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タクシーとフェラーリ:Anizine

自分がそれになぜ苛立ったのかを考えてみると、理由は自分の方にあるとわかることがある。

数日前にサクちゃんのこのツイートを読んだとき、キレ味のいい言葉だなあと思った。他人の神を否定する人は、自分が信じる神を肯定したいだけなのだということ。

誰かに文句を言う人や、自分とは関係のない出来事すべてに一言投げかけたくなるお節介な人がいる。ソーシャルメディアではあらゆる神を信じる人々がいるから複雑だ。そのアウトプットがよほどアイロニーやユーモアとして優れていないと、言われた当事者やコメントを目にした人はただ不快になるだけだろうが、その基準をクリアしている諧謔にはあまりお目にかかれない。Yahoo!ニュースのコメント欄を見てみればわかる。あんな下世話な野次馬システムは、世の中に不要だと感じる。

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何かが起きたとき、当事者はそれについて無関係の誰かのコメントをまったく求めていないはずだ。趣味で他人の問題に何か言ってみせることの不毛さを知って欲しい。そういったくだらないことを避ける対処法のひとつとして、「他人のモスクや教会に立ち入らない」ことがあげられる。以下にその説明をする。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。