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Anizine

写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。
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2021年12月の記事一覧

サポート2021ご報告:すべての定期購読マガジン

皆さんからいただいた定期購読マガジンの購読料から、2021年も各所にサポートできました。 合計金額は 163万9000円 でした。 「旅に行く資金」などがこのご時世でストップしていますが、来年は旅行に行けるようになるといいと思っています。ありがとうございます。

大晦日に:すべての定期購読マガジン

大晦日に言うようなことではないですが、負けている人は次に勝てるチャンスがあります。しかし、「負けていることを認めようとしない人」はずっと勝てませんね。勝ち負けというのは短絡的な意味の価値ではないですが、と信号待ちの老人は言った。 来年もよろしくお願いいたします。

2021年の初体験:Anizine(無料記事)

30年以上生きてきて、これほど動き回らなかった年はなかった。新しい経験があまりにも少なかった2021年。 そんな中でも初めての経験はたくさんある。「キャンプの撮影」という、カメラは俺でいいのかと思ってしまう仕事をした。でも楽しかった。何でもやってみるものだなあといつも思っているけど、ただただ夢中で撮っていた。 劇作家の川尻恵太さんとはいつか仕事をしたいと思っていたのだが、初めて「演劇のポスター」を撮影した。川尻さんの演劇人生の節目の作品でもあり、そんな重要な舞台の仕事を依

川崎徹さんの鼻血:Anizine

世の中の多くの基準が1980年代に変わったように感じます。60年代、70年代が特にアメリカでは「変革の時代」と言われていますけど、それは確固とした権威から卒業しようとした、いわゆる親離れのカウンターカルチャーの時期だったのでしょう。それが終わるとすべてのことが一旦リセットされてしまったことで我に返り、目的地を見失うようになります。 その迷走は「どうでもいいことにこそ価値がある」というサブカルチャーに繋がっていくのでしょうが、カウンターカルチャー論、サブカル論には興味がないの

テレビの存在:Anizine(無料記事)

正直に言うと、テレビを見るのは年に数回。ホテルに泊まったときくらいだ。テレビの仕事をしている友人が多くいるどころか自分もテレビの仕事をしているけど、家にも仕事場にもテレビがない。 それはテレビを見ている人はカッコ悪いとかいう、存在の否定ではない。 テレビの「全部」を受け入れる必要がないということだ。インターネットがあらわれてから自分でコンテンツをチョイスするという行動様式が生まれた。検索でもソーシャルメディアでも、「自分が求めるモノを選ぶ」という当たり前のことが以前はなか

ミッドナイト・ツルッパゲ:Anizine

リスナーの皆さんこんばんは。ロバート・ツルッパゲです。 さっきコーシーを飲んでいたら、クソだせえ「有名人と知り合い」みたいな話をしていたヤツと目が合って「聞き耳立ててる?」みたいな顔をされたのでムカッときた私です。 さて、ここでラジオネーム「男のサムシング」さんからのメールです。 こんばんは。シモネタが嫌いなロバートさんに話していいか迷ったんですが、よかったら聞いてください。ラジオネームの通り、男のサムシングについて悩んでいます。主にサイズの問題です。僕は中学・高校とラ

ミッドナイト・ツルッパゲ:Anizine

リスナーの皆さんこんばんは。ロバート・ツルッパゲです。 放送前、年に一度の漫才の頂点を競う大会『M-1 グランプリ』を見ていました。どのコンビもこの大会にかける意気込みが感じられ、素晴らしかったです。1st stageが終わった段階で、私はファンである「オズワルド」が優勝確実だと思っていたんですが残念でした。来年また頑張って欲しいです。 さて、ここでラジオネーム「お笑い大好きっ子」さんからのメールです。 ロバートさんこんばんゎ。私わ最近ミッツルを聞き始めた高校生ですが、

