INFJの家族観
私は恋愛の感覚がわからない。
人を尊敬したり、素敵だなと思ったり、愛おしく感じることはある。
でもそれが好きなのか恋愛なのかよくわからない。
素敵だな、と思ったら、昔は性別で恋愛か否かが決まると思っていた。←デリカシーがないが、特に疑問を持つこともなく、「そういうもの」だと思っていた。
でも、私は自分の性別なんてよくわからないくらいにしておきたいし、性別関係なく恋愛、愛情というものがある。
そういう感情に年齢性別国籍言語、いわゆる表面的なものは関係ないとなるとますますわからない。
私はその感情を何かに定義づけたくもないが。
付き合いたいという感情もわからない。
尊敬する人は、大事な存在として、たとえ距離が離れても、長く関われていればそれだけで嬉しいし、それより近しい関係とか、繋がれる安心感を求めたこともない。
むしろ、距離が離れていても、心が繋がっていれば、私にとってはそれで十分。
というと、まだそういう存在に出会えてないだけじゃない?とか、
今良い人いないの?
まだ若いから、きっと色んな人とこれから出会うよ
パートナーの存在を聞かれて、いないというと
なんで?と聞かれたり、
大丈夫だよ、これからこれから
とか、相手はそこまで深く考えず聞いてきたり、
なだめようとしたりする。
これから、とか、まだ、とか言われると、
この先にそれが起こるのが当たり前みたいな、
その無意識の感覚がチクッとする。
それどころか、私には、人生自体にそういうものを欲していないと思う。(今のところ)
絶対なんてないのは分かってるから、あえて触れないでおくが。
でも少なくとも、そういう感覚が分からない、感じたことがないから、発展することがない、というところ。
誰かを好きになること、付き合うこと、結婚すること、(子供を持つ)
子供に関しては、少しずつ色々な価値観を持つ人が増えてきているけど、
結婚や、その前段階で誰か寄り添う相手を見つける、みたいな、そこは、いわゆる「人生」の中で自然に組み込まれてる気がする。
そういう話をした時に、私は結婚や、誰か同じ人とと一緒に人生を進むこととか望んでもないのに、
大丈夫だよ、となぜか私を勇気づけようとしてくれたりすると、
今のままで自分はいいと思っているのに、
大丈夫じゃないってことか?
自分がおかしいのか、なにか欠けているのか、どんどん進む何かに置いて行かれているような感覚がよくある。
私が捻くれているのは承知の上で、その、人生に対する当たり前を押し付けないでほしいと思う。
「いつか自分の家族を持った時には」
これも度々言われることがある。両親や親族や、そこまで親しくない人と会話する時にも、サラッと言われることもある。
私はこのことに対して、少し違う価値観を持っている。
家族って、もちろん結婚して、もし子供を持つなら、子供がいて、それがいわゆる家族、ということだと思う。
でも私は、全く違う形の家族もあると思う。
例えば今私はニュージーランドにいて、
本当の家族のように大切にしてくれる人たちがいる。
私にとっても、彼ら彼女らはとても愛おしくて、大事な存在。
ダディーは、友達に私を紹介する時に、
僕の新しい家族だよ、とか娘が1人増えたよって私のことを紹介してくれたりする。
さらっとそういうことを言ってくれるのがとても嬉しくて。
別の場所に移動する時も、合わなかったらまたここに帰って来れば良いからとか、
またいつでも戻ってきてねって言ってくれて、その言葉だけで私は大きな愛を感じている。
血が繋がってなくても、国籍は違っても、戸籍上のつながりはなくても、家族になることができる。
居心地がよくて、自分の不器用なところを良し悪しなくそのまま受け止めてくれて、
とても大きな心で包んでくれて、時には本当の家族以上に気を遣わなくて良い時もある。
私の本当の家族も、もちろん大好きだ。でも、家族って一つじゃないのかもって感じた。
特に私は、人との関係性において、心の距離が近すぎたり、共に過ごすことに疲れてしまうことがよくある。
だから私は、人との関係性や距離感は、それくらいでちょうどよいのかもしれない。
ニュージーランドを去った後も、
変わらず想い続けたり、連絡をとり続けるだろうし、
たまに会いにきたりしたいと思う。
私にとっては、それも一つの家族の形。
距離は離れていても、同じ時間を共に過ごさなくても、
そうやって想い合える存在が、世界のどこかにいるだけで、私にとっては十分だったりする。
パートナーを見つけることが、恋愛することが、そして誰かと共になること、家族を持つこと、それが幸せの指標として位置付けられているのが私にとってはとても窮窟。
もちろん、それを人生の形として望んでいる人は、それで良いと思う。
でも、幸せや、豊かさや、愛と、それらのものを繋げる、直接的に結んでしまうのはあまりにも短絡的だとすら感じてしまう。
否定しているわけではなく、それくらい生き方や人生の歩み方や、考え方はもっともっと広くて柔らかいものであると思う。
ひとりひとり、価値観や考え方、心のあり方や生き方は違って、だからこそ豊かになれるんだと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?