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「卵」

昨日、私は離婚した。
紙切れ一枚、提出するだけで、
6年間の結婚生活が簡単に終わった。

私達の結婚生活は、不妊治療との
闘いだった。

2人とも子供が大好きで、付き合って間もなくから、早く子供が欲しいという意見が一致しての、スピード結婚だった。

しかし1年以上経っても、子供が出来る気配は無く、2人で初めて不妊治療専門の産婦人科へ出向いた。

彼は治療に協力的で、一緒に検査を受けてくれた。

結果的には、お互いの身体にそれぞれ問題があり、それでも治療をすれば、妊娠する確率はかなりあると言われた。

彼はサラリーマンで、私はデパートの
紳士服売り場で働いていたけれど、
義母の「妊娠したいなら、冷房の効いた場所で、一日中 立ち仕事なんて良くないわ」の一言で、辞めてしまった。

不妊治療は、タイミング法、人工授精、体外受精、と進んでいったが、いっこうに妊娠する気配は無かった。

だんだんと、夫婦生活が子作りの為だけのものになり、自分の身体が、子供を作るためだけの機械のように感じていた。
きっと彼もそうだっただろう。

そんな風にして5年が過ぎ、昨晩、
彼が神妙な顔をして、「話があるんだ」
と言った。

私はとても嫌な予感がして、聞きたく
無かったけれど、「うん」と言ってうなづくと、彼は「実は、、一年前から、
会社の子と付き合っていて…その…言いにくいんだけど、、」

彼がその後の言葉を飲み込んだので、
私は「その彼女、妊娠したの…?」
と聞いた。
自分の声が震えていることに驚いた。

彼はバツが悪そうに、頭をかきながら、
「実は…そうなんだ…。君には本当に申し訳ない…慰謝料はそのうち…とりあえず君の当面の生活費として、貯金を全額渡すよ」とだけ答えた。

私の役目もこれでお終いか。。

私はまるで物わかりの良い女、然として
「彼女が妊娠しているなら、離婚届け
を早急に出しましょう、明日はどう?」
と言ったら、彼は少し驚いたような顔をして、「うん、助かるよ。」と言った。

その夜は、彼の顔を見ていられなかったので、私は1人でホテルに泊まることにした。

明日の昼に、市役所で待ち合わせる約束をして、今まで不妊治療の為に、ずっと節約生活をしてきた自分に、子作りの機械だった自分に、お疲れ様、と言ってあげたくて、少し贅沢にツインルームに
一人で宿泊することにした。

一人きりのツインルームは、やはり寂しく、少し泣いたけれど、いつの間にか、ぐっすりと眠っていた。

朝、目が覚めて、あぁもう基礎体温を
計る必要はないんだ、と思った。

身支度をして、ホテルのモーニングを食べた。
あまり食欲が無かったから、お皿に乗っている ゆで玉子を残した。

何となく、まだ殻も割っていない そのゆで玉子を、バッグの内ポケットに入れて、部屋に戻り、チェックアウトをしてホテルを出た。

お昼までにはまだ少し時間があったので積み立てていた貯金を解約しに銀行へ行った。

窓口の女性に、解約したいと告げると、何かご入用ですか?と用途を聞かれたので、離婚するので、と伝え、将来 産まれてくる子供のための貯金は、あっけなく私のものとなった。

封筒に入った現金をバッグにしまいながら、銀行を出る瞬間、バッグの内ポケットに、卵が一つ入っているのを見て、私は思わず笑った。

バッグにむき出しのまま、卵を入れている大人の女なんていないだろう。
そのシュールな光景に笑った。

笑ったあと、涙がこぼれた。
この卵が、あのつらい不妊治療のあとに残った、私の大切な身体が産んだ卵のように思えたからだ。

笑って。泣いて。そしてもう私は平気だった。
私の身体は産むためのものでは無くなったのだ。
それは恐ろしいほどの解放感だった。

澄み渡る青空の中、市役所へ向かう私には、
自由の羽根が生えていた。 END。



#これはフィクションです
#私小説ではありませんよ
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