憧れと暴力:Anizine

「目の前に人がいる」という事実にできるだけ多く触れた方がいいと思っている。『こどもの埋葬』という仮のタイトルで本を書いているんだけど、それが理由で最近はすべてのことを子供の目から見ているようだ。 人格の土台は小学校4年生くらいの頃にはもう固まっているような気がするんだけど、だからこそソクラテスや「孟子の母」のように幼少時の教育環境が大事になる。検証できるサンプルは自分しかないと言い訳したうえで振り返ってみると、横浜の中心地という異文化や格差の多様性が存在していた土地ゆえ、割

ミッドナイト・ツルッパゲ:Anizine

リスナーの皆さんこんばんは。ロバート・ツルッパゲです。 夏は暑い暑いと言っていましたが、約束通り今年も寒くなってきて「寒い」と言っていますね。バカ丸出しです。私もクリーニングの袋に入ったコートをしまわなくては、と春に思ったままその辺にほったらかしていましたけど、今まさにそのビニール袋をバリバリと破っています。雑ですね。 さて、ラジオネーム「宍戸ビシャス」さんからのメールです。 ロバートさん、こんばんは。初めてメールします。今日、父と将来のことで口論になりました。僕は新幹

サイフティ:Anizine

金沢からの帰り、東京駅から渋谷までタクシーに乗った。降りる時に鞄の中を探ったが財布が見つけられなかったので、慌ててポケットに剥き出しで持っていたPASMOで支払う。仕事場で本格的に探すが財布はない。なくしたかもしれない。 クレジットカードやキャッシュカードを止めたり再発行してもらう膨大な手続きの労力を考えると気が重くなった。まず最後に乗ったタクシー会社に電話。次にJRの落とし物窓口に電話をした。「ただいま、電話での対応は6人待ちです」というアナウンスが流れた。慌て者は俺以外

タクシーとフェラーリ:Anizine

自分がそれになぜ苛立ったのかを考えてみると、理由は自分の方にあるとわかることがある。 数日前にサクちゃんのこのツイートを読んだとき、キレ味のいい言葉だなあと思った。他人の神を否定する人は、自分が信じる神を肯定したいだけなのだということ。 誰かに文句を言う人や、自分とは関係のない出来事すべてに一言投げかけたくなるお節介な人がいる。ソーシャルメディアではあらゆる神を信じる人々がいるから複雑だ。そのアウトプットがよほどアイロニーやユーモアとして優れていないと、言われた当事者やコ

カキフライの広告:Anizine(無料記事)

俺は広告育ちなので、広告が下手な人を見ると苛立ったり勿体ないと思ったりします。苛立つのは自らの能力を水増しした「誇大広告」で、勿体ないと感じるのは、本当は能力があるのに「宣伝不足」の場合です。 自分のものや関わっている出来事を宣伝するのは恥ずかしいですし、とても難しいものです。皆に知って欲しいという感情はただ素直にシンプルに提示すればいいのですが、普通の人は告知なんてやったことがないので伝達工学に反した妙なことをしてしまいます。素朴すぎて伝わらないのはまだましで、よくあるの

我が町出身の有名人:Anizine

どんな場所であっても自分のパフォーマンスを見せられる人に憧れる。たとえばダンサーや歌手。道具を使わないというのは、言い換えれば他人のチカラを一切借りないということにも通じる。そこにギターが一本あれば人を感動させられることも十分羨ましいが、ギターがないときのギタリストは無力だ。 最近、歳を取ってきたからなのか「他人との境界線」がとても気になる。どこまでが自分なのかをいつも確かめていないと落ち着かないのだ。境界線とは、独力で他人に影響を与えられる範囲のことで、だからダンサーや歌

強引な折伏:Anizine

「自分が信じる神の言うとおりに生きているのだとしたら、ただそれを信じていればよく、他人の信じる神を侮辱しなくてもいい」とロバート・ツルッパゲは言う。 ネットでの諍いを見ていると、「あなたが信じている神は間違っている、私の神を信じなさい」という強引な折伏を感じることが多い。自分の信心を他人に押しつけてはいけないし、誰でもそれをされると気分が悪くなることは知っているはずだ。しかしひとたび自分が「よかれ」と思うと盲目になってしまう。この「よかれ」というやつが先に立つと本当に厄介で