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吐露を吐露する


吐露ってタイトルで、有料記事を書こうと思ったのだけれど、結局それは、私のエゴにしか効かない言葉たちだったので、書ききったけれど、あげるのはやめた。誰が読んでも不快にならないものなんて書けやしないけれど、吐露された言葉たちが向かうのってまっすぐ墓場っていうか、海にすらばら撒いてやれないものだった。だからもっと、誰に読まれてもいい場所で誰かに読まれてもいいくらいの程度で書く。


 最近、パタンと本を閉じたような感覚で、日常から目を離したいような、それともSNSから目を離したいような、そのどちらもかもしれない、とりあえず疲れたなあ、ということが少しずつ積もり積もってしまっていました。諦めたり、やめたり、捨てたり、嫌いにもなったりして、そう、自暴自棄までいかない程度に、正直なところを出してバリアを張って、ちょいとここらで頑張り過ぎんのをやめようか、と心が立ち止まったので、そのまま、適当に、ふら〜って、過ごしていました。でもまあ現実は生きていた。
 その日々の中での大きな変化の一つに、小説を書くことをやめた。でもこれって諦めたっていうか、なんていうか、書きたいことが今はないという感じで、また書きたくなる気がするし、そうなったらなったでいいね、その時は頑張ろう、の気持ちではいる。じゃないと今は、焦ってしまって、困ってしまって、何を信じたらいいのかわからなくなってしまって、無理だな、と思うことがあったから。

 読書に関しては、読みたい本も、あれこれ欲しい本が毎月あったのだけれど、厳選という言葉の重みを知ったか知らないか、本に対する欲望が少しおさまった。読む頻度は前より落ちたけれど、本に呼ばれるときは素直に開いて気が済むまでは読む。西加奈子さんの新刊はもちろんかったし、古本市も行ってるし、歌集に関しては出るたび欲しいものばかりで買う時はすんごい悩むしで、結局はそこまで変わらないんじゃないかな、とも、今思えばそうなんだけれど、なんかね、今までって結構素直に、SNSに何を買っただの、何を読んだだの、どこにいって何をしているだの、するするUPしてたんだけどさ、それでなんか、同じものを買う人とか、同じ場所に来るとか、なんだろうな、その全てがさ、これは私個人が体験したことから述べることなんだけど、偶然を装っている必然でさ、明らかに見て、アクション起こしてんのに、まるで何も知らないかのようなそぶりでさ、「そういうタイミング」できちゃってさ、グイグイ近付いてきてさ、その距離感に疲れてしまったというか、普通に、自他の境界線が曖昧になってしまっていたのが、気づけば疲れていたというか。それでもう、いいよね、周りに合わせる必要もないよね、したいようにしないとこのままじゃ喰われる、って本能が感じたので、離れました。いやそれは自分があげるからそういうこともあるでしょって言われたらそれまでなのだけれど、なんかこう・・・違うんだよね、相手の純粋さもわかるのだけれど、でもなんか、順序を間違えているというか、そして時にはそこに、ジェラシーのようなものが見え隠れするというか、それが止まらなくなってガンガンに近付いて、同化されそうになっていたというか、なんなんだろうあの独特な感覚。ちょっと怖くなったのでした。私の自意識の問題なのかもしれないけれど、でもなんであっても、この感情とこの違和感には自分が責任持って対処しないといけないな、と思い、できる限り離れるとか、書かないとか、対策していたのだけれど、やっぱダメで。世に出す自分の言葉には少なからず良心と良識の働く「範囲」はあったけれども、その「範囲」がより狭くなったというか。伝わりますかこの感じ。なんかそんな感じで、もう何やってもダメだ〜〜疲れちまった〜〜〜〜ということがあったのでした。
 そして静かにしている間はタロットとかオラクルカードでリーディングして楽しんでてさ、そしたら読書垢なのに急にスピりだしたと思ったのでしょう、フォロワーバンバン減っててさ、さっき見て笑ったの。いや、なんも悪いことじゃない、むしろごめんねって感じではあったんだけど、ああそうか、こうやって人は選ばれていくのだし、私もまた選んでいくのだなあとも思ったりで、生きたいように生きていると出会と別れはつきものですなあとかも呟いてみたかったりもしたけれど、結局は自由だからフォロワーが減ったからって私の人生が狂うわけでもないのでした。ただ、スピるスピらないの匙加減も人それぞれ、私はがっつり〜〜なスピ話は好んでしないというか、そこまで知識もなければただただ楽しんでいる勢ですのよって、誰に言うわけでもないですが、日々、生きたいように生きています今は。だって言葉もまた魔法だと思うし、物語もまた魔法のようなものではないですか。短歌なんてたった31文字で人生を変えてくれたり、しちゃうのよ。それって、作者の持つ才能でありパワーであり魔法ではないですか。言霊があるのだから、私はそう思うし、それくらいの感覚でカードリーディングをやっているよ。

