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川崎徹さんの鼻血:Anizine

世の中の多くの基準が1980年代に変わったように感じます。60年代、70年代が特にアメリカでは「変革の時代」と言われていますけど、それは確固とした権威から卒業しようとした、いわゆる親離れのカウンターカルチャーの時期だったのでしょう。それが終わるとすべてのことが一旦リセットされてしまったことで我に返り、目的地を見失うようになります。

その迷走は「どうでもいいことにこそ価値がある」というサブカルチャーに繋がっていくのでしょうが、カウンターカルチャー論、サブカル論には興味がないのでそこは省略します。簡単に片付けてしまうと、伝統的な貴族文化や恵まれた人々のサロン文化を否定することで民主的な文化を手に入れた気になったけど、それはどんどん庶民化して、「お気に入りのマニアックなコンビニスイーツを選ぶ」くらいのことになっていきます。

80年代を思い出すとき、印象に残っているものがあります。それはCMディレクターの川崎徹さんの文章でした。面白いCMを作っていた川崎さんが「面白いとは何か」を解説していた本(『川崎徹は万病に効くか?』だったか)の中に、笑いの構造が以前とはまったく変わってしまった、と説明されていた例に驚きました。

鼻血の喩えを使って、「昔はこういうことを言って笑っていた、少し前はこういうことを言って笑っていた、しかし今はこうなのだ」と不条理な笑いを提示するのです。この人はものすごく頭のいい人だなあと若い俺は衝撃を受けたことを憶えています。自分がもしあれを読まずに大人になっていたら、と思うと恐ろしくてたまりません。しかし当時の川崎さんが、「今はもう通用しない」と80年代に書いていた古い笑いの構造が、まだあちこちで見受けられます。

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笑いとは消費されるモノですから、昨日と同じことや、誰でも言うことを言ってみせることに価値はありません。何十年も昔のギャグをいつまでも言っているオヤジが嫌われるのはそのせいです。お笑い芸人たちはまだ誰もやっていない笑いの構造を発明しようとする研究者であり、皆とまったく同じモノを見ても違う発見ができる科学者です。その研究結果は我々に知られ、皆がそのフレーズを言うんですが、まるで面白くない。時代は進み、科学者はもう次の笑いを探しているからです。川崎さんが書いていたのはうろ覚えですが、こんな話です。

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Anizine

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写真家・アートディレクター、ワタナベアニのzine。

多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。