夢のビッグバンドである(所謂マイナーメジャーどころが集まったバンドで、個人的には好き×好き×好きのより集まった、とても美味しい面子)
メジャーバンドで活躍するようなメンバーのわりにはライヴの頻度がかなり多く、当時はベスハチに次いでライヴに通っていた。
アヒト氏が元々ドラマーのため、時折ボラのステージでもシロップの中畑氏と共にツインドラムが披露された。
青木氏のギタープレイはdowny以上にこのバンドの音楽性とマッチしており、彼のギタープレイを観るためにライヴに通っていたようなものだった。
途中でdownyの青木 裕 氏の脱退が発表されたのを機に、ボラのライヴからは足が遠退いてしまった。

ART-SCHOOL(アートスクール)

※アートスクールについては特にインディーズ時代の音源をよく聞き込んでいたため、この年代までに好きな曲が満遍なく入ったこちらをセレクトした。
アートの対バンイベントによく足を運んでいたが、個人的にも刺さるバンドが多く、新規開拓がよく捗った。
アートと対バンしたバンドはそれ以降 知名度を上げているバンドが多く、代表的なところではBase Ball BearOGRE YOU ASSHOLEandymori(解散済み)など。
ヴォーカル&ギターの木下理樹 氏はSyrup16gが好きで、ライヴ会場でも個人的によく目撃していた。
一時期病気療養で休止していたようだが、先日久しぶりにライヴを観たことで良さを改めて実感したところである。

くるり

※聞き始め当初はそこまでハマらなかったが、このアルバムあたりで一気に自分の中で盛り上がった。
当時のドラマー クリストファー・マグワイアのプレイが非常に好きでライヴに通っていたところもある。
特に『How To Go』冒頭のパワフルなドラムは彼にしか叩けないと思う。
のちのクラシック音楽の色が前面に出されたアルバムが肌に合わず一度は離れたが、ブランクを経て2023年現在でもライヴに足を運ぶ程には好きである。
ドラマ『オレンジデイズ』で くるりを知った人間も多いなか、
いつぞやのフェスでは持ち時間のうちの大半を『WORLD´S END SUPERNPVA』の間奏部分セッションで潰し、曲のチョイスもそうだが、音楽好きでなければ敬遠するような長尺セッションによって見事に初見殺しをしてみせた そのロックさに惚れ直したりもした。

POLYSICS(ポリシックス)

※ロックインジャパンフェスで観たのをきっかけにハマったバンド。
完全にイギリスニューウェイブの影響を受けており、音楽的なところ以上にバンドメンバーの衣装は、母が聞いてきたDEVOの雰囲気が色濃く出ていたこともあり、母ともライヴに足を運んだこともある。
わりと前方まで行って共にぎゅうぎゅう詰めのモッシュに揉まれてきた。
ポリのロック色の強いニューウェイブサウンドが好きだ。
先日アートの木下氏の誕生日イベントで久しぶりにライヴを観て、良さを再認識。
また、当時ベスハチもよく出演していたライヴハウスである さいたま新都心VOGUE(現HEAVEN´S ROCK VJ-3)にもツアーでよく出演していた印象。
2006年頃には音楽専門チャンネルのスペシャにて、ヴォーカル&ギターのハヤシヒロユキ氏の冠番組『NEU!!!!』も放映され、かじりつきで観ていた。

DOPING PANDA(ドーピングパンダ)

※ロッキンオン主催のいずれかのイベントで観て以来ハマり、
のちの某SNSコミュニティから生まれたファン主催DJイベントにまで足を運び、
そこでの出会いによって音楽の開拓以上に交遊関係が広がったこともあり、色々と思い入れのあるバンド。
ヴォーカル&ギターのYutaka Furukawa氏の、自らをロックスターと呼ぶビッグマウスにかなう爽快でダンサブルな音楽性が好きだ。
一度は解散したが近年再結成した。
アートスクールの木下氏と仲が良く、当時は対バンもよくあった。

BOOM BOOM SATELLITES(ブンブンサテライツ)