 そしてそんな私がそんなふうに生きている今も変わらずフォローしてくれているフォロワーの方々、相変わらずやさしいよねえ。優しいってぶれないもんだよね、ぶれる優しさは優しさではないですよねって思うのですがどうですか。私は優しくないかもしれないけれど、楽しいことは好きだし、みんなを元気にしたいなあとは思っています、面白い人間ではないですが。

 話が緩やかに脱線してしまったので戻るけれど、とりあえずいいよね疲れたよねってところから今に至るまではそんな感じで、書くこと、創ることを完全にやめたわけではなく、短歌も読むし、詩も書くようになったし、短編もまた、書きたいものが降ってきたら書き始めたいなって思うしで、なんかそれで、でも、やっぱ、諦めるになるのかなあ、今それについて頑張ることを諦めたってことにはなるんだよね、でもその結果、悔しいではなく心が楽になったんだよね。無理したかったんだけどね。本当。毎日追われていたかったんだけどね。表現することをずっと楽しみたかったんやけどね、ちょっとね、外部からの刺激にやられちまったようで、やればやるほど、行動すればするほど、付き纏ってくる見えない闇のようなものとか、ずっとみられているという感覚のせいでどこにいくにも何をするにも不安を感じるようになったりだとか、本当に見えていないところで勝手に始まっている争いだとかに、巻き込まれたり巻き込まれなかったりで、心身が健康に、自分の創作と向き合うことが難しくなっちゃったというか。今はもうね、読書して、短歌ちょっと作って、タロットとオラクルのリーディングやって、猫を愛でて一日終わるみたいな、それくらいがちょうど良くて、自然の光とか、風とか、景色とか、海とかに包まれている方が楽で。難しいよね、誰が悪いとかじゃないし、全ては順序やバランスが悪いというか、そのすれ違いだとかで、全部を責めるとか、拒否るとか、そういうことはできないのだけれど、でも、とりあえずゆっくり一人でいたい、夫婦だけでいたい、という結論に至ったのでした。本当にやりたいことのために必要なことをしていかなくては、時間がないのだから、こんなところで立ち止まっていては時間がもったいないと、最近は気づいたところです。
とはいえクローズドな場所でいることも決して悪くなく、ひたすら自分を見つめ直す時間ができてよかったし、むしろもう在宅で仕事できるようになりたいな、とすら思うようになったので、そうなれるように静かに心は準備中というか、なるようになっていく気がしています。短歌もある程度作りためたらZINEとか出したいんです。自己満足みっちみちの。カードリーディングでもブログをやってみたいので準備中です。
 落ち込んでばかりいてもしょうがないので、切り替えていこう、と少しずつ気分が上がってきているというか、やりたいことも増えて、よっしゃいっちょやったりますか〜!って気持ちにまではきています。いつか話を聞いてくれた方たち本当にありがとうございました。すっごく助かりました。

 これからも、私の中から溢れる言葉を好きなように、自分のその時しっくりくる文字量とリズムがマッチする場所で創ることをとことん楽しむ人でいたい。何が言いたいかって、もう他人に振り回されるのはやめよう、私は私なりに自由に生きよう、生き直していこう、ということです。当たり前のことなんだけどね、結構忘れちゃうことなんだよね。良い本を読み、良い歌集を読み、つくり、占い、やっていきます。いつも仲良くしてくれている人たちありがとう。本当にありがとう。元気でやっててください。またこれからもぼちぼち日記を書いていきます。よしなに。


青野

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