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きょうだい児【自閉症の弟がいて良かったこと】


私には、自閉症の弟がいます。
親は父しかもういません。
母は私が学生の時に亡くなりました。


きょうだい児とは?

辛く耐え難いことや悩みは、私自身も現在進行形でたくさんありますが、今回はあえて【自閉症の弟がいて良かったこと】というプラスの視点で記事を投稿させていただきます。

辛いことが多いと、良い面を見落としがちですが、悪い面ばかりに目が行ってしまうと、闇落ちしてしまうばかりで、それはそれでもったいないしなんだか悔しいので、
良いことを意識的に思い出してみました。


【自閉症の弟がいて、良かったこと】

■良かった点は意外と多い?
私の場合は、意外と多かったんです。
そして1つ1つの内容も濃厚で膨大な記事になってしまいそうだったので、
今回は3つ、紹介させて頂きます。

1.あらゆるマイノリティな立場の方に対して、フラットな気持ちでいられる

私には、トランスジェンダーの親友がいます。
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※トランスジェンダー
:少し前までは【性同一性障害】と呼ばれることが多かった。
生まれつきの身体の性別と、本人が自覚する心の中での性別が不一致な状態。
※昨今では【精神疾患ではない】という観点から、性同一性障害ではなく、トランスジェンダーと称する場合が多い。

(身体の性別と心の性別が不一致な状態を、[障害]と捉えるかどうかについては、一概には言えないことと私も強く思いますが、そちらの議論につきましては本題とズレてしまうので今回は割愛させて頂くとともに、当記事においては説明の都合上、[性同一性障害]とも記載いたします。)
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性同一性障害と、自分の弟の自閉症という発達障害は全く別物で、状態や抱える壁の内容はもちろん異なります。
ただ、垣根は違っても、【多数派ではないマイノリティな立場】という点は、共通事項だと私は考えており、その弟の身内である自分もまた、少し近い視点を持っていたり、マジョリティには属さないが故の感情や壁も、重なる部分があるように感じます。

私が友人と出会ったのはもう15年以上前。
その頃は【LGBTQ+】【多様性】などの言葉はまだあまり浸透しておらず、今よりも偏見がある時代でした。

私が性同一性障害という言葉を知ったきっかけは、上戸彩さんがFtM(生物学的な身体は女性/本人が自覚する心の性別は男性)の生徒役をやられていた『3年B組金八先生』というテレビドラマでした。
私は性同一性障害の当事者ではないけれど、【障害】という名称が当時付いていたからこそ、自分の弟とどこか重なる点をどうしても感じてしまい、内容には興味を持ち、録画して繰り返し見ていました。
テレビの内容だけでは全てを理解することはもちろんできませんが、認識するきっかけを持つことはできました。
この[0か1か]の違い…つまり知っているか知らないか、の違いはとても大きな分かれ道だと思っています。

そして私は金八先生の放送を観た数年後、大学でトランスジェンダーの友人と偶然出会うことになります。

テレビドラマで得た知識ではありましたが、予備知識や考える機会を持てていたことで、その友人が性同一性障害であることを、私にカミングアウトをしてくれた時に、すんなりとシンプルに、「ああ、そうだよね。」と受け取ることができました。

ですが、もし自分に自閉症の弟がおらず、マイノリティな立場の方々の世界を全く知らず、立ち止まって考える機会も特にないまま過ごしていたら、性同一性障害の当事者ではない中学生くらいの私が、あの金八先生の放送を見たとしても、いまいちピンと来なかったり、あまり心に響かなかった可能性は十分あると思います。

そして予備知識なしに友人と知り合い、接していたら、故意的ではなかったとしても当時の友人を傷つける言動や配慮に欠けた行動を知らずに取り、関係が途絶えてしまった可能性もあったことでしょう。
また、自分の知識や理解が追いつかず、私の方から、友人と距離を置いてしまったり、またお互い歩み寄れずに自然と溝ができてしまったかもしれません。