ベスハチのラヴマ時代、珍しく原宿でライヴがあり、ライヴハウスへの道中で発見したカフェに通うようになるうち、
偶々カフェ内でこのアルバムを流していたことで知ったロックユニット、ブンブン。
ラヴマのおかげで出会ったともいえる。
しかしそれより随分前に、こちらの系統の音楽のアンテナを張っていた母がブンブンのアルバムを数枚所持しており、のちのライヴには よく母と共に足を運んだ。
こちらもポリと同様、デジタルにギターサウンドの乗るロックな音楽が非常に好みである。
2016年にはヴォーカル&ギターの川島道行 氏が亡くなり、
2009年のミッシェルのギターのアベフトシ氏に続いて ど真ん中で好きだったバンドメンバーの死という事で、当時は相当堪えた。
2023年の今も当時のことをこじらせており、現在ブンブンの片割れの中野雅之 氏が別バンドでブンブンの楽曲を演奏していることについても若干モヤモヤしている。

GRAPEVINE(グレイプバイン)

※音源発売は欠かさず追っていたものの、
当時はワンマンに行くことはほとんどなかった。
ここ10年くらいでまたテイストが変わってきたことで、近年になって再燃したバンド。
自らが足を運ぶフェスやイベントに出演すれば必ずライヴを観ていたが、ワンマンまで行かなかったのは恐らくそこまで手が回らなかったのだろう(当時は行くライヴが多すぎた)
当時友人Kと合同で制作していた漫画同人誌の作業BGMとして、ひたすらこのアルバムをかけていた記憶がある。

CONDOR44(コンドルよんじゅうよん)

KAREN(カレン)という、ART-SCHOOLのギター2人とdownyのリズム隊にRopes(ロープス)の女性ヴォーカル アチコ 氏で構成されるバンドを観に行った先の対バンで知ったバンド。
当時シロップの音源リリースや出演するイベントを主催するレコード会社からも音源がリリースされていたが、
いつしかバンド名を変え、その後は何の音沙汰もなくなったため、サブスクリプションでも聞くこともできないという、もはや幻のバンド。
それでも好きなんです。
音楽的なところでいうとマイベストバンドのトップ10中に入るくらいには。

STAN(スタン)

※こちらも何かの対バンで知ったが、現在は既に解散しており、
ヴォーカル&ギターのkyg氏 改め ニシー氏は現在 占い師、いや 占う男としても活躍している。
kyg氏による詞のビッグマウスぶり、
サウンド面でのロックさ、
インディーズロックの初期衝動、
ライヴでのクラシックロックの有名フレーズ(特にレッド・ツェッペリン等)のパロディライクな取り入れ方が非常にツボだった。
このあたりの洋楽フレーズの取り入れ方を楽しめるのも、母の胎教やサブリミナル的に洋楽を履修していたことに尽きる。
くるりグレイプバインのようなバンドもライヴにおいてそのような有名フレーズを取り入れて演奏することがあるが、
卓越したデッサン技術で裏打ちされた絵画作品のような、『知』と『技』を持つ強者の余裕と遊びの部分が、このバンドと共通して好きなところでもある。

8otto(オットー)

ポリシックスハヤシヒロユキ氏の冠番組でよく特集されていた事で好きになったバンド。
このバンドについては特に音源とライヴの差が激しすぎるため、こちらのライヴ音源をチョイスした。
ドラマーがヴォーカルを兼任するという珍しいタイプで、特にライヴの轟音と激しさにはアツくさせられた。
『ライヴバンド』とはこのバンドのことであろうと思う。

個人的な趣味でいうとこのあたりになるが、
大抵はUKプロジェクトというレコード会社の所属バンドを中心に、
特にこの傘下レーベルのひとつである
DAIZAWA RECORDS所属バンドのライヴやイベントに通う機会が多かった。
ジャンルはそれぞれに違えど、
代沢レコーズ主催イベントで頻繁に一緒くたに観てしまえば、だいたい全部好きになるのである。


ここに挙げなかったパンク・ガレージロックの類いは
フェスやイベントで欠かさず観ていた部類になるが、
ほぼ現場限りで家に持ち帰って聴くことがあまりなかった。
はじめは不思議に思ったが、これらのバンドは現場で聞いて揉みくちゃになって楽しんでこそなのだと、次第に気付いていった。

