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八正道14 ルアンポー・プラモート師

(⑬続き)「善いことと・悪いことはどちらの方が行いやすいですか?」と質問した人が以前いました。ほとんどの人は「善いことの方行うのが難しい、悪いことの方が行いやすい」と答えるでしょう。そうでしょう?しかし
仏陀はそのように答えていません。仏陀は「善い人は善い行いをしやすい、悪い人は悪行為を行いやすい」と答えたのです。これは自分次第なのです。私たちが集めてきた業が法則によってその様になるのです。
 ですから私たちはサティを高めていくのですよ、頻繁に何度も行うのですよ。それは心が身体と心の感覚を感じ取ることに慣れるまで高めるのです。身体と心の感覚をサティが生じる事に慣れるまで行うのです。するとクソン(善)が高まりアクソン(不善)が廃れていくのです。私たちの心のサンマーサティ(正念)とサンマーワヤマ(正精進)が高まっていくのです。
 もう一つ高めていかなければならないことはサマーディあるいは心を定める事です。ルアンポーが言ったように心を観る為の基礎と共にある様にならなければなりません。そして心を定めるのです。
 それはルアンポーが何度も強調する様に、サティを持つこと身体と心を感じる事、それはサンマーサティ(正定)です。
そして心は心身を見る状態であり、知り目覚め明るい心になる必要があります。すると心は観る人知る人となるのです。これはサマーディが良い状態です。あるいは心が基礎となるものと共にある状態です。ルアンポーが言ったように心が基礎となるものと共に無いのであれば、その人の心は定まらないのです。心は流れて別などこかへ行ってしまうのです。ある時は心はどこかへ外れてしまうのです。心の落ち着きが無くなるのです。しかしある時心は一か所に流れることもあります。例えば呼吸に心が流れていきます。ある時はお腹の方に流れ、足の方に、手の方にと心が流されていくのです。あるいはプットー瞑想をしていても思考に心がとらわれてしまうこともあるのです。このような状態を「心にサマーディ(集中)が無い」と言います。ですから私たちは心にサマーディが生じるように、基礎となるものと共にいられるように、心が定まるように訓練させなければなりません。(続く⑮)


*”心の基礎となるもの”とは、瞑想で感覚を感じられるようになること。呼吸瞑想であれば呼吸の感覚を一か所に感じられるようになること。姿勢を感じる瞑想であればいつも姿勢を感じる感覚を持てるようになる事

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