多くは無知であることにより、誤解、偏見、そして差別が生まれると自分は考えております。

私は幼少期から自閉症の弟はもちろん、他のあらゆる発達障害の子どもたちとも多く接しながら育ちました。(昔は名称が異なりましたが、今でいう特別支援学校や、放課後等デイサービスのような集まりに、幼い私もよく母に連れられて参加していました)
弟の存在を通して、自閉症という言葉とその意味を私自身が幼稚園年長さんの頃からなんとなく認識、理解していました。
また、弟は自閉傾向が強い子どもでしたが、
アスペルガー症候群[ASD]、注意欠陥多動性障害[ADHD]、学習障害[LD]等の言葉とその意味も、他の子どもたちとの出会いを通して小学校3〜4年生の時には認知していました。

しかしそれは、私が知識豊富かつ理解力がある子どもだったからというわけでは決してなく、
自閉症の弟がいたことで、人間の色々なケース、それに伴い人は色々な背景を背負っているということを知る機会がたまたまあったから、様々なパターンを柔軟に受け止められる力が自然と身についていたのだと思われます。

したがって、どんなパターンを聞いても、あまり驚かない場合が多いです。
「なるほど…そういうことか。」くらいにシンプルに考えます。
性同一性障害に対しても、「あ、そういうことか。」とすんなりと頭に入ったのだと思います。

(※もちろん私が、当事者の方のお気持ちまで理解しているということは全くもって言えないです。
それは、きょうだい児にはきょうだい児にしかわからない気持ちがあるのと同じだと思います。)

ただ、もし自分に自閉症の弟がおらず、
健常者のみの環境でしか過ごしていない立場であったら、
トランスジェンダーの友人に対する、自分の理解度は低かった可能性が強いです。

性同一性障害と、発達障害は根本的には異なりますが、
同じじゃなくても、少し近い、被るところもあるような世界で生きてきたからこそ。
マイノリティという立場で、各々、辛い思いをしてきた同士だからこそ、
お互いを理解しようとしたり受け止めあったりなど、歩み寄れたのではないでしょうか。

個人的な話になりますが、この友人は、私の人生になくてはならない大切な存在ですので、今も友人が私のそばにいてくれるのは、弟がいたからだと信じています。
弟あっての、私の人格や価値観、倫理観、人間性であることは、間違いないので。

2.他人の家族構成について不必要に聞きません

他人のプライベートな領域に土足で踏み込まない精神が強いと思います。
なぜかというと、
自分自身が、家族構成についてあまり他人に聞かれたくないから。

初対面の場合や、まだお互いの間に深い関係性が構築されていない方とお話をする際は、その方のご家族やパートナーの有無、結婚についてなどではなく、
まずはその人ご自身のお話や深入りしない程度の軽めなことを聞くように心がけています。
(もちろん、相手の方からお話し頂いた場合は、こちらも耳を傾けます。)

私のとある経験を少しお話しいたしますと…

過去に、あまり深い関係ではない方から、
「なぜパートナーがいるのに結婚をしないのか」とか「子どもは欲しくないのか」などと聞かれたことがありました。

その質問に対し、
口下手でうまい返しが思い浮かばなかった私は、口籠りながら「子どもは欲しくない」と答えてしまいました。
そうすると、
「子ども嫌いなんだね」と言われてしまい…。

私は子どもを望んだことが人生において一度もありません。
ただ、それには、私なりの理由があります。

ですが、初対面やまだあまり信頼関係が築けていない間柄の方に
「いや、私には自閉症の弟がいて、その弟の面倒があったり、親も父しかいなくて、自分自身も手帳は持ってはいないけれど、完全な健常者ではない部分もあって、正直それどころじゃないという思いがありまして…。
ちゃんと責任もって子どもを育てられる自信も余裕もないので、出産、育児はしないと学生の頃から決めているんですよ・・」
とか語りたくありません笑

なんか重い空気になるでしょ?
普通に、やだよ。

かと言って、誤魔化したり嘘をつくのも正直面倒ですし、突っ込まれると矛盾点が出てきそうです。
そして、なんだか虚しい気持ちになるので決していい気分ではありません。

一番助かるのは、何も聞かないでいてくれること

特に、家族構成、結婚、パートナーの有無、子どもを望むかどうか、本当の性別…等は、
人の数だけ状況があり、デリケートな話である場合も多いです。
また全ての形に何かしらの理由があり、その理由を他者に打ち明けるかどうかは、ご本人が決めることです。

私も、家族構成や将来についての見解等を、他人に全く話したくないというわけではありませんが、打ち明ける相手や場所、タイミングは慎重に選びたいです。
自分が複雑な家庭環境で育ったからこそ、他者にも、そういった色々な背景がある可能性を想像することができます。

なので、プライベートなことについて、まだ関係性が深くない方には安易に聞きませんし、
例えば、「なんで結婚しないの?」とかも言いません。
パートナーがいても結婚という形を取らない場合もありますし、
結婚を望んでいてもできない状況だったり、
そもそも結婚を望まない方もいらっしゃいます。
人には人の事情があるから。

私にも、子どもを一生産まないと決めている理由が明確にあります。
しかし、その理由は、誰にでも話したいことではありません。

相手に何かを尋ねる時、
この質問が、単に[自分の知りたい欲なだけ]ではないのか、好奇心興味本位なのではないか。
想像して踏みとどまって、考えてみる。
立ち止まって、質問を吟味してみる。

聞かれても簡単に答えることができない事情や背景を背負っている身であるからこそ、その姿勢でいることができている気がします。

自分にとっての当たり前の環境が、相手にとっては当たり前ではないかもしれないという可能性を、これからも忘れずにいたいです。
相手の心に土足で入り込んでいくことがないように。

※子どもを望まない理由については、きょうだい児というワードを見て、この記事を読んで下さっている方が多いであろう読者様になら、話したいと私の本心から思いますので、また別途、共有させて頂きますね。

3.幸せを感じるハードルがとても低い

最後はライトでシンプルなお話です。
ずばり、当たり前のことができなかったこともあり、一般的に考えれば当たり前のような、小さなことにも大きな幸せを感じることができます。

私の弟の自閉症の度合いは軽度ですが、健常者と比べれば出来ないことは数え切れず、また軽度が故の難しい問題事項も多いです。
なので、ほんのささいなことでも、弟が何かを成し遂げた時は非常に嬉しいです。

例えば、
「お菓子買ってきてくれてありがとう」とか
「ご飯炊けたよ」など何気ない言葉。
ですが、そんな言葉を弟から聞くことができただけで、私はとても嬉しいです。

成し遂げたというと大袈裟に聞こえるような、小さなことかもしれませんが、そんな当たり前のことですら、私にとっては、大きな喜びになるのです。

小さなことでも過剰に喜ぶ習慣がついているので、事柄が弟以外のことでも、自然と喜ぶ体制ができています。
相手から、何気ない小さな「ありがとう」の言葉をもらえただけでも、繰り返し思い返して幸せを噛み締めたりします。


以上、
とても個人的な話ばかりで参考になるかはわかりませんが、
3つ、自閉症の弟がいて良かった点をお話しさせて頂きました。

辛く耐え難い中にも、少しでも笑顔になれることやプラス要素を見つけたら、スルーせずに拾い上げて、ちょっぴり過大評価してあげたい。根本の解決にならなくても、別の小さな幸せを積み重ねてみて、元気の埋め合わせをする…
これが私の感情のコントロール方法です。

「良い面なんて1つもない」という、きょうだい児の方へ

きっと、きょうだい児の方のなかには、兄弟姉妹が障害を持っていたことによって、「良かったと思える面など、1つもない」という方が、少なくないと思います。
その気持ち、きょうだい児ならごく自然な感情だと私は思います。
否定しません。
そう思ってしまうことは、薄情なことではありません
それだけ、あなたが辛く重たいものを背負っているのだから。

前回記事にも少し記載させて頂きましたが、
私自身も現在、弟のことで問題が発生しており、福祉機関と連絡を取り、面談へ出向いたり、父と話し合いをしたりなどしています。
全て、自分の仕事の合間や休日の時間を削ってのこととなり、真摯に向き合ってできる限りのことはやってはいるつもりですが、心配事は尽きない状態で、正直参っております。
経験上、あまりにもストレスがかかると心を壊しかねないので、
私自身は、しんどい時は良い面を意識的に見つめたいタイプということもあり、当記事を書いた次第です。

ここまで読んで下さってありがとうございました。
当記事でお伝えしたことは、きょうだい児の方全員に共通する内容、感情ではないので、あくまでも一例として捉えて頂けると幸いです。

また前回の記事投稿後、ご反応やコメントを頂いたりメッセージを送って下さった方もいらっしゃいました。どれもあたたかい言葉ばかりで、感謝の限りです。
お気遣いをありがとうございます。

また更新いたします。

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プロフィール
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