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【劇評】80年代の再演か、終末か。——朗読劇『風が吹くとき』新国立劇場演劇研修所第18期生公演

 劇団員時代の先輩に誘われて、新国立劇場の小劇場へ足を運ぶ。
 2024年8月11日。5日前、私は広島へ向けて黙祷を捧げたばかりであった。

はじめに

 この劇評は、2024年8月9日から8月12日に上演された、
新国立劇場演劇研修所第18期生公演・朗読劇『風が吹くとき』を観劇したことを前提に書かれています。
 ネタバレにご注意ください。

作品紹介

朗読劇『風が吹くとき』新国立劇場演劇研修所第18期生公演公式ホームページ(https://www.nntt.jac.go.jp/play/windblows2024/

朗読劇『風が吹くとき』
 作:レイモンド・ブリッグズ
 翻訳:さくまゆみこ
 演出:田中麻衣子
 主催・制作:新国立劇場
 出演:新国立劇場演劇研修所第18期生

あらすじ

 イギリスの片田舎で暮らすジムとヒルダの夫婦は、子どもも独立し、のどかに暮らしていた。しかし、世界情勢は日に日に悪化しており、ジムは戦争に備え政府発行のパンフレット通りに室内簡易シェルターと非常用備品を整える。 そしてある日、世界戦争が勃発。ラジオ放送は3分後に核ミサイルが飛来すると告げる。二人はシェルターに逃げ込み、爆発の被害からは逃れたが、見えない放射能が次第に彼らを侵食していく。

朗読劇『風が吹くとき』新国立劇場演劇研修所第18期生公演公式ホームページ(https://www.nntt.jac.go.jp/play/windblows2024/)より引用。

80年代の再演か、終末か。——朗読劇『風が吹くとき』

『風が吹くとき』の原作は「スノーマン」や「さむがりやのサンタ」で有名なイギリスの作家レイモンド・ブリッグズ氏による絵本です。1982年にイギリスで発表されたのち、日本でも出版されました。1986年にはアニメーション映画にもなり、翌年すぐに日本版が公開。
(中略)
原作絵本や映画が発表された1980年代当時は東西冷戦の真っ只中。米国とソ連が核兵器の保有や開発を競い合っており、世界中が核戦争の危機を感じ取っていました。

「朗読劇『風が吹くとき』新国立劇場演劇研修所第18期生公演・パンフレット」より引用。

 朗読劇『風が吹くとき』は第二次世界大戦後の物語だ。
原作絵本が発表された1982年は戦後だし、ジムとヒルダ夫妻が何度も広島へ原爆が落とされた話をしていることから、観客は物語の舞台が戦後であることを理解する。

 一方、ジムとヒルダの原爆への理解は不十分であり、ジムは到底原爆の爆破や放射能に対応しきれていない室内簡易シェルターを政府発行のパンフレット通りに作る。ヒルダは室内簡易シェルターを作る際に爆弾から身を守ることよりも、家具や壁にキズが付くことを案じている。ヒルダは原爆が投下されてなお、家の中の様子が気になり、シェルターからすぐに出て片付けようとする。

 観客はこの平和ボケした二人を愚かに思うだろう。
 2024年を生きる我々は、先人の絶え間ない伝承の努力の結果、原爆の恐ろしさを知っている。放射能の恐ろしさを3.11の福島第一原発の事故で身をもって感じている。これは言わば、未来の視点なのである。

 現代の話をする前に、時を戻して80年代について考えていきたい。 原作絵本が発表された80年代、日本は「世界の終わりブーム」だった。上記の引用にもある通り「1980年代当時は東西冷戦の真っ只中」で、「世界中が核戦争の危機を感じ取って」いた。

 ところが世界を終末しなかった。鶴見済は80年代の終わりを以下のように記している。

 80年代が終わりそーなころ、”世界の終わりブーム”っていうのがあった。「危険な話」が広まって、いちばん人気のあったバンドがチェルノブイリの歌を歌って、子どものウワサはどれも死の匂いがして、前世少女たちがハルマゲドンにそなえて仲間を探しはじめた。僕たちは「デカイのがくるぞ!」「明日世界が終わるかもしれない!」ってワクワクした。
 だけど世界は終わらなかった。原発はいつまでたっても爆発しないし、全面核戦争の夢もどこかに行ってしまった。アンポトウソウで学生が味わったみたいに、傍観してるだけの80年代の革命家は勝手に挫折感を味わった。

鶴見済『完全自殺マニュアル』太田出版、1993年7月7日より引用。

 言わば、世界の終わりに対して呆れ、冷笑している。
 文化や物語がどれだけ終末を描いても、結局、現実の世界は終わらなかった。
 1993年の鶴見に言わせてみれば、『風が吹くとき』も所詮終末の訪れない現実に対するおとぎ話、夢物語なのかもしれない。
 ところが、絵本『風が吹くとき』が42年の時を経て、2024年の夏に新国立劇場の演劇研修生たちによって朗読劇として上演されたのだ。
 
 なぜだろうか。
 筆者は、日常が少しずつ崩壊している「今現在」だからこそ、かつて「終末ブーム」で冷笑と消費をされた作品が返り咲いたのだと考える。
 まずは以下の新国立劇場演劇研修所所長の宮田慶子の言葉を読んでもらいたい。

田舎町に暮らす老夫婦ののどかな日常、突然の核ミサイル爆撃、無力な対処策、そして二人に訪れる結末は、まさに今現在、私たちを取り巻く現実と脅威そのものでもあります

宮田慶子「朗読劇『風が吹くとき』新国立劇場演劇研修所第18期生公演・パンフレット」
より引用。太字筆者。

 宮田の言う「今現在、私たちを取り巻く現実と脅威」とはなんであろう。コロナを乗り越えてなお、我々はウクライナ侵攻やパレスチナ問題だろうか。いずれの紛争も、第三次世界大戦に直結する可能性はある。

 先日8月9日行われた長崎平和式典には、イスラエルの駐日大使が招待されなかったことを理由に、アメリカをはじめG7・6カ国の駐日大使は姿を見せなかった[1]。世界情勢に暗い影がかかっているのは一目瞭然である。

日常は少しずつ崩壊している。

 なんて言ったって、デカイ一発がドカンと落ちて終末する物語のほうが分かりやすい。ところが朗読劇「風が吹くとき」では、デカイ一発で二人は死なない。放射能で身体が徐々に破壊されていく。筆者は、この少しずつ崩壊していくさまが「今現在」の「現実と脅威」に重なって見えるのである。ソ連ではなく「ロシア」と翻訳しているのもそのためだろう。

 朗読劇『風が吹くとき』では、10人の役者が場面ごとに交代でジムとヒルダを演じる。舞台上では、ジムとヒルダのペアが合計で5組になるわけだ。この入れ替わり制の老夫婦が、私には現実の誰もがジムとヒルダ、つまり未来の被爆者(当事者)に成り得るというふうに思われるのである。

 この演出は若い役者を平等に出演させる目的ももちろんあるだろうが、朗読劇という特徴の中で演出として機能している。

 我々はいつだって終末できる。

 が、80年代終末ブームの再演になるか、はたまた本当に終末するかは、一人ひとりが行動していった結果で変わるのではないだろうか。
 朗読劇『風が吹くとき』は警告なのである。


[1] ABEMA TIMES「長崎平和式典 欠席した米駐日大使が市の対応に言及 市長「政治的理由ではない」」2024年8月10日、(https://times.abema.tv/articles/-/10138004?page=1)を参照。


さいごに

 今回、劇団員時代の先輩、石川愛友さん(ヒルダ役)に誘われて観劇した。
 新国立劇場の演劇研修生ということもあり、10人全員が申し分ない演技をしていた。
 また、愛友や新国立劇場演劇研修所のSNSから、役者各々の原子力への脅威や想いを感じ取れる点が多々あった。
 これからの研修生たちの活躍に期待が高まる。

 また、素晴らしい演劇に出会わせてくれた愛友さんにこの場を借りてお礼申し上げたい。


新国立劇場演劇研修所第18期生公演 今後の予定
  第18期生公演「ロミオとジュリエット」
  作:ウィリアム・シェイクスピア
  2024年12月7日(土)~12月12日(木)
  会場:新国立劇場小劇場
    ※朗読劇『風が吹くとき』パンフレットより参照。


新国立劇場演劇研修所公式ホームページ
https://www.nntt.jac.go.jp/dramastudio/



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