だいたいこのあたりは特に。

フラワーカンパニーズ(フラカン)の この曲は、
当時よくベスハチのライヴに通って来ていたラヴマ時代から来ていたベス男(ベスハチ男性ファンの呼称)さんの1人から教えていただいたのがきっかけで好きになった。
90年代後半に観ていた
TVアニメ『はれときどきぶた
でもエンディング曲として器用されていたと後から知って驚いた。既に知ってた。


この他、
友人Kの付き合いで以下のようなバンドのライヴにもかなりの頻度通った。
自分だけでは手を出さなかったような音楽を聞く良い機会となり、
これによって音楽の趣味の奥行きも広がった。

スネオヘアー

※付き合いで通った中では一番ライヴに行く頻度が多かった。
付き合いでラジオの公開収録から地方TV局のスタジオ観覧にまで足を運んだが、スペ中で見慣れていたせいもあり、なんとなく親戚のお兄さんを見守るような気持ちでライヴに通っていた記憶がある。
フォーク系の音楽への趣向はスネオさんによって培われたように思う。

フジファブリック

※スネオヘアーに次いで友人Kの付き合いで観に行ったバンド。
ロックインジャパンフェスの帰り、友人Kと他のフジファブファンに連れられて、聖地巡礼と称してキーボードの金澤ダイスケ氏の実家のレストランにまで訪れる機会があり、音楽以上にバンドマンに対する熱量に、わたしの音楽の楽しみ方とは明確な違いを感じてしまったりもした。
特によく観に行っていた頃、ヴォーカル&ギターの志村正彦氏は29歳の若さで亡くなり、ちょうどカウントダウンジャパンへの出演を控えていたところで、当日はバンドメンバー不在のまま、出演予定だったステージでフジファブリックの過去映像が上映され、わたしもその場に立ち会った。

ASIAN KUNG-FU GENERATION(アジアンカンフージェネレーション)

※TVアニメ『NARUTO』のCMがきっかけで知り(アニメは観ていなかったが)アジカン主催のイベントによく連れていかれた思い出。
このアルバム収録の『君という花』はテレビ東京系『JAPAN COUNTDOWN』という音楽番組でも一時期エンディングテーマとなっていた事で印象に残っていた。
いざライヴに行けば大合唱が起こる程の人気バンドであったが、いつしかその大合唱にうんざりするようになると共に、人気が過ぎてチケットも取れなくなってきたため、そのままフェードアウトした格好に。

上記のアジカンもそうだが、
2005年、2006年と
念願叶ってバンプのワンマンライヴに行く事ができたものの
人気すぎるがゆえに、ライヴ中に楽曲が聞こえない程の大合唱が起こるのである。

当初あれだけ熱を上げていたバンプであったが、
これは普通にライヴを観るのは無理だ、
と悟った。


また、他のあらゆるバンドを観慣れてくると
ロキノン系といわれるバンド(ロック・イン・ジャパン・フェスに出演するような)の中でも
比較的シブめであったりロック色が強かったり、
ギリギリでロキノン系のフェスに出るかどうかの尖った音楽性のバンドが自らの好みであるという傾向がわかってきた。
(コロナ禍の影響で縮小傾向にある現在では、好きな系統のバンドはほぼ出なくなってしまった)

そうなると、近年になればなるほど、
バンプの楽曲がだんだんロックよりもポップで、
ライト層への迎合が過ぎるようにも思えてきて。
(無駄な反骨精神)

そうして自らの好みからは徐々に外れてゆき、
そのまま熱が冷めてしまったのだった。


そうやって数多くのバンドを観ていく中、
自分から振り落とされるバンドもあり、
長く自分の中に留まり続けるバンドもあり。

逆にあらゆるバンドを観ていくことで、
ベスハチ というロックを掲げたバンドの音楽が、

わたしの頭上で絶対的に
燦然と輝く星そのものとなっていくのであった。



▼ ターニング・ポイント・柏


2006年頃のベスハチは、
千葉県の柏でのライヴが頻繁に行われた。

当時のホームといっても良いほどに。

柏のライヴハウスには高校生が多く集まり、
今までのラヴマやベスハチのライヴには無かったような動員数と盛り上がり方をする日も増えてきた。

この かつてない盛り上がり方を見て、
いける!と踏んだわたしは、
ついには当時 流行り始めた某SNS上にて
ベスハチコミュニティを立ち上げるに至った。

主に現場から得た情報発信と、
さらなる盛り上がりを煽る目的である。


そうしてベスハチの
徐々にアツい盛り上がりをみせるなか、

ここでベスハチとの対バンで出会った女性ヴォーカル バンド、
nano.RIPE(ナノライプ)との共同企画として

ナノベス企画

なる、ベスハチ初の冠イベントが開催される。

ナノライプの他、
柏での対バンで出会って親交を深めたいくつかのバンドや芸人が出演しており、
「最強のオンナ友達、欲しくない?(尻上がり気味の語尾)」
というフレーズがキーワードとして掲げられた。

ライヴハウスというと、
夕方のちょうどお腹がすいてくる時間に来ても
何も食べ物がない!というのが普通だが、

このイベントでは特別に
『おやつバー』が設置され、
様々なおやつを並べてビュッフェのように楽しみ和気あいあいとした雰囲気に包まれながらも、
同時にアツいライヴが味わえるというのが目新しいイベントであった。

2006年秋頃と年末にこのイベントが開催され、
大盛況のうちに終えたところで、
ついにベスハチから重大告知がされる。


2007年3月3日
ELIZABETH.EIGHT
1st ミニアルバム

ハチミツゲロン

発売!!!!!!!!

収録曲は、
どれもこれもライヴでは定番の楽曲で、
ついに それらがまとめてパッキングされ、
手元でいつでも聴けるという喜び。

2007年3月3日は、精力的にライヴを行っていた柏での先行発売だった。
しかもあの有名レコード店、
新星堂で。

そして2007年8月3日、
ついに初の全国発売に至るのであった。


さらに このビッグニュースと共に、

2007年3月25日
柏での 初のワンマンライヴの開催 が告知された。

ベスハチになってからの盛り上がり方なら あり得ることではあったが、
多彩な楽曲が一度に楽しめるという機会と、
フロアのボルテージが高まりに高まって今にも爆発する!
というこのタイミングでのワンマンは、
心から待ち望んでいたものだった。


【↓2023年12月13日 写真3点追加】

2006年中の盛り上がりに伴い発売された、
下北沢club251でのライヴ音源。
ベスハチ初期によく演奏された
『ミッドナイトロデオガール』
『グッバイ』
の2曲が収録されている。
2006年中に発売された、
本八幡Route14と新宿Motionでのライヴ音源。
冬限定演奏の『氷点下』
『ミドル・ネーム・ザ・エゴイスト』
の2曲収録。

『氷点下』については基本的にライヴ音源しか存在しておらず、
2023年現在でも冬限定の曲として稀に演奏されるが、
今も尚ファンからも正式な音源化の待たれる名曲である。



▼ そして伝説がはじまった


ベスハチのライヴの現場、
対外的な活動、
共に怒濤の盛り上がりを見せていたこの時期。

ベスハチ初のミニアルバム発売を控えるなか、
さらなるニュースが飛び込んできた。


2007年2月。
ベスハチ 第2のギターマン、
こふじ氏の加入である。

こふじ氏は元は別バンドに所属するドラマーであり、ナノベス企画での対バン等でもその実力を見せていた。

彼はベスハチというバンドが相当好きらしく、
柏の同じライヴハウスに出演するバンド仲間でありながらも
一般客に混じってベスハチのライヴに足を運ぶ姿をよく見かけており、

別バンドを脱退後、
ベスハチ好きが高まりすぎた結果として
ベスハチのローディー(バンドスタッフ)にまでなり、
ついには正式メンバーにまでなるという、
完全なるベスハチ ガチ勢だった。

むしろベス子(ベスハチ女性ファンの呼称)
としては微笑ましさすら感じた。


ただし、
ドラムパートは和泉大佐という絶対神がおり、
そこへの加入というのは難しい。

となると、ちょうど良いポジションはギター
こふじ氏にとっては未経験のパートである。

これによって、
ギターの深見氏加入後はご無沙汰であった
ラヴマ時代の総帥の愛機 ジャガー嬢が、
こふじ氏へと見事継承されたのであった。

※そもそもベースの菅原氏も始めは
楽器の類いは完全未経験の状態から、
総帥の命令で バンドへの加入→ベースを持たされていたため
あるある、そういうことあるよね~
という感覚で、特別驚かなかった。
(その後も色々と巻き起こることになるが、この時点で既にベスハチの突発的な不測の事態に慣れすぎている)


2007年2月23日。
本八幡 3rd Stageでの
『MOSH AND DIVE』と銘打ったイベントが、
新たなギターマン こふじ氏 加入後初のライヴとなった。

ミワユータ総帥の恒例 誕生日イベント
シカト祭り』常連の、
ザ・ハンズインポケッツ というパンクバンド主催の企画である。

出演バンド数も多いが、
それらのライヴの多くで、
確実にモッシュやダイブが起こるであろうことは面子からも予想されていた。

※モッシュ=人口密度が高めのライヴで起こる、飛んだり跳ねたりしながらの押し合い圧し合いを観客同士で意図的に行うライヴのノリ方の一種
※ダイブ=観客が頭上から群衆に向けて飛び込むこと。人口密度が高ければ、複数人に受け止めてもらった上で客の頭上を泳ぐことが可能。技術を要する。

どちらもロック・パンク・メタル・ハードコア等の激しめジャンルの音楽ライヴで起こりやすい。

しかし、
この時点でのベスハチは、
ラヴマ時代の客も多く、
曲中でノッて拳を振り上げるところまではあっても、
モッシュが起こったり暴れまわったりするような激しいタイプの客層ではなく。

この日の出演は男臭いパンクバンドばかりであるのに対し、
紅一点女性ヴォーカル バンドというのも、
ベスハチただ1組。

完全アウェイのライヴかと思いきや。

1曲目の『銃声に鳴る彼のタンバリン

最初こそ周囲の男性客もやや身構えているようであったが、
総帥がステージで煽りに煽り散らすのに反応し、

ついに発生した
大暴れの揉みくちゃモッシュ。

歴史的瞬間だった。


ここで 総帥がMC中に
女の子が男だらけのモッシュに混じるのは危険だろ
と、女子と男子に分けてのモッシュを促してくれた。

普段のモッシュが起こるようなライヴならそうはいかないが、
この女性ならではの気遣いが沁みた。

最後には女子までもがダイヴするという状況になり、最高に盛り上がったライヴであった。

この男女分けモッシュが、
現在に至るまでのベスハチのライヴやイベントでも名物となってゆく。


そして今回
こふじ
氏加入後 初ライヴとしても相応しいライヴになるとともに、

不思議と、

既にずっと前からメンバーとしてステージに立っていたかのように、
実にしっくりと その場におさまる様子を目の当たりにしたのだった。

エリザベス・エイトが5人になった以降に配られたフライヤー。
それまであったメンバーの写真を一切使わぬ潔さに、
さらなるロックなイメージの加速を感じさせた。


▼ 1stミニアルバムの発売


2007年3月、
ついにベスハチの1stミニアルバム

ハチミツゲロン
が発売となった。

この新星堂 柏店では1000枚限定販売となり、
のちの全国発売に先駆け、
怒濤の勢いで店舗のデイリーチャートに一気に躍り出るのであった。

発売当時の新星堂 柏店でのベスハチ特設コーナー。
ライヴでもないのに柏まで来るのは初めてだった。

ちょうど本八幡での初モッシュが起こった超大盛り上がりのライヴ映像が流れていて、とても誇らしい気持ちになった。
帰宅した直後の開封の義。
ついにここまで来たかという歓喜に、さすがに手が震えた。
新星堂の袋から出すベスハチのCD、
新鮮でとてもエモかった。


ここからさらに進撃してゆくベスハチ。

この時点で既に
かなりの本数こなしているライヴも、
この後 それまで以上に増えてゆくのである。


次回へ つづく。


さんざん このアルバムの楽曲を貼っているわけですが、
当時のライヴでもやることの多かったこの曲、
このアルバム1曲目にくるというのが少し意外だったので敢えて載せておきます。

ライヴでは
銃声に鳴る彼のタンバリン
に始まってテンションをブチ上げていくことが多かったので、
予想ではそちらが1曲目にくると思ってました